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マイナーな山村留学の選択

山村留学を知っているだろうか?

山村留学とは、

自然豊かな農山漁村に、小中学生が一年間単位で移り住み、地元小中学校に通いながら、さまざまな体験を積む

山村留学とは |NPO法人 全国山村留学協会

多くの大人は知らない選択肢だろう。いわゆる、「国内留学」のイメージを持っていただいた方が、読みやすいだろう。

若くしてなぜ親元を離れ、山村留学というマイナーな選択肢を選んだのか?それを皆さんに紹介する。


私は4人家族の長男、いわゆる普通の家庭の子どもに生まれた。
正直、色々な経験をさせてくれる親のもと、保育所、小学校と普通に通っていた。

山村留学を知ったのは、小学5年生の夏だった。よく夏にあるキャンプ活動で私は島根県大田市にある大田市山村留学センターに行ったのがきっかけだった。

大田市山村留学センターで5日間を過ごした。5日間の中で都会ではできないような自然体験を多くした。
光1つ無い天体観測、大自然の中のアクティビティ。

その後、6年生では長野県大町市にある八坂美麻学園に12日間の夏のキャンプに行った。12日間では山村体験、キャンプ、登山、農家体験など多くの経験をした。

元々、5年生の時点で1年間の山村留学に行かせようとしている親の気持ちもわかっていたが、私自身あまり乗り気ではなかった。なぜなら、私が通っている小学校のメンバーがそのまま中学校に上がるからだ。私はそのメンバーともいたかったのが事実だ。そして親元を離れたくなかったのが大きな要因だった。

それもあってか、12日間の夏のキャンプはひどいものであった。いわゆる人のことを考えずに動く、そんな人間だった。

そもそも、この12日間に行く理由は、入園に必要な手順だったからというのもある。
12日間のキャンプで山村留学センターの「指導員」と呼ばれる大人の人に行動を見てもらい、入園前の試験に用いられる。

だが、先ほども書いたように「人のことを考えずに動く」自分がいたからこそ、試験にはかなり不利だと言われた。

そんな中、迎えられた山村留学入園前の面接試験。その時だけなぜか自分の気分も好調だった。だからなのか、面接でもかなり口から出まかせの勢いで指導員と話をした。その時の様子をまだ覚えている。面接最後、結果も出ていないが受かると思います、の一言。

今でも矛盾を感じている、「行きたくない」という自分の気持ちと「行きたい」とチャレンジした自分が真剣に向き合った結果なのかなと振り返る。

試験の結果、入園はできることになった。その時は「楽しみ」の反面、やはり「不安」が自分の中に募り、涙を流す時もあった。

入園前日、長野へ。なんだか新鮮さを感じた。

入園当日、センターへ。なんだか不安が0ではないが、今飛び立とうとしている自分がすごく清々しく感じた。

山村留学という選択肢を嫌と言いながらも、1年、そしてもう1年と経験した。自然体験、人間関係、出会い、別れ、農家体験など数多くの体験を重ねた。

が、最後に言いたいことがある。私は山村留学を全て良かったと振り返ってはいない。楽しい時、嬉しい時、自然の美しさに感動した時など肯定的に受け止められる部分が全てではなかった。苦しい時、しょうもない時、ついつい感謝を忘れて自然に対して見飽きる感情を持ってしまったり。

私も含めてだが、過去を正当化する必要はないと思う。全ては自分の体験、経験だ。そして私は今、幸せだ。この経験をしたから得られたもの全てが今の自分の生活、考え方につながっている。だからこそ、ありのままの過去を振り返り、今できることを最大限に楽しむ、それが人生なんだろうなと山村留学を通して思う。

後ほど、詳しく2年間の留学の日々、中学3年の怒涛の日々を記事にまとめて、ありのままの過去を振り返りたい。

今は高校生として活動しているが、過去は変えられないが過去を作っているのは今の自分だということを考えながら生活しようと思う。