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口癖、「やってみよう」

最近、あることに気づいた。

それは、私の口癖が、「〜〜やってみようかな」って言うことと、
その口癖の頻度がかなり高いと言うことだ。

私はもともと、1つのことに対して熱中して取り組むと言うことが少なく、スポーツなどもやったことはなく、ただ運動できる人みたいなポジションに小学生、中学生の時はいた。

高校になってから、N高校に入ると周りは好きなことに熱中して取り組んでいたり、将来のために必死に勉強している人もいた。

が、私はない、好きなことはない、性格上1つのことに熱中すると言うよりも、興味を持ったものを片っ端から調べて、体験すると言うスタンスの人間だ。だからこそ、なかなか人に言えるだけの経験をしてはいない。

ある時、N高の先輩と放課後歩きながら会話をしていると、私は気づいていなかったものの、10分も立っていない会話の中で私の「やってみようかな」は10回以上言っていたみたいで先輩に言われた。

1つのことに熱中してやってみたらと。中途半端で終わらせてほしくないと言う思いで言ってくれたのだろう。私もできるなら1つのことに熱中して取り組みたいが、究極の熱し易く冷め易いと言う性格だからこそ、つい一週間前にやっていたこと、取り組み始めたものも、好きにならなければ、一瞬で次のものに移る。

これは、街を見ている時だけではなく、xを見ていても興味のあるAIを片っ端から調べて、それを実践してみる。

そして、飽きたらすぐに違うAIに触れる。これの繰り返しだ。


皆さんに質問だ。私のように「1つのことに熱中せずに、いろいろなことをやってみる」と言う性格はどうなのだろうか?

個人的には良いと思う部分と、熱中して1つのことに取り組む力が少ないの両方から考えることができる。

が、私は同じ学生の中でも、多分上位に行くレベルでいろいろな分野のサービスにログインをして試している。

無料でできるサービスをかき集めて、Adobeを賄えるかみたいな検証をしたり、プロサービスの部分を違うサービスで応用して違うサービスのようなものを独自で考えたりと普段から、体験を通して別の発見をしている。

だからこそ、1つのことに熱中することは否定はしないが、自分は中途半端と言うよりも、常に情報、自分の経験を更新していると個人的に個人的に考えている。

そして、私が伝えたいことは「いろいろなサービス」に触れると言うことだ。これからの未来はすごいスピードで進化を遂げるだろう。

私も中学1年生の時にまだ進化していない画像生成に触れたことがあった。無料で利用でき、レベルの高い画像を生成することができるサービスだったが、現在だと有料プランができてしまい、月千円以上はかかってしまう。

言いたいことは、進化はすごいスピードで遂げているが、本質は変わっていないと言うこと。その本質自体は形を時代とともに変化し続けている。
だからこそ、時代にあった「本質」を見つける必要がある。

私は中途半端でもいいと思っている。だが、本質を見失ってはいけない。
人によって本質は違えど、時代の本質は経験したものだけが知っている。

それに沿って自分は生きていると思います。
なので、私は「1つのことに熱中する」ではなく「興味を持ったものを片っ端から経験していく、それを自分の中の本質と繋げて次の経験に活かす」と考えている。