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原因【小説】

プロローグ

今日も会社が終わった。3時間ほど、残業したので、いつもより遅い時間の帰宅となった。遅くなるので、妻にLINEを送った。『今日は遅くなるから』とメッセージを打つ。去年から新しく始まったサービスなのだが、なかなか使い勝手がいい。ユーザー数も右肩上がりで増えてきている。2010年代に入って便利な世の中になって来た。2008年に登場したスマートフォンという機種が人気急上昇中だ。

いつものように満員電車を降りて、暗い夜道を歩く。駅前の店はシャッターが閉まっていて、人通りは少ない。住宅街に続く道を歩く。自宅に帰るのだ。幼い息子と妻が待っている。妻は優しい人だ。一人息子はカワイイ。妻の作る今日の晩飯は何かなと考えていると、数人の高校生らしき人に囲まれた。10人くらいはいる。突然のことだったので足が止まった。いや、止めざるえなかった。

「おい、おやじ!金を渡せよ」

その中の一番身長の高い少年が言った。髪を赤に染めている。他の少年たちも同じような髪型だ。中にはタバコを更かしている少女も居た。そう思っていると、長身の少年に、みぞおち辺りを殴られた。一瞬のことで、どこを殴られたか分からなかった。数秒して、みぞおち部分が痛みが増してきたので、どこを殴られたか分かった。痛みのせいで、立つことが出来なくなり、ガラケーみたいに二つ折りにしゃがみ込んだ。しゃがみ込むなり、今度は背中を蹴られた。何発もボコボコに蹴られ殴られた。全身に痛みが来る。意識が遠のく。

「財布に1万もねえのかよ」「免許証の写真撮ってこうぜ」「早くしねえとヤベえぞ。サツが来る」「早くしなよ」

遠のく意識の中で、少年たちの声が聞こえる。何が楽しいのか、笑い合う声。警察が来ないか心配する仲間。タバコを吸いながら見守る少女。まるで悪魔だと思った。悪魔が笑っている。この少年たちと面識は無い。ターゲットを無差別に決めてのおやじ狩りなのか。おやじ狩りって、今でもあるのか?15年くらい前にブームになったことを覚えていた。過ぎ去ったブームが再加熱したのか。そんなことを考えながら、意識が消えていく。

どのくらい経ったのだろう。ゆっくりと目を開ける。腰を上げて、周りを見る。あの少年たちは居ないようだ。深呼吸をする。良かった生きている。少し、全身が痛むが、立てないことはない。どこかに隠れていて、後を付けられたら困るので、ゆっくりと走る。

なぜ、こんな目に合わなければならないのか?走りながら考える。いったい自分が何をしたのか?何の変哲も無い人生を歩んできた。私には何の原因も無いのに。ここまで逃げれば大丈夫だろう。後ろを振り返る。誰も追いかけてきていない。助かったという安堵感の中には、あの少年たちの悪意に立腹していた。

カタカタと鳴る音はパソコンのキーボードを叩く音だ。パソコンのキーボードを叩く音が機械的にオフィスに響く。オフィスと言えば聞こえはいいが、倉庫と言っても過言では無いほど汚いオフィスだ。まず、照明が暗い。気分も暗くなるくらいに暗い。使っている机やロッカーはゴミ屋敷から拾ってきた物を再利用している。その中で、数人の社員が働いている。ここは船橋市の駅前から離れた場所にあるオフィス。ベンチャー企業のオフィスだ。企業名は『スタートステージ』。ダサい名前だが、若手社長は気に入っているようだ。

『スタートステージ』は中堅YouTuberの企業案件を仲介している。例えば、AというYouTuberが居る。その人はコスメ系動画を出している。そのAに合った企業案件、この場合だと化粧品メーカーの案件を紹介する。化粧品メーカーとAから、その広告費の一部を仲介手数料として、我社が受け取るという仕組みだ。大物YouTuberは事務所に入っている場合が多いが、我社はフリーの中堅YouTuberを対象にしている。基本的に、企業案件が欲しそうなYouTuberと、企業案件を出したい企業と契約を取るのが私たちの仕事だ。俗に言う新規キャスティング会社である。

私の名前は戸田高子。このベンチャー企業の社員だ。パソコン画面には、契約しているYouTuberの登録者の一覧が写っている。さっきまで、登録者の動向を見ていたのだ。どのYouTuberに案件を回すか考えていた所だった。知名度はもちろん、好感度も大切だ。SNSでの好感度をチェックする。少し、疲れた。腕時計を見る。もうすぐ休憩の時間だ。フライングして、喫煙室に滑り込む。ポケットからタバコを取り出す。喫煙室の中には最近入社した社員がひとり居た。長野裕二だ。壁に寄りかかっている。ダボダボの白色Tシャツを着ている。ここの会社は私服で仕事が出来る。しかし、長野の服装はオフィスカジュアルとは程遠い格好だ。長野とは部署は違うが、数人規模の会社だから、関わることが多い。フランクな人間性をしている。

「戸田さんってタバコ吸うんですね」

「意外かしら?昔から吸ってるから辞められなくてね」

「いや、本当に辞められないっすよね」

長野はそれだけ言うと、タバコの火を消して、喫煙室を出ていった。その後ろ姿を眺めながらタバコをゆっくりと吸う。タバコの白い煙が換気扇に吸い込まれていく光景を眺めた。

タバコを吸うのは辞められない。タバコ中毒になってるのだ。中毒と自覚しているが、辞めようとも思わない。頭の中で今日の仕事の整理をしながら、タバコを吸っているとLINE電話が来た。母からだ。実家で母が買っている猫のアイコンをクリックする。

『もしもし?高子?大変なの、お父さんが亡くなった』

「え?」

『刺されたのよ。家の前で』

「え?待って?誰に?どうして?何で?』

『とにかく実家に帰ってきて』

電話が切れた。どういうことだろう。父が殺された?刺されたってナイフで?刺した奴は誰?捕まったのだろうか。突然のことで何が何だか分からない。実家に帰れと言われた。とにかく、実家に帰ろうと思った。今日は早退しよう。

「社長、父が亡くなりました。なので、早退してもいいですか?」

オフィスの一番端に座っている社長の前に立つ。糸東 進。そう言うなり、この若手社長はびっくりした顔をする。年齢は20代後半なのだが、大学生でも通用しそうな風貌をしている。長身でイケメンだ。どこかで見たことのあるような風貌なのだが思い出せない。ありきたりの顔だからか。

「どういうこと?病気?」

「私も分からないんです。母から連絡が来たばかりで」

「まあ、いいだろう」

早退許可が出たので、荷物をカバンにまとめて、オフィスを飛び出した。実家と言っても、千葉市にあるからすぐ近くだ。電車に乗る。長いシートに座りながら景色を眺める。父が殺された。こういう殺人事件が起こって被害者遺族に伝えられるシーンはドラマでしか見たことがなかった。現実に起きるものなのか。なぜ父は殺されたのか?殺された原因を考える。あの優しい父に何の恨みがあったのか?いろいろな思い出が走馬灯のように蘇る。その内に電車が実家近くの駅に着いた。

電車を降りると、懐かしい景色が広がっている。この町で育った実感が湧いてくる。駅前は寂れていて、昼間でも人通りが少ない。学生時代、この商店街を何度も行き来した。変わっていない光景を見ながら、おもむろに足を進める。歩いて15分くらいで家に着く。

閑静な住宅街に入った。大学卒業後、実家を出て、3年ぶりに帰ってきた。実家は普通の一軒家で、どこにでもある形をしている。私が生まれた頃から大学卒業するまで過ごした家。ドア横のインターホンを鳴らす。すぐに母の声。ドアが開く。母の風貌も変わってない。まあ、たった三年で変わる分けないのだが。家に上がる。実家の匂いが鼻を刺激する。畳が敷かれた居間に、長身の男性が座っていた。30代後半くらいだろうか。強面の姿、灰色のスーツ姿から刑事だと直感した。

「娘さんですか。私、千葉県警の佐岡と申します。この度はご愁傷さまでした」

「父は?父は誰に刺されたんですか?どうして何で?」

「娘さん、落ち着いて聞いてください」

佐岡刑事の話しによると、事件は今日の昼頃に起こった。たまたま家の前を通りかかった目撃者の情報によると、私の家の前で、父の戸田龍次と中年の男が口喧嘩していた。父は非番の日で、母は、その時スーパーに買い物に行っていた。喧嘩の内容は分からないが、男と父は殴り合いの喧嘩の末、男がポケットから折りたたみナイフを出してきて、父を刺殺したという。男は目撃者に取り押さえられ、野次馬の一人が通報したことにより駆けつけた警察官に男は捕まった。すぐに救急車が到着したが、父は助からなかった。父が亡くなってから数分後、母は家に帰って来た。

「男の名はマツミヤミチオいいます。聞いたことはありますか?」

刑事は松宮道夫と書かれたメモと上半身が写った写真を見せながら、私と母を交互に見た。父と同い年くらいだろうか。見たことのあるような気もするし、ないような気もする。これといって特徴が無い中年の姿だった。私は頭の中の記憶を総動員させる。松宮道夫。そして、男の風貌。中年はどれも同じに見える。この男のことを聞いたことも無いし、見たこともない。ただ思い出せないだけかもしれないのだが。

「見たことないわ」

母が、そう言ったので、私も同意の意味を込めて横で頷く。

「喧嘩の内容を教えて下さい」

私は縋る思いで聞いた。どんな内容だったのか、目撃者は聞いていないのか?野次馬は聞いていないのか?

「目撃者の証言によると、何を話していたか分からないが、とにかく大声で喧嘩していたとのこと。肝心の松宮は黙秘しています。どのような喧嘩だったのか、なぜ刺したのか?今のところ分かっていません」

あの優しい父が人の恨みを買うはずかない。父の温厚な顔を思い浮かべる。町工場で働く父。部品を一個一個組み立てる流れ作業の仕事をしていた。仕事熱心で、正義感が溢れる人物。どうして殺されたの?何が原因だったのか?

「どうして、父が殺されなきゃならないの?ねえ、どうして?」

私は涙が出てきた。肩も震える。佐岡刑事が、まあまあとなだめる。母の手が肩に乗る。その手はなんだか妙に温かかった。母に寄り添う。

葬儀の日程や親戚に報告など、忙しい日々が始まった。葬儀は遺族を悲しむ暇を与えなようにするものだと言われるけど、その通りだと思った。悲しんでいる暇が無かった。しかし、忙しい日々を過ごしながら、父がなぜ殺されたのかだけは毎日考えていた。でも、いくら考えても分からなかった。

私は西松 咲。『スタートステージ』で働く社員である。今日も元気に出社する。職場では明るい性格を演じているが、本当は根暗だ。職場でハラスメントを受けないためには、明るい性格を演じとけばいいと分かった。そうしたら、男性には嫌味を言われにくい。だから私は演じ続ける。この会社では仕事とプライベートはきっちり分けている。プライベートに仕事を持ち込むなんて、仕事人間のすることだ。時代は変わっていく。個人に合った働き方をする。同調圧力に負けないようにする。だから、勤務時間外の仕事は一切しない。仕事が残っていても、次の日に回す。メリハリが大事なのだ。

職場では、仲のいい社員が一人だけ居る。同期入社の戸田高子だ。彼女はツヤツヤした長い髪をしいる。長い髪にブルネットが似合っている。大人の女性という雰囲気を出している。同期で、同じ女性ということで仲良くなった。ただ、彼女には影があると思う。雰囲気で分かるのだ。

「高子って、どこ出身だっけ?」

「私?私はチーバくんの顎の部分出身だから近いよ」

「チーバくんの顎?」

「ああ、チーバくんというの千葉県のマスコットキャラなの」

「へー。千葉県なんだ。私、道民だったから知らなかった。船橋出身?」

「千葉市だけど、私の区はなんもないよ」

「へー。学生時代はどうだったの?彼氏とか居たの?」

「えっ。まあ、昔より今が大事だと思うの。過去は忘れることにしたの」

席が横なので、よく休憩時間にのだが、何気ない会話なのに、彼女は不自然に瞬きをした。動揺を内面から外面に出ている。あきらかに動揺を隠せていない。これは過去に、特に学生時代に何かあったのだろうか。あまり、深堀すると嫌われるかもしれないで、深く追求しなかったのだが。

席の横を見る。戸田高子はパソコン画面を睨むように見ていた。まるでメンチを切るように。彼女の過去が気になる。そう思っていると、彼女は腕時計を見るなり、喫煙室に入っていた。彼女が喫煙室に入ってから数分して、長野裕二が出てきた。彼はこちらの席に向かってくる。

「西松さん、戸田さんって過去になんか抱えてるんですかね?」

「どういうこと?」

「なんていうか、今を生きているという感じがする」

「そりゃ、今を生きないといけないんじゃない?」

私の言葉に納得したのか、してないのか、長野は席に戻った。彼のファッションセンスは絶望的だ。オフィスカジュアルという言葉を知らないだろう。これでは彼女は出来ないなと思う。

パソコン画面から目を離して、休憩していると、スマホが着信を告げた。彼氏からLINEが来ていた。彼氏とは糸東進のことだ。彼は私と同じ会社に勤めている。といっても彼は社長で私は社員の関係なんだけど、彼とは上手くいっている方だ。これまで付き合った人の中で、一番金持ちで一番カッコいいリーダー的存在な彼。彼との関係だけプライベートと仕事が混ざり合っている。もちろん、恋愛に仕事を持ち込むことはない。彼もそれは分かっている。LINEトークのやり取りで、デートの約束をした。デートの日は何を着ていこうかな?

3日間の有給を貰い、会社を休んだ。殺人となれば心の整理が落ち着くはずが無くて、船橋駅を降りるのを危うく忘れる所だった。やっとの足取りで会社に来たものの仕事に手が付かない。そんな時に、大変なことが起こった。契約しているYouTuberが企業案件の商品を滅茶苦茶に貶したのだ。その企業からのクレーム対応に追われたが、謝罪は上の空で対応してしまった。その企業との契約は破棄になった。頭が整理出来ていないのは殺人の動機について、考えているからだ。未だに、警察の取り調べにおいて、犯人こと松宮は真相を話していない。

なぜ父は殺されたのか?佐岡刑事の報告によると父と松宮との接点は無いことが分かった。松宮は食品会社に勤めるサラリーマンで、妻と息子が居る。妻は松宮の中学時代の同級生で、松宮彩也子。スーパーで働いている至って普通の主婦だ。ひとり息子は高校生。至って普通の家族ということだろう。家族関係に大きな問題は無く、会社でも大きなトラブルは無かったようだ。

父と松宮は、なぜ喧嘩したのか?どちらが先に喧嘩を売ったのか?理由なく松宮から喧嘩を売ったのなら、無差別に殺人を犯したのか。どちらにせよ、許せない。悔やんでも父は帰ってこないことは分かっている。心の中がガスバーナーで炙るように、怒りに燃え上がる。

パソコンを睨みながら、契約企業から送られてきたメールをチェックする。個人からの案件の依頼もある。その中には、明らかにイタズラで書かれたメールもある。もどかしい思いが頭の中を駆け巡るので、イライラした。横を見ると西松咲が座っているのが見えた。彼女は明るい性格をしている。今日も何が楽しいのかニコニコしている。しかし、それは表面上だということは分かっている。おおげさに明るく振る舞うのだから、演技しているとすぐに分かった。こういうタイプは仮面の中身は根暗な性格をしていることが多い。正直言って苦手な人種だ。

母からLINEが来た。『龍ちゃんはどこ?どこに行っているの?教えてよ』と表示されていた。私は『どうしたの?父は亡くなったんだよ』と打った。すぐに返事が来た。『何言ってるの。龍ちゃんが亡くなるわけないじゃない』

私は母の頭がおかしくなったことが分かった。突然の出来事による精神的なショックだろうか。精神病院で見てもらうようにしようかと考える。いろいろとやらないといけないことが混じって私の頭も壊れそうだ。そう思っていると社長に私の名前を呼ばれた。足取り重く、社長の机の前まで行く。社長には父親が殺されたことを話した。一応、松宮道夫という人を知らないか訪ねてみたが、結果は予想通り『知らない』だった。

「確かに大変だったのは分かる。でも、ゆっくりでいいから仕事に専念して欲しい」

パソコンのモニターを見ながら話す態度に腹が立つ。誰に向かって言っているのだ。鬼め。給料を貰っているのだから、仕事をするのは当然だか、仕事に集中出来る訳が無い。私は殺人事件の被害者の家族なのだ。社長視点から考えると、自分には関係ないことだろうと思う。それはそうなのだが、私はまだ冷静でいる方だと思う。そう自己分析する。

会社が休みの日。心配なので、母の様子を見に実家に帰った。母は玄関に出てくるなり、泣きわめいた。ここ数日でだいぶ老けたようだ。小皺が目立つ。なだめながら家に押し込む。こんな場面を近所の住人に見られたら何を噂されるか分からない。母は居間に座りながら、シクシクと泣いている。どの精神病院に連れて行くかネットで検索していると、チャイムが鳴った。玄関に出る。

玄関には、高校生らしき男性が立っていた。灰色のパーカーにGパンを履いている。真面目な顔にメガネを掛けている。見た目からだろうか、生徒会長という感じがした。

「何でしょうか?」

「すいません。僕は松宮一彦と言います。父に代わって謝罪しにきました」

そう言うなり、松宮一彦は土下座した。こんな所で土下座されても近所に変な目で見られる。とりあえず、家にあげる。本来なら帰ってもらうのだが、なぜ父が殺されたのか、息子なら知っているかもしれない。犯人の家族から話を聞きたい気持ちが芽生えた。

彼を居間に案内した。お茶を出す気は無い。泣いている母を見て、彼は困惑の表情を見せた。彼は、困惑顔のまま、どこに座るか迷いながら、その辺の畳に座った。おもむろに話しだした。

彼の名前は松宮一彦。千葉市内の高校に通う、高校一年生だという。父の代わりに謝罪しにきたという。手には、お菓子包みを抱えていた。受け取る気はないので、丁重に辞退した。

「どうして、あなたの父は殺人を犯したのか知っている?」

聞きたいことはそれだけだった。

「それが、分からないです。どんな理由にしろ殺人は駄目です。父に変わって僕は謝罪し続けます」

やっぱり無差別の殺人だったのか。どうして父の命を奪ったのか。父には何の罪も無いのだ。この息子に何の罪も無いのは分かるのだが、もどかしい思いで、加害者家族に怒りをぶつけても無駄なのは分かってくる。それで、父が帰ってくるのなら、怒りをぶつけ続ける。

「もう、帰ってください、いくら謝罪しても父は帰ってきませんから」

そうキツく言った。彼は、首を項垂れながら、玄関を出た。高校生の彼にキツく言い過ぎただろうか?その後ろ姿を見送る。夕焼けに照らされて足早に歩く姿を見ると、あの光景が突然、頭の中に思い浮かんできた。あの昔の忘れたくても忘れられない過去のことを。

まさか?あの人って?思わず私は走り出していた。松宮一彦の姿を追いかける。一彦に近づいたので、私は一彦の手を掴んだ。待って。驚いた一彦は振り向いた。その顔に私は言った。

「君のお父さんって昔、おやじ狩りに合わなかった?」

急に走ったせいか、息が切れる。深呼吸をする。長い髪型を整える。

「どうして、それを?」

一彦の声は震えている。やはりそうだったのだ。一彦の父親であり、私の父を殺した人物である松宮道夫は私達が昔、ひどい仕打ちをした人物の一人だった。

時は10年前に遡る。10年前、高校生の私はある不良グループに入っていた。そう私は元ヤンだったのだ。ほんの興味本位で入った。それは教師への反抗の印だった。タバコを吸う仲間と一緒に、数々の犯罪行為をした。万引き、暴行、脅迫、美人局。大人たちの反抗がカッコいいと思っていた。なかなか理解しない大人たち。私は両親と対立をしていなかったが、殆どの仲間は両親との間に亀裂が入っていた。勉強や教師の態度に腹を立てていた。千葉市では名の知れた不良グループの一員だった。リーダーは赤色の髪型をした男。名前はケン。本名は知らないし、どんな顔だったか忘れた。私達はニックネームだけで呼び合っていた。紅一点の私はタカ。グループは参加制で地元の高校生から大学生くらいまで居た。お互いの学校も性格も性別も違う。同じなのは若さだけ。若さ、そして同じような毎日に飽きたので刺激を求めている人たち。だから本名を知らないし、性格も分かりたいとは思えなかった。なんでもいいから刺激が欲しいことだけがグループの共通点だった。

仲間たちとの会話で印象に残っていることがある。東京湾、千葉県の海辺での会話だ。

「俺たちは刺激を求めているんだ。平凡な毎日なんてつまんないぜ」

「教師たちは、なんにも分かっちゃいない。俺たちは俺たちなんだ」

「早く大人になりたい。親や教師に縛られるのが嫌いなんだ」

「大人ってなんで偉そうなんだよ。ただ人生を長く生きているだけだろ」

「たしかに老人たちは時代を作ってきたかもしれねーけど、それは前のことだろ、新しい時代を作るのは俺たちなんだよ。もっと俺たちを見てくれよ」

「親たち教師たちは勉強しろ真面目でいろって言うけど、人生は一度切りしかないんだぜ。勉強したら成功するのかよ。真面目だったら人生が楽しくなるのかよ。今を楽しめないとどうすんだよ」

「俺たちってなんで生まれて来たんだろうな」

そう言って10人の仲間はタバコを吸いながら社会に対する不満をぶつけ合った。真っ暗な空に向かって。叫び続けた。この瞬間が永遠に続いたらいいのにと思った。

一時期、不良グループは刺激を求めて、おやじ狩りにハマっていた。おやじ狩りとは、その名の通り、中年をターゲットにして現金を奪うことだ。何人かの中年を狙った。成功率は90%を超えた。ターゲットが意識が無くなった時に、みんなは解散する。もちろん、財布にある金品を奪って山分けして逃げる。私は遠くから意識を取り戻した中年たちが、どう行動するのかを見張る役だった。殆どの中年は、そのまま走って逃げていった。

何人か狙ったうちの一人が松宮道夫だったのだ。松宮は、おやじ狩りをしたグループに復讐心を抱いていた。その腹いせとして、私の父を殺した。あの口論の内容は不明だが、内容がなんとなく分かってきた。松宮は私の家の住所を調べて特定した。顔を覚えられていたのだ。『あの不良女を育てたお前に責任があるんじゃないか?』親の育て方を中傷するつもりで家に来たのではないか。しかし、反論する私の父と口論になり、反省する雰囲気が無かったので、カッと血が頭に登り刺殺したのではないか。話の流れがすべて繋がった。

原因は自分自身にあるのだ。当時は罪の意識はなく、ただ闇曇にあばれていただけだった。ばか騒ぎして笑いあう日々。それだけが楽しみだった。不良グループは一年くらい居て、抜けた。今は、更生して社会生活を過ごしていたのだが、あの一彦の後ろ姿と中年の後ろ姿が似ていたので思い出した。記憶の重なりあいが起こったのだ。私は被害者であり、犯罪者でもあった。

西松咲は会社が定時になると、足早に席を立った。基本的に残業はしないタイプなので、すぐに家に帰る。いつもは帰ってネットフリックスを見て寝るのだが、今日は進とデートの日だ。心がワクワクしながら長野くんや戸田さんに挨拶して帰る。もちろん、笑顔を忘れない。とにかく、笑顔が大切なのだ。どんなに辛くても笑顔で乗り切る。社長こと私の彼氏は今日は珍しく休暇を取っていた。待ち合わせは習志野市にある谷津バラ園だ。沢山のバラがある素敵な場所。まるで物語の世界に居る気分になれる。仕事で疲れた気分をリフレッシュするためのデートの日。ストレス解消が大事。

電車を降りて、すぐの所で待ち合わせをしている。彼はもう来ていた。何か考え込むように、どこか遠くを見ている。

「ごめん、待った?」

「いや」

何だか機嫌が悪い。返事が上の空だ。いつもは笑顔で出迎えてくれるのに。何か嫌なことでもあったのか。

「どうしたの?機嫌悪いじゃん」

「話があるんだ」

「何?」

雨が降る前に上がる雲のように不吉な予感がした。

「別れよう」

「え?」

言葉に詰まった。頭の中では『どうして』と『?』マークで埋め尽くされている。

「なんで?どうして?」

「ごめん」

彼はそれだけ言うと、私の横を通り過ぎて行った。私は突然の困惑で後ろを振り向くことが出来なかった。私に何の原因があるのか考える。彼に何か嫌なことをしただろうか。私は浮気してないし、最近喧嘩したこともない。何が原因なの?少しは理由を説明してよ。進さん。

一彦は困惑の顔をした。自転車に乗った中年のおばさんは、こちらを見ながら通り過ぎて行った。傍から見れば、私達の関係はどう見えているのだろう?まさか、被害者家族と加害者家族の関係とは思わないだろう。

「どうしてそのことを?」

「いや、なんとなくそんな感じがして」

自分でも苦しい言い訳だと思った。これ以上話すとボロが出そうなので、掴んでいた手を離した。一彦は何か言いそうに首を傾げながら去っていった。

次の日、私はモヤモヤを抱えた気持ちのまま会社に行った。プライベートにどんなことが起きても仕事は仕事の世界線で動いている。頭の中は、ずっと後悔の気持ちでいっぱいだった。私は犯罪を犯した人間。一生消せない罪。私のせいで、父が亡くなった。私が原因で、父は殺された。もしあの時、仲間とつるんで、おやじ狩りなどしなかったら父は生きていた。私たちのせいだ。グループはとうの昔に解散したから、今ごろ皆は、どうしているか分からない。どこで何をしているかも知りたくもない。西松咲の帰りの挨拶を上の空で返しながら、私も帰路に付くことにした。

小さいアパートに帰ってきた。部屋数の合計は10室ほどの普通のアパートだ。私の部屋は2階にある。フラフラの足取りで、窓に向かう。窓を開ける。窓を開けた瞬間に冷たい風が入ってくる。窓にある錆びた鉄冊子にホームセンターで買ってきた太いロープの端を括り付ける。長さは1mくらいの短い奴だ。

これまでやってきた沢山の酷いことが脳内で再生される。万引きや美人局。被害者は一生消えない暗い過去を背負うことになる。私がすべての原因で、父を間接的に殺してしまった。こんな私は生きていけない。

鉄冊子に括り付けたロープの反対側の端を持って、自分自身の首に括り付ける。私は勢いを付けて、真っ暗な窓に向かって回転するように飛び出した。

エピローグ

戸田高子が死んだ。糸東進は刑事である佐岡から話を聞いた。自宅で首を吊って死んだ。刑事は遺書は残されていなかったと言う。警察の捜査によると彼女は父親が殺されたショックで自殺したと見ているようだ。彼女がなぜ死んだか俺は知っている。彼女は元ヤンで、戸田龍次こと彼女の父親を刺殺した殺人者は、おやじ狩りに合った被害者だったのだ。戸田高子は、昔の犯罪行為の責任を取り、自ら命を立った。俺の彼女だった西松咲を振ったのは、戸田の父親が殺された理由が分かったからだ。松宮道夫は不良グループの住所を特定して、殺そうとしていたのだ。顔を覚えているやつからだ。もしかしたら殺されたのは俺だったかもしれないのだ。恐怖で心が震えて、恋愛している場合じゃなかった。その彼女は振った日に会社を辞めた。

俺は高校3年生の時に、地元では名の知れた不良グループに入っていた。仲間からは喧嘩が強いから、ケンと言われていた。俺は3年前、戸田高子が新入社員として入社して来た時には、僕が不良グループのリーダーだったことがバレるのではないかと内心ビクビクしていた。僕は紅一点だった彼女のことを覚えていたが、彼女の方は忘れているようだ。赤髪から黒髪にしたから分からなかったかもしれない。わざわざ言うことでもないので、秘密にしていた。最近、彼女の父親が殺されたことを聞いた。犯人の名前の松宮道夫に覚えがあったのだ。狙った中年全員の免許証を撮っていたのだ。久しぶりに起動させた古いスマホの写真フォルダを見ていると、その中に松宮道夫の免許証の写真があった。

彼女が命を断つことは無かったのではないか。実際に手を下したのは僕の方だ。でも、僕は死ぬことはしない。過去は過去だと割り切って生きるつもりだ。俺は俺の生き方をするつもりだ。

【あとがき】〜作者からのメッセージ〜
『おやじ狩り』をテーマにした物語を書いてみた。ジャンルは社会派小説。物語は主人公と同僚である西松咲、社長の糸東進の3人の視点で描かれる。この話はタイトルの通り、『原因』が軸になっている。すべての原因は誰にあるのか?

作品の中に、こんな一節がある。海岸での会話の一部だ。

『たしかに老人たちは時代を作ってきたかもしれねーけど、それは前のことだろ、新しい時代を作るのは俺たちなんだよ。もっと俺たちを見てくれよ』

親や教師に縛られることが嫌な不良たち。彼らは自分たちのことを見て欲しいという。理不尽な教師や親に腹を立てている。もちろん、お年寄りも大切にしないといけない。少子化の時代、未来ある子供を優先的に大切にするべきではないのか。なかなか精神をコントロールするのが難しい年頃だから出てくる本音でもある。その不満が爆発して不良に走ってしまう人もいる。原因に大きいことや小さいことがあるように、学生たちは多かれ少なかれ、思春期という時期には不満を抱えている。自分たちは何と戦っているのか。学校という缶詰の中で過ごす日々。学生時代は短いようで長いのだ。教師たちには本気で子供たちと向き合って欲しい。そして、生徒たちは自分の気持ちを物に当たることや犯罪に手を染めるのは辞めよう。自分の気持ちを声に出して伝えよう。

植田晴人
ペンネーム。今回は比較的早く執筆することが出来ました。





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