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学生時代に好きだった先生に年賀状を出したが返ってこなかった話

隣で子どもたちが寝ている。

ひと息つきたくて、ふと本棚に並ぶ手帳を読み返してみた。

手に取ったのは、はあちゅうさんの「大切なあなたノート」。

珈琲を淹れ、読み直す。



学生時代に好きだった先生のこと

問12の「学生時代に好きだった先生」のことについて、少し前のわたしはある先生のことを綴っていた。

高校1年生の頃の担任のO先生だ。
理由の欄には「熱血教師。熱さが心に残っているから」と記している。

当時わたしが在籍していた1年2組は学力では学年の中でも上位だったが、イベントでは最下位になることが多かった。合唱大会やスポーツ大会の直前、O先生は教壇に立ちよくこう話したものだった。

「”2くみ~ず”はやれば出来るクラスじゃ!今日も気合いで団結していくぞ!」

この何気ない声かけのおかげで、わたしは間違いなく胸が高鳴っていた。

O先生は元気で明るくて優しい。”元気で明るくて優しい”と聞くと定型文のように聞こえることが多いが、本当にその言葉の通り元気で明るくて優しい教師だった。いつも口角が上がっていて声も大きいシャキッとした声はダラダラとしがちなわたしたちをキリっとさせてくれる。そしてO先生と話していると自然と明るくなれるし元気が湧き上がってくる。ときには厳しいが、その厳しさの中には、当時高校生だったわたしでも分かるくらいの温かな優しさが確かにそこにはあった。
わたしは先生の熱いところが大好きだし、それだけでなく今までの学生生活の中でも1番2番くらいにO先生のことが好きだ。O先生とは特別なエピソードのないような生徒のわたしだったが、とにかく先生の熱血ぶり、優しい表情、醸し出す雰囲気が大好きだった。

そんな大好きだった先生が、在学中に他校へ異動した。その知らせを聞き、わたしは元2くみ~ずの女子メンバーと悲しさを共有し合った。


思い切ってO先生に年賀状を書いてみた

高校を卒業して数年が経ったある年の暮れ。思い立ってわたしはO先生に年賀状を書いた。先生ならきっと喜んでくれる。きっと思い出してくれる。そう願いながら1枚のハガキに「先生、お元気ですか?わたしは元気にやってます」としたためた。

が、返事はなかった
届いたのか届いていないのか、分からない。けれども年賀状は戻ってくることもなかった。見てくれたのかな。想像がかき立てられる。見たけど特に返信するほどでもないと判断されたのかもしれない。いや、届いたことすら知らないのかもしれない。返せない理由があったのかもしれない。けどもし、スルーされたのであれば、それはそれは本当にショックだな。


年賀状を出して十年以上経った今思うこと

年賀状を出した当時からもう十年以上経った。
ふとした時に思い出す先生のこと。
年賀状自体を見ていないのかもしれないが、それでも前面に押し出てくる想いは、わたしにとって一番の青春だったあの頃はO先生にとってみれば特に特別でもなかったのかもしれない、ということ。わたしにとってのあの特別な一年は、先生にとっては何十年もの教師生活のうちの"The"ではなく"A"な一年だったのかもしれない、ということ。
本当に本当に特別な3年間だったからこそ(年賀状自体を見ていないのかもしれないが)こんなことを(勝手に)思ってしまう自分がいる。

高校時代は、部活も勉強も自分のできる範囲で必死に頑張った時代だった。部活を終えバスに乗って帰り、帰宅すると21時。ご飯を食べお風呂に入り眠い目をこすりながら予習・宿題をしていると日が変わっていた。そんな生活をしながら恋愛にも夢中になった。部活を終えた後、学校からバス停までの自転車で5分の道のりを、同じく部活を終えた大好きな人(彼氏)と一緒に帰るのがとても嬉しく楽しかった。夢のような3年間は、十年以上経った今でも眠る前、目を瞑れば通学路から順に思い出す
すべてが、すべてが青春だった。

それでもやはり根底にあるのは感謝

前面に押し出すあれやこれやの(ショックな)想いもあるのは事実だが、やはり大きいのは、手帳の「学生時代に好きだった先生」欄を見ては、サッと思いつくような先生に出逢えたということ。わたしはそんな師に出逢えて幸せだった。勝手に年賀状を送り、勝手にショックにふけっているが、根底にあるのは感謝の気持ちだ。O先生にまたお会いできたならば、そんな想いと感謝を伝えたい。

O先生、ありがとうございました。

そんなことを思いながら手帳を読み返した。

幸せな一休みの時間だった。

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