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ルビーの指輪とコロッケと

ちょっと長くなりますが、よかったらあつい飲み物を飲みながら読んでってください。


「母さん、生まれ変わったらわたしのお腹に来てよ」
「かまんの?うわぁ。うち嬉しいわ。今度生まれ変わったら男になりたいねん。ほんで次こそは賢くなりたいなぁ。嬉しい楽しみができたわ。ありがとう、ありがとう」

亡くなる前に祖母と交わした約束。


わたしは母の影響を受け、小さい頃から祖母のことを「母さん」と呼んでいる。


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母さんは風吹ジュンさんに似ている。

とても美人だ。

目尻にできる笑いジワが彼女の人となりをよく表している。

わたしは小さい頃から母さんとよく口喧嘩していた。

ちょっと外を散歩したいだけなのに、

「危ないからあかん」

なんでもかんでもあかん、あかん。


それでも、やっぱりそう。

わたしは母さんのことが大好きだった。


なんでこんなに大事に思うんだろう。


今でも毎日母さんのことを考えるよ。


薬指に光るルビーの指輪を見ながら。


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母さんはいつもわたしを褒めてくれた。

「あんたは歩き方も服の着こなし方もかっこええ。服っていうのは高くても安くても一緒。着手が着こなせるかどうかやわ。あんたはごっついかっこええ」

褒めてもらうのは嬉しいもので、わたしは新しい服を買うたびによく母さんちまで車を走らせた。


仕事が終わってから母さんに電話をかける。

「母さん、今日ごはん食べに行ってもええ?」
「もちろん喜んで!嬉しい。今からなんか作るわ。気ぃつけておいでよ」

服を見せるというのはそういう名目なだけであって、本当は母さんを喜ばせたい、元気にしてあげたい、孤独じゃないかな、こんな想いからだった。

片道50分ほどの距離。

「あぁかわいい。すごいかわいい。よぉ似合っとる。服は着手がきめるもんや」

力強くこぶしを握りポーズを決めるようにして言うお決まりのセリフだった。


机の上には、いっぱいの小皿が並んでいた。

わたしの大好きな芋の天ぷら、ピーマンの天ぷら、玉ねぎの天ぷら。

ポテトサラダ。

ウインナーや卵焼き、汁物もあったなぁ。

食後のデザートも一緒に出してくれる。

ヨーグルトだ。

年季の入ったシルバーの小柄なスプーンを隣に添えて。

「これぜぇんぶ身体にええもんばっかりよ。好きなもん食べてちょうだい」

母さんは、自分は食べることをせず、わたしの食べる姿をただじっと見ているだけだった。

両てのひらにあごをのせて、机に肘をつけて、目を細くして嬉しそうにわたしを眺めていた。



母さんが作る料理は基本的に味が薄い。

けれども、わたしはその優しい味が大好きだった。


どこで、どんなふうに、誰と食べたか。
そのときに見えた風景こそ、おいしい記憶をさらに深める。

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ゆっくりと流れていく時間

澄んだ空気

秒針の音

あったかくてやわらかく、目には見えないもの。

無償の愛だった。

すべてが優しく、まあるく、わたしを包む。


「うまい?」
「ごっついおいしい。わたしのために、ありがとう」


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高校を卒業したわたしは、京都の大学へ進学が決まった。

電車に乗ったことのなかった母さんは、駅員さんに尋ねながらゆっくり、ゆっくりと一人旅をしながら京都まで遊びに来てくれた。

そして、わたしの白い折り畳み自転車にまたがり、京都の街へ散策に繰り出す。


授業が終わって下宿先へ戻ると、母さんも戻った。

「うち今日はあそこまで行ってきてん。明日はどこ行こかな」

楽しんでくれているのがじわじわと伝わり、わたしも嬉しかった。

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二人で行った思い出の場所はいくつも、いくつもある。

また細かく紹介したいと思っているが、ここではかいつまんで。



京都では、蓮華王院三十三間堂

1000体の観音立像と千手観音坐像に、二人して圧巻されたのを覚えている。

「絶対にまた来よな」

と、約束した。

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ちょうどその頃、母さんの身体に大腸がんが見つかった。


本人はひどく落ち込んでいた。

わたしは現実を受け止められず、何も考えられなかった。

どうしよう。

けどくよくよしてはいられない。

どうにかして母さんを勇気づけたかった。

すぐにでも。

わたしにできることって何やろ。

そう思って提案したのが旅行。

「母さん。一緒に旅行しよ。いろんなとこ行こ。母さんと行きたい!ついてってくれへん?」


母さんは喜んでくれた。


最初の旅行先は京都。

まだ京都に住んでたけど、まずは近くからね、ということで。


絶対にまた行こう、と約束した二度目の三十三間堂へ向かった。

同じ光景にように見えて、二度目はまた違った。

長い時間をかけ、御像一体一体に向かってしっかりと手を合わせていく。

ただ、祈った。

神聖な場所で透明な澄み切った気持ちになり、とてもいい時間を過ごせたことを覚えている。


宿泊は京都駅前のお宿、ドーミーインPREMIUMというホテル。


そこで母さんは言う。

「遺影を撮ってほしい」

彼女の要望に応え、それっぽく撮ってはみた。


けど、なんか違う。

斜め45度、真顔でこちらを睨む。

バスローブ姿で。

怖い。

なんかおかしくておかしくて。

母と電話を繋げて3人で大爆笑した。

そんな楽しい夜だった。


「湯葉食べたいなぁ」と言いながら一緒に入った京都駅のビルでは、ディナービュッフェを楽しんだ。

わたしたちは旅先で、ビュッフェスタイルの食事をとることが多い。

母さんはメニュー表を見てもひとつのメニューに絞れない、優柔不断な一面を持っていた。

店員さんにオーダーをとってもらった後も悩み続け、結局のところカウンターまで行き「やっぱり変えてもいいですか・・・」と申し訳なさそうにお願いする。

わたしはこれに関して何回も注意した。

「ほんまにそれでいい?後から変えられへんで」

彼女は、いろいろな料理を少しずつ食べたがった。

食べることにおいても、旅を楽しんでいたのかもしれない。

欲張りに、小さじ2の可愛さを含んでいた。

ランチやディナー、旅行に行くたび、彼女は旅先の食事がビュッフェであることを知るととても喜んだ。


そしてこの日、テーブルに並ぶ煌びやかな数々の料理の中から皿に取った湯葉を食べながら、とても大切なこれからの話をした。


母さんは、今までの人生に苦労しストレスをたくさんためてきた。

そのせいで自分ががんになったんだと話した。


わたしは母さんに話した。

「がんになって初めてわかること、変わっていくこと、これからいっぱいあるかもしらん。母さんは今日から生まれ変われる。これからは二回目の人生やで。今からいっぱい生きよ。わたしも一緒におるから」

自然と口から出た。

無責任だな、と自分で思った。

本人の苦しみはわたしには想像できていなかったと今でも思う。

けれども、なんとしてでも暗闇から救ってあげたかった。

その一心だった。


母さんはその日から生まれ変わった。

今振り返ってみると、そう思う。


文字通り本当に、二回目の人生を歩き出していた。


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島根県の出雲大社へは、あえて車で行こうという話になった。

道を間違えてしまい遠回りになり、片道6時間もかけてしまった。

とてつもなく疲れたが、母さんにいろんな世界を知って欲しいという想いでいっぱいだった。


わたしは母さんと一緒に観光するのが大好きだ。

母さんはいつでもこんなことを言っていた。

「若いのに、こんな年寄り連れて恥ずかしくないん」

微塵も思ったことがない。

恋人の聖地と言われる場所にも行ったが、母さんに綺麗な景色を見せられることに心からの幸せを感じていた。

母さんとは日本中を周りたいと思っている。

もちろん今でもね。


出雲大社に訪れ、参拝し、出雲そばを食べた。

その日は、世界遺産石見銀山へも向かうというもりもりプラン。

電動自転車に乗り、山奥へ入って行く。

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「これええなぁ。うちでもスイスイ漕げる」

新鮮な空気を胸いっぱいに吸い、肌いっぱいにそれを感じている姿をカメラにおさめることに必死だった。

嬉しかった。

母さんが生きている。

いきいきとしている。

眩しい。

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いよいよ石見銀山の中を歩く時、わたしは素晴らしい世界遺産を前に、母さんばかりを見ていた。

じんわりと湿った洞窟の中に吸い込まれていく小さな体。

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待って。
行かんとって。
わたしを置いて行かんとって。

カメラ越しに見る母さんの体はどんどん小さくなり見えなくなっていく。

カメラの電源を落とし、母さんのもとへ走っていく。


母さんは写真を撮られるのが嫌いだ。

それでもわたしは彼女をたくさん撮った。


そして、わたしは自分を撮ってほしくて、しつこくねだった。

「母さん、はよ撮ってよ」

グーグルフォトのデータに当時のわたしの写真がたくさん残っている。

白地に紺のストライプのワンピース、その上には淡いピンク色のカーディガンを羽織っている。

母さんはこの時も褒めてくれた。

「そのワンピース可愛いわ。すごいよぉ似合っとる。何着てもよぉ似合うわ。服は着手が決めるもんやわ」

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小豆島は、母さんとわたしの大好きな場所。

2回訪れた。

そして2回ともカントリーインザホワイトマリーンに泊まった。

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2回目はクリスマスシーズンだった。

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わたしも彼女も、ここでいただく食事がとても好きだった。

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2回目となれば、食事が運ばれてくる前の彼女は目を細め肩をすくめ満面の笑みをしていた。

とっても楽しみにしていたんだろう。

ビビッドカラーの可愛いテーブルクロス

心地よい音楽

空気の温度感

窓から見える景色


忘れないよ、この感情と景色。

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「段々畑を見たい」

母さんがそう言ったので、棚田も見に行った。

母さんと見た風景。

綺麗だったよ。

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こまめ食堂でお昼ごはんを食べた後、胸いっぱいに深呼吸した。

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感情

風景

表情

そして思い。

旅はいろんなものを残してくれる。


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母さんと訪れた場所はもっと、もっとたくさんあった。


私の母も一緒に行ける時は参加し、女三世代でとても楽しい時を過ごした。


温泉を楽しみ、ほてった顔をしながら三人ともサングラスをかけてベンチに座り、サイダー瓶を回し飲みしたこともあった。


ランチも決まってビュッフェスタイル。

母さんは嬉しそうだった。

本当に楽しく幸せな女子会だった。

わたしも、母も、母さんも。

三人でいるのがいちばん幸せだった。

本当に幸せだった。

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母さんは前向きで、努力家で、希望を忘れなかった。

そして、とても忍耐強かった。

しなやかな強さを持った女性だった。


四国八十八か所霊場巡りにも地道に取り組み、6周まわったそうだ。


自分なりに修行し、ノートに思考をまとめ、行きたいところを絵に描いた。


花を見つけるとほっぺで触れた。

「ほっぺたがいちばん感触がわかるんよ」


そして、彼女は勉強熱心だった。

「何歳からでも遅いことはない。勉強したいことはいっぱいある」

車で15分ほどのところにある市立図書館へよく通っていた。

本を読み、星について、宇宙について、歴史について、独学で学んだ。


食事療法もそれらの中のひとつだった。

自炊ができなくなる直前まで、自分の身体に合ったいいものを摂ろうと、コツコツコツコツと地道な努力を積み重ねていた。

食材選びも楽しんでいた。

母さんが住んでた家にはまだ残っている。

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「いちごは3粒食べとけばオッケー」

よく苺を買ってきてくれたし、

「あの子に桃を食べさせといてほしい」

母にこうも漏らしてたらしい。

私が働いている間、母さんと母は県をまたぎ、車で片道1時間以上かかる市場まで安くて美味しい桃を仕入れに通っていた。

うちの冷蔵庫はやさしい桃の香りと優しさでいっぱいだった。


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わたしはその頃、結婚2年目。

仕事では残業漬けになってしまい、ご飯もまともに作れず、母さんによく相談していた。


「母さんおかず作ったる。仕事頑張ってこい。作って家まで持って行ったる」

仕事が終わり、午後9時ごろ。

自宅へ帰ると、マンションの前にゴールドのミラが停まっていた。

母さんの車だ。

「母さん、暗いところで待たせてごめんね。また遅くなってしもた」
「かまんかまん。これ野菜たっぷりのコロッケ揚げたった。お食べ。これ食べたら元気出るわ」

タッパーにはぎゅうぎゅうに敷き詰められたミニサイズのコロッケ。

お弁当にも入れられるように小さく握ってあった。

私が仕事してる間にこの人は。

この人は。

私のためにこんなにもしてくれた。

胸が詰まって。

詰まって。

言葉が出ない。


母さんは帰って行った。

片道50分をかけて。


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わたしは子どもが欲しかった。

欲しいと思い始めて一年半が経ち、少しずつ焦っていた。

母さんに赤ちゃんを抱いてもらいたい

不妊治療に向けて進んでいこうとしている頃だった。

大学病院にて精密検査をしてもらった後、担当医師に告げられた言葉に衝撃を受けた。

「自然妊娠の可能性は極めて少ないです」

頭の中が真っ白になった。

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母さんは緩和病棟に入院していた。

毎日、一時間かけてわたしは母と一緒に母さんのいる病室へ向かった。

母さんはわたしたちが来ることを本当に楽しみにしていた。

母は、母さんの身の回りのお世話をし、わたしは母さんに聞いてもらいたいことを一から十までペラペラと話した。

母さんも嬉しそうに聞いてくれる。


母さんは、わたしたち夫婦になかなか子どもができないことを察してくれていた。

「わたしの子どもってかわいい顔しとると思う?」
「あんたの子はあんたに似てかわいい顔しとるわ」
「絶対にわたしのとこに来てな」
「絶対にいく。あんたとこの子どもになりたい。おかあさんって呼ぶわ」

そう真面目に話した後、ふざけた顔をして、わたしのことを何度も「おかあさーん」と呼ぶ彼女の姿に、わたしも母も寂しさを感じながらもたくさん笑った。


静かに時が過ぎていった。


母さんの声がだんだんとか細くなっていく。

「うち働きたい。だから頑張る。今度は人の役に立つ仕事すんねん」

大きな手術を終えるごとに何回も意気込んでいたこの言葉もだんだんとやせ細っていった。

土に根を張り広げた太い幹。

そこに青々としていた葉っぱは、時とともに枯れ葉になり、葉が一枚、また一枚とひらひら落ちていく。

担当の看護師さんからは、

「気持ちがすっごい前向きなんです。退院して社会に恩返しするって言ってはって。ものすごい希望を持っていて・・・余命わずかであること、もしかしたら本人さん分かってないかもしれないです」

と聞き、話の途中だったが病室の廊下で泣き崩れてしまった。



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緩和病棟を退院し、在宅にて看取りケアが始まろうとしていたころ、母と母さんの三人で近くのショッピングモールの宝石屋さんへ行った。

そこで母さんは、わたしにルビーの指輪を買ってくれた。

わたしの母も若かりし頃、ひいばあちゃんからルビーの指輪をもらったらしい。

大事なときはお守りのように、いつも身に着けていた。

弟の耳の鼓膜が破れもう治らないかもしれないと分かったとき、わたしの膝にできものができて手術しないといけなかったとき。

弟の鼓膜は奇跡的に修復されたし、わたしの膝も手術することなく治った。

偶然かもしれないが、ひいばあちゃんのルビーの指輪はここぞという時いつも助けてくれたという。

母さんは、ひいばあちゃんが母に指輪を贈ったことを亡くなるまで知らなかった。

知った時は涙を流したそうだ。

そして、同じことを孫のわたしにしようとしていた。


「ルビーはあんたに似合う宝石。これはうちからのプレゼント。つけといて」


ーーーーー

母さんが亡くなったのは2018年の秋。

大腸がんの診断を受けてから7年が経っていた。

7年の間は、二人で、いや三人で、本当にいろんなところへ行った。

美味しい物をたくさん食べたし、大好きな喫茶店へも何回も行った。




母さんはノートにこう綴ってあった。

今はもう自分という本質と向き合えている
身体は痛いし、残りの余命も何回聞いても忘れる
けどこれは全部現象であり、妄想に過ぎない
楽しかった
ありがとう
お母さんのこと、頼みます
みんなしっかりしとるから安心しています
わたしは本当の家に帰る。なつかしいところに
いまは満ち足りて、幸せいっぱい
身体は不自由やけど心はうっとり幸せにもたれとる
世話してもらってすまないです

そして最期にわたしにこう伝えていた。

あんたのおかげで、京都でうちはほんまに生まれ変わった
あの時はひどい顔をしとった
いまは満ち足りとる
みんなと一緒におるのが楽しすぎたから、離れたくない
けど、絶対にみんなに恩返ししにいく
また美味しいもん食べに行きたいなぁ

私は、ルビーの指輪を自分の薬指から外し、母さんの薬指にそっとはめた。

意識朦朧としながら母さんは、何度もルビーの指輪にキスをしていた。



母さんとは、小さい頃から顔を見るのも嫌になるくらい喧嘩してきたし、数えきれないくらいの口答えをしてきた。


だけど、一緒に時を過ごしてきた中でわたしは彼女からたくさんの大切なものを受け継いだ。


わたしは彼女を心から尊敬している。




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私のもとへ赤ちゃんが来てくれたことがわかったのは、母さんが亡くなって四十九日の法要を終えた次の日だった。


奇跡だった。



母さん。

あの時に作ってくれたコロッケ、食べたくなくて、ずっと残しておきたくて、まだ冷凍してあるんよ。

食べてって言われたのにね。

母さんが亡くなった後、コロッケをふいに見てしまい、体の力が全て抜けた。

崩れ落ちた。

泣いた。

泣いた。

コロッケを触ってみた。

優しい香りがする。

いとおしい形をしている。

優しい優しい愛のかたまりだった。




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わたしは二人の子宝に恵まれた。

今わたしの隣でとても可愛い表情ですやすやと眠っている。

二人とも男の子だった。

わたしのことを「おたぁたん」と呼ぶ。

わたしのほっぺたで子どもたちのほっぺたに触れてみる。

柔らかいね。


わたしは、子どもたちの手を握り、前に向かって歩き始めた。


母さんの意志を受け継ぎ、出産前から自分のペースで四国八十八か所霊場巡りを進めている。

母と叔父もまた、仕事の合間を縫って少しずつ進めている。

美味しいものを食べに出かける時は、必ず彼女の写真に向かってこう言う。

「母さん、今日一緒にお茶でもしにいく?」



「行きたい。嬉しいわ。絶対にいく!」

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夢の中で、母さんは私たちと一緒にいたいと話した。


あなたが教えてくれたもの、与えてくれたものをわたしは次の世代にしっかりと受け継ぎたいと思う。


ありがとう、母さん

これからもわたしたちと永遠に


#おじいちゃんおばあちゃんへ

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