#49 社会人編 〜ネクタイと社会人〜
ネクタイをなぜするのか、それは高校生の頃からの私の疑問ではあった。
高校時代はブレザーだったので、当然ネクタイを毎日して登校していたし、今はもう社会人になっているが、出勤前には眠い目を擦りながらやはりネクタイをして家を出ている。
15歳の頃から今までと考えると実にもう人生の半分はネクタイをする生活をしてきたのだと考えると、しみじみと大人になったものだとふけってしまいそうになる。
実際思い描いていた少年時代の大人に比べて、今その年になった自分がそれほど憧れてたような大人像に慣れているかは甚だ疑問ではあるが、ネクタイをすることに関しては年季が入ってきた気がしている。
さて、そんな私だが冒頭の通りネクタイをすること自体あまり好きではない。
ネクタイを毎日しているサラリーマンの方ならわかってもらえるかもしれない、いやもう私以上に日常と化してしまい、もう嫌という感覚すらないことも考えられるが、とにかくネクタイが嫌なのだ。
もちろん、ネクタイをする良さがないとは思わない。
何だかピシッとフォーマルな感じになることや、だらけた人でもネクタイをするとかっこよく見えてしまったり、同じネクタイをすることで所属感を強めたり、まあこれは学校なんかでよく行われている。
そう考えると、ネクタイが一概に悪いものではないことは私も重々知っている。
だが、それでもネクタイに反旗を翻してみたいのだ。
まず第一に、首もとがしんどい。
よくよく考えて欲しい。そもそもネクタイという布を首もとに輪っか状にしてきつく巻きつけるわけである。形がかっこよかろうが布がシルクだろうが、首に巻いてしまえば全て役割は同じわけだ。
そしてそれは、緩やかに首を絞めているので、多少なりとも息苦しい。
もしかしたらとてつもなく首の細い人にとってはなてことはないのかもしれないが、通常の首の持ち主であれば例外なく、首になんか巻きついていることへの圧迫感は感じるはずである。
そして第二に、暑いのだ。
昨今、ようやく社会全体で“クールビズ”というシステムが普及し、夏場のネクタイに関してはなくても良いだろう、という風潮が主になってきた。
それは大変ありがたいのだが、春先や秋に関しても割と暑い日というのが存在する。しかしクールビズでなければ当然ネクタイを皆しなくてはならないのだ。
すると、首もとは布 オン ザ 布 状態になるので自然と蒸れていく。
これが大変に暑苦しい。
暑い日に首に布を巻きつけるなんて、どんな拷問化と愚痴の一つや二つも言いたくなる。
そして第三に、時間をとる。
考えてもみてほしい、朝起きて出勤前、何か着替えをする必要がある時、帰って来て早く部屋着になりたい時、どの場面を切り取っても、なるべく時間をかけたくない。
それなのにあのネクタイというやつは、結ぶためにそこそこの時間をとらねばならない。
ワイシャツのカラーを上げ、首元に軽く巻き、カラーを戻し、結び、最後にタイピンを留める…もうめんどくさい。
もしかするとおしゃれ番長的な人からすれば、
「そこがまたいいんじゃないですか。それくらいの心のゆとりを持ちましょう。」
なんて言われてしまうかもしれない。
しかし私からすると、心にゆとりをもつくらいなら朝寝ている時間にもっとゆとりがほしいくらいなのだ。
そんな理由もあって私はできることなら、ネクタイをしたくない派である。
ただ社会人である以上勝手にルールを変えられない。
だるいからといって寝巻きで出勤することをおかしいと思うように、やっぱり大人として守らなければきっといけないのだろう。極論かもしれないが。
社会人の世知辛さをこんなところで感じることになるとは、びっくりである。
まぁそれでも、これこそが大人の証と考えるとあら不思議、ちょっとネクタイがかっこよく思えないこともない。
そんな風に自分なりに自分のテンションを上げつつ、いそいそとネクタイを結んで出勤するという毎日を過ごしているのだった。