#10 少年期編 〜クレーンゲームにハマる〜
偉い人は言いました。「UFOキャッチャーは貯金箱である」と。
某アニメの有名なセリフだが、私は中学生の時からいわゆるクレーンゲームに、それこそ貯金箱に貯めるが如くお金を使うほど、取り憑かれていたと思う。
ゲームセンター自体がゲーム好きの私にとっては天国みたいな環境なのだが、幼い頃は簡単なコインゲームをやったり、小学生になると格闘ゲームに手を出したりと割と様々なゲームに興じていた記憶がある。
中でもだいぶ長いことやっていたのが、意外にもクレーンゲームなのだから、自分でも驚きだ。
クレーンゲームについて「お金の無駄」という人もよくいるが、よく考え直して欲しい。
無駄とは酷いじゃないか。無駄とは役に立たない余計なことや、効果、効用がないことをさすらしいが、これには全面的に反論したい。
クレーンゲームには多くの良さがある。
まずは、なんといっても景品が取れた時の快感に他ならない。
こいつはやばいヤツかもしれないと慌てた方はちょっと待ってほしい。きっと、クレーンゲームで景品をとったことがある方なら、おわかりいただけるはずだ。
他の人がどうかは知らないが、私は景品自体が欲しい物でなくても
「これが取れたらきっと面白いだろうな」
などという、本当に景品を狙っている人からしたらなんとバチあたりな、と言われてしまいそうな動機で、ゲームをするのだ。
「この景品の置き方、きっと私にとって欲しいと言っているんだ!」
とターゲットを決めたらもうこっちのもんだ。
それが欲しい人には申し訳ないがこの世界は弱肉強食さ、とれるやつが景品をとっていくんだ。
どの立場がそう言っているのか謎だが、こんな気持ちで私はゲームに熱中し、景品をGETできるまで、不屈の精神で100円を投入し続けるのだ。
違うところで不屈の精神を発揮した方が絶対にいいのだが、当時はこれが私のブームだったのだ。
そして第二に、景品が手に入るのだ。
景品が欲しい物でない場合があるので若干説得力が失われているが、問題ない。
景品の良さは取った後にだって感じられるのだ。
例えば無機質な何もない部屋に、クレーンゲームで取ったクマのプーさんがいたらどうだろう。
寂しかった部屋が、一気にはちみつの匂いがしてきそうな、ファンタジーなディズニーの世界へと早変わりする。
クレーンゲームは、取られた景品がしっかり働ける場所を与えてくれているのである。本当に素晴らしい。
そして第三に攻略する面白さがある。
最近では、テレビや動画サイトで取り上げられ、色々な技を駆使して景品をとっている映像が流れているが、私が中学生くらいの頃はひたすらゲームセンターに通っては、クレーンの挙動などを分析をするのが当たり前だった。
このアームはこれくらいの可動域なのかとか、景品がこの位置なら後ろからつつけば簡単に落ちそうだとか、様子を観察して1番ベストで取れる方法を模索する。
この時間が幸せなのだ。
言ってみればドラクエであの強さになるまで、あの技を覚えるまでレベルを上げるんだ!と頑張って戦っている時の気分である。
力の弱いアームなんかも、絶対景品を取らせる気がないだろ、とも思うのだがそこがまた逆に燃えてくる。
これは挑戦状というやつか、受けて立とうじゃないか。
という熱意を起こさせ、私の財布を軽くしていく店側の作戦だろうが、それでもいいのだ。
幸せをくれるこいつのためなら、100円くらい笑顔で投じていこう。
そうしてちょろい客となった私は、クレーンゲームの攻略に励むわけである。
このように、色々な要素があるクレーンゲームは全然無駄じゃない。私の生活を豊かにしてくれるスパイスなのだ。
ちなみに最近実家に帰った際に、
「あ、前にあんたの部屋にあったぬいぐるみとかキーホルダーとかごちゃごちゃしたの、邪魔だったし全部捨てたから。」
と、おはようとでも言うくらい自然な流れで母から衝撃発言をされた。
だが、「あー、いいよ。ありがとう」などと返した私は、やっぱりそこまで景品自体にそこまで執着してなかったのだと改めて思う。
「無駄ってのも、あながち間違っていないなあ」
とも感じ、青春の1ページがもしかしたら“無駄”だったかもしれないと考えると、少しだけ寂しくなるのだった。
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