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ありがたい安定と楽しい不安定

そこら中を走り回ってる言葉なんてほとんどはそんな刹那的なものなのかもしれないね。その日のうちに湧き上がる気持ちと今回のような時間がある程度経過してから見つめる気持ちは、同じものを対象にしているはずなのに違う言葉を並べ出している。


僕が書きたいのは11/28(土)の夜に行われた名古屋の吹上という街にあるライブスペース「鑪ら場」という場所でのこと。いつからか自分が演奏した日のことは文章にして残しておこうと思って続けています。冒頭でも少し触れたように、気持ちなんていうのは時間の経過で変わっていってしまうんだけれど、ライブをするあとに起こる気持ちは日常では感じられないものばかりで貴重だから、とっておきたいのかもしれません。見返すことはないんだけれどね。

そんなことを思いながらこの日のことを思い出して書こうとするんだけれど、書きたいことが何もないですね。ほらやっぱり、時間が経つと気持ちは変化していく。

その日のTwitterには、

「断片回顧、上手くて素晴らしい方たちのライブを観るのは本当に演者として学ぶことばかりで昨日はみんな帰ってから鑪ら場の人たちと問答した。そういう夜が次のよいステージを作っていくことでしかないよね。それはコロナとか令和とか関係なくそうでしょ?僕はいいライブしたよでももっとよくなるのだ!」

なんて記してありました。


生命力がほとばしるような文章で素敵。今こうして1週間とか2週間後から眺めてこの文章は書けないなあ。これは今回の発見、とてもおもしろいですね。今でも思ってはいるけどね。


もう一方で、「なぜすぐに書かなかったのか」というのは少し考えておきたいところです。時間がなかったわけではありません。おもしろくなかったわけでもありません。じゃあなぜかというと、それはたぶん、「明快だった」からなんだと思います。人は明快になると、すっきりして大して何もしないのかもしれませんね。逆にいえば、もやもやしているからこそ何かをしたいという衝動が起きるのかもしれません。

ちなみに何が明快だったかというと、僕がこの日のライブでやろうと思っていたことがあり程度達成できた上で、あとでお店の人と話をする中で次やるべき課題も見つかったというすごくすっきりとしたステージを踏んだということです。ちょっと他人からしたら、つまらないですよね。もうちょっとこう、事件と失敗とか起きて、それを乗り越えてほしい、ってね。


この日はたくさんのお客さんが観に来てくれたのも心が安定している理由だと思います。コロナ禍のため定員は通常よりは少ないですが、自分の予約枠分いっぱいの人に来てもらえてライブを楽しんでもらえて嬉しかったです。それから最近はスマホから同時配信も無料でしているのですが、そちらでもいろんな人が観てくれたり嬉しい言葉をかけてくれたりしました。それに甘んじるつもりはないけれど、そういう人のあたたかさがとても嬉しいです。



2020年12月には、あと1本だけ、ライブをします。このコロナ禍が始まった4月頃に立ち上げたOnline LiveHouse MuFOH(ミューフォ)というイベント団体のイベント。これまでは在宅演奏をzoomで繋いで配信していましたが、いろいろと思うところがあって今回、会場での現地開催×ライブ配信という体制でやることにしました。僕はそのイベントの代表的な人なのですが、ふてぶてしくもオープニングアクトとして数曲演奏します。これは僕にとってのおもしろい要素がつまってて、数曲で自分と人を満足させられるステージを作れるのかっていうところがとても楽しみです。

また、MuFOHの配信担当のカメラマンもその他の演者様も素晴らしいセンスの持ち主の人たちばかり。気になった方はぜひこちらもチェックしてみてくださいね。


それではまたそのライブが終わった翌日くらいには書くはずです。しばしの別れ。またね。

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