見出し画像

「ごめんなさい」の違い〜ベトナム語と日本語

おはようございます。
おび はるです。


「ごめんなさい」「すみません」。
みなさんは、日常使ってますか?


ベトナム語で「ごめんなさい」は、
「Xin lỗi」(シンロイ)と言います。


ベトナム語を学んでいると、
初級のかなり早い段階で
教わる、この言葉。


実際の生活では、
あまり聞くことがありません。


とはいえ、ベトナムに限らず、
英語でも「ごめんなさい」は
滅多に言わないと言いますので、
日本が特別なのかもしれません。


ただ、謝らない理由が、
英語圏とベトナムでは
少し違うように思います。


英語圏では、「ごめんなさい」
という言葉が
とても重い意味を持っていて、


非を認める=賠償などの責任を取る
ことにつながるので、
滅多に謝らない、
と聞いたことがあります。


一方で、ベトナム人が謝らないのは、
日本人が「ごめんなさい」
というような場面でも
彼らはそうは思っていないからで、


なぜそうなったかを説明して
わかってもらえば済む、
と思っているからのようです。


ですので、何か問題が起きた時、
日本人なら謝ってしまいそうな時、


ベトナムの人は、よく
「Thông cảm(トン カム)」
という言葉を使います。


「わかってね」「同情してね」
という意味合いの言葉です。


「こっちもこういう事情があって、
大変なのよ、わかってね。」
そんな感じ。


個人の責任を突き詰めて、
誰が悪いなどと明らかにせず、


仕方ないよ、事情があったんだよ、
お互い大変よね、で済ませる。


良いなと思うのは、
人を責める発想になりにくいこと。


お互いの事情を察して
許し合う感じです。


一方、ちょっと困るなと思うのは、
なんでも「仕方ない」で終わってしまうと、


本来問題のありかを明確にして、
改善した方が良い場合でも、
そうなりにくいのかなと思います。


一方で、私はすぐ謝ってしまう
典型的な日本人ですが、


それは、些細なことでも気付いてるよ、
気にしてるし悪いと思っているよと
細かく伝えておくことで、


相手に「こう言っているんだから
仕方ないな」と思ってもらって、
良好な関係を維持しよう、


人間関係を、チョコチョコと
メンテナンスしよう


というような思惑を
持っている気がします。


まさにコミュニケーションの
潤滑油としての謝罪ですよね。


その背景では、特に
相手のことを良く知らない場合、
その人がどういうことを気にするのか、
よくわからない。


同じことをしたとしても
全く気にしない人もいれば、
激怒する人もいる。


だから最大公約数的に、
気になりそうなところは
「すみません」と言っておこう。
そんな風に思っているからだと思います。


ただ、自分が謝っている中には、
ベトナム語でいう


「わかってくれよ、仕方ないんだよ」
と言いたくなるような
シチュエーションも含まれている。


本当は、そういう時は謝らなくて
いいのかなと思うのですが、


習慣だったり、そう言わないと
落ち着かなかったりして、
ついつい謝ってしまうことが多いです。


そして、日本語を学ぶ外国人も、
日本語で話すときは、すぐに
謝罪の言葉が出る人、結構います。


日本ではそうした方が物事が
スムーズに進む、と、経験を通じて
知っているからなんでしょうね。


さて、このように、日本にいる
外国人たちと接していると、


やっぱり日本の社会では
「ちゃんと謝るべき」
という圧が強いのかな?
と思います。


どこに問題があるか明らかにして、
今後それを繰り返さないようにする。


謝罪はより良い未来につながる
行為かなと思います。


ですが一方で、必要以上に
自分や相手を責める発想になりやすい。


自分が頻繁に謝る分、
相手が謝らないと不満にもなったり。


原因の所在を追及することと
人を責めることは、
別のこと。


なので、ついつい謝ってしまう時、
どうして自分は謝るのかを
これからはいちいち見直そう、


そして、自分に非はないのに、
相手の気持ちを鎮めるためだけに


(相手の気持ちが荒ぶっているのかも
わからないのに)
謝ることはできるだけ減らそうと、


改めて思いました。
(これが、なかなか改善できないのですが)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日の問いかけ♪

あなたは、どんな時に、何のために
謝罪の言葉を口にしていますか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

いかがだったでしょうか?

また明日!
今日も素敵な一日を♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?