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今の私につながる部屋

初めての1人暮らしが始まった日の朝のことを、昨日のことのように覚えている。

目が覚めると、まだ見慣れない天井と、日に透けた黄色いカーテンが視界に入った。ベッドに入ったまま右を向くと南向きの大きな窓があり、その薄い黄色のカーテン越しに、朝の光が柔らかく揺れていた。それを見て、自然と口元がほころぶ。

足元のテレビラック、部屋の中央のローテーブル、壁際の小ぶりの本棚。その1つ1つを、少しぎこちない距離感を覚えつつ、親しみを込めて見つめる。クローゼットの中の衣装ケースや掃除機やアイロン、通路にある台所の冷蔵庫や電子レンジ。それらの気配すら感じられるほどに、室内はしんとしていた。

その静けさに、今まで感じたことのないうれしさがこみ上げてくる。新品の家具や家電に囲まれ、これからここで1人暮らしが始まるのだという事実に、どうしようもなく胸が高鳴った。

地元の高校を卒業した私は、大学進学とともに家族5人暮らしの実家を出て、他県のワンルームで1人暮らしを始めた。決して広くはないけれど居心地のいいその部屋で、私は大学生活の4年間を過ごすことになる。

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とにかく実家を出たかった。家族のことは嫌いじゃないけれど、地元で小中高と過ごしてきて、言葉にできない息苦しさをずっと感じていた。この土地にいる限り私は自分らしさを出せないし、殻を破りたくても何も変われない。とにかく一人で知らない土地へ行って、まだ見ぬ自分の"本当の理解者"に出会いたい。これが、実家からは通えない他県の大学を選んだ最大の理由だった。

母は最初から私が実家を出ることには反対していた。「学びたいことが学べる大学は地元にもあるじゃない」と言われても、どうしても他県の大学以外は考えられなかった。でも、その"本当の理由"は両親には言えない。話し合いとも呼べないような話し合いを両親と重ね、最終的に私の意思を尊重して背中を押してくれたのは父だった。私なりの考えがあるんだろうと、言葉にできない私の心を汲み取って送り出してくれたのだ。

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初めての大学生活、1人暮らしの日々は、入学初日から友達ができたり、サークルで尊敬できる素晴らしい先輩たちと出会えたりして、ちょっと出来すぎなくらい楽しいものだった。

ホームシックになる暇もないほど充実した日々を送っていたある日の夜、部屋にいると珍しく父から電話がかかってきた。

「もしもし」
「あ、お父さんだけど」
「どうしたの?」
「いや、特に用事はないんだけど、元気にしてるかなと思って」

何も取り繕わない父のシンプルな言葉に、ホームシックでもないのにノドの奥と目頭が一気にジーンと熱くなってしまった。涙声にならないように何とか呼吸を整えながら、こぼれる涙をそっと拭きながら明るく話をした。

父のその押し付けがましくない愛情があまりに温かくて、それを"愛情"だとしっかり感じ取れた自分自身にもびっくりした。あの電話のやりとりを思い出すだけで今でも泣きそうになってしまう。何てことない言葉があんなにも心に響いたのは、やっぱり実家を出て離れて暮らしていたからなのだろう。

あの時の私の涙を知っているのは、あの部屋だけだ。

その他にも、あの狭いワンルームが私のあらゆる日常や非日常の感情を見守っていた。

課題に明け暮れ、音楽や小説に触れ、恋に悩み、自分を模索し、将来について考えたこと。同じアパートに住む友達と時間を気にせず夜遅くまで話し込んだこと。ベランダ越しに挨拶をして仲良くなったお隣さんが作りすぎたカレーをくれたこと。メル友のようになっていた先輩と深夜にメールをしていたら朝日を見に海までドライブに行くことになり、急いで準備してワクワクしながら玄関を開けたこと。初めての恋人と付き合う前に、誕生日にもらったCDを聴いて意味深な歌詞にドキドキしたこと。

あの部屋で泣いて、笑って、怒って、さまざまな感情をあらゆる角度で経験しながら、4年間はあっという間に過ぎた。

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そしてついに卒業を迎え、住み慣れた部屋を出て行く日が来た。4年間暮らした部屋を出て、春から働く会社がある東京へ引っ越すのだ。引っ越しは業者には頼まず、父と母がトラックを借りて来てくれた。

引っ越し当日、サークルの仲間にお見送りしてもらった時は、まだあまり実感が湧いていなかった。というのも、私の作業の手際が悪く、見送りの時間になっても部屋の片付けがまだまだ終わっていなかったからだ。

約束していた時間になり、部屋の片付けをいったん両親に任せ、近所の集合場所へ向かった。集まってくれたサークルの仲間とひとしきり話して写真を撮って、笑顔でお別れをして部屋に戻ると、父と母が全力で片付けを進めてくれたおかげで部屋はかなり片づいていた。感傷に浸る間もなく言われるがままトラックに荷物を運び、部屋が4年前に引っ越してきた日のように何もない状態に戻っていく。

空っぽになった部屋を見て、ようやく寂しさがこみ上げてきた。もうここで眠ることはないのだ。あのカーテン越しの柔らかい朝日と、希望に満ちていた4年前の自分に心の中でさよならを告げて、二度と帰ってくることのない部屋の玄関を閉めた。

大家さんに最後の挨拶をして、父の運転するトラックに乗り込んだ。助手席に母が座り、私は2人の間の補助席のような座席に小さく収まる。

車がアパートの駐車場を出てゆっくり通りに出た瞬間から、もうダメだった。トラックの大きなフロントガラスからは、外の景色がよく見えた。フロントガラス越しに、いつもとは違う視線の高さで、見慣れた町がまるで映画のスクリーンのように切り取られていく。

町の至る所に思い出があふれていて、思い出そうとせずとも4年間の記憶がじわじわと立ち上ってきた。

通りを歩けば、歩道にも車道にも知っている顔が見つかるような学生街だった。車道からクラクションが聞こえて目をやると、車からサークルの仲間が手を振ってくれていたことだって一度や二度じゃない。あの短いクラクションが本当に大好きだった。

サークルの集合場所だったコンビニ。よく友達と時間を潰したハンバーガーショップ。通い慣れたスーパーへ続く道。いろんな人といろんなことを話した居酒屋。

角を曲がり、大学の前の赤信号で車が止まる。大学へ続く歩道の傾斜の角度。この道を大好きな人たちと歩き、すれ違い、声と笑顔を交わした。そんな記憶がめまぐるしく思い出される。先に卒業していった先輩たちとうれしそうに話す下級生だった時の自分まで見えてきそうだった。

信号が青に変わり、見慣れた景色がどんどん後方へと去っていく。楽しい思い出も苦い思い出も、4年間の濃密な空気がごちゃ混ぜになって車窓を流れていく。

両親の間に座って、私は声を殺して静かに泣いていた。熱い涙をこらえることができず、なるべく静かに鼻をすすり、止まらない涙をさりげなく手で拭う。両親は私が泣いていることに気づいても、そこには触れずにいてくれた。母が運転中の父とたわいない会話を続けながら、時折ハンカチで目頭をそっと押さえていることに気づき、親子だなぁと少しうれしく思ってしまったことは母には内緒だ。

車の中で、この4年間で経験したことや思ったことなど、具体的なことは何一つとして両親に言わなかった。受け取ったものがあまりに大きくて、どう伝えても言葉にしたら陳腐な気がして、そういう時、私は決まって積極的に口をつぐんでしまう。でも、私がこの場所をどれだけ好きだったか、この大学でどれだけ素敵な人たちと出会えたかは、きっと両親にも伝わったと思う。

私がやっと落ち着いて2人の会話に入れたのは、高速道路に乗る直前あたりだった。

さようなら、愛しい部屋、愛しい町、愛しい大学4年間。

4年前まで縁もゆかりもなかった"知らない土地"で、私は手に入れたかったもの以上のものを手に入れることができた。"ふるさと"という言葉を聞いて思い出すのは、地元よりもそんな第二の故郷だったりする。あの時、知らない土地へ飛び出して/飛び出させてもらえて、本当によかった。

今、私は東京のとある街の2LDKのマンションで、家族以上に私のことを理解してくれる恋人と一緒に暮らしている。無理せず自分らしくいられる今の私の根っこの部分は、初めて1人暮らしをしたあの部屋から生まれたのだと思う。あれから2回引っ越して、住む家も職場も変わり、時間的にも距離的にも随分遠いところまで来た。それでも、もう帰ることのないあのワンルームは、今も確かに私につながっているのだ。

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