いってらっしゃいの握手
朝、玄関の方へ歩きだす彼に向かって、名前を呼びかけ、右手を差し出す。
「はいはい」
もう慣れた彼は、そう言いながら戻ってきて、右手を差し出してくれる。
「何なの、いつものこれ」
と笑う彼と、しっかり握手をする。そして、へらへらしながら「いってらっしゃい」と彼を見送る。
私が握手を求める理由を、彼は知らない。
昔ある本で読んだフレーズが、ずっと心に残っている。
主人公にとって大切な知人が亡くなったと、突然知らされる場面。
その知らせを聞いた主人公はしばらくの混乱の後、その人と最後に別れた時のことを思い出そうとする。そして、笑顔で別れていたことを思い出し、ほっとする、という描写だ。
『ああよかった、笑顔で別れた。あれが最後だ。』
その後、主人公は泣きながら夜道を歩く。
当時は、この主人公の心理描写がすごく独特なように感じた。戸惑いと悲しさと実感の湧かない混乱の中で、そんなふうに思える余裕なんてあるのだろうか、と思っていた。
***
社会人3年目の初夏の頃、友人を亡くした。
中学時代によく遊んでいた友人だったが、高校、大学と別々になり、ずっと会っていなかった。大学1年の冬に、一度だけ、どちらからともなく連絡を取り、再会した。近況を報告し合い、一緒にプリクラを撮って、またね、と言って別れた。
その「またね」は彼女の告別式になってしまった。
告別式の数日前、夜遅くに残業を終えて職場の更衣室で携帯を見ると、母からメールが届いていた。
『Mちゃんが、亡くなったって。告別式は〇日だって。帰ってこれる?』
言葉の意味を考えるより前に、涙があふれて携帯の画面がぼやけた。告別式というなじみのない単語をどう飲み込めばいいのか分からず、頭が真っ白になりそうだった。
でも次の瞬間、あの本のあの場面が心に浮かんだ。
私は、Mと最後にどんな別れ方をした?中学校の卒業式…違う、大学1年の冬のあの日、他愛ない話をたくさんして、笑って別れた。よかった。笑顔で別れてた。よかった。笑顔だった。
それだけを考えて、必死に心を保っていた。しばらくその場で泣き、更衣室を出て、フロアに残っている人に気づかれぬよう、急いで職場を後にした。
よかった、最後は笑顔で別れた。そう思うことで、家に帰るまでの電車内でも、ばらばらになりそうな心をつなぎとめていた。
次の日、会社にいる間も、何度かトイレに立ち、あふれる涙を抑え、最後が笑顔でよかった、と心の中で唱え、また仕事に戻った。
私は、あの本の主人公の心情を読み間違えていたのだ。余裕があったんじゃない。余裕がない中で、最後は笑顔で別れていたという記憶が、崩れそうな主人公の心にそっと寄り添っていたのだ。
Mは車で自損事故を起こしていた。電柱に軽く衝突して、ちょっと頭を打っただけで目立ったケガはなかったため、病院には行かなかったそうだ。数日後、頭の痛みを訴え、病院に運ばれ、そのまま亡くなった。
人は、本当にある日突然、死んでしまう。若くて健康でも、何の心づもりもしていないときに、ふとしたことで死んでしまう。
死ぬということは、この世界から消えてしまい、もう会えないということだ。
もう話すことができない。笑顔を交わすことができない。触れることができない。
とてもシンプルで、とても残酷で、ただたださみしいことだ。
だから、大切な人が今日も隣にいることの奇跡を思う。
明日も、彼の手をしっかり握って、笑って送り出そう。
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