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ニュージーランドでブナ林を探そう その③ 〜”底のない湖”を抱く森〜

その②から続く

家に招き入れてくださった男性は、ダニエルさんというお名前で、純粋なマオリ人でした。

その家は、ダニエルさんの妹さんのお宅で、ダニエルさんはその日たまたま泊まりにきていたそうです。妹さんもとても優しい方で、旦那さんと息子さんの3人で暮らしているようでした。息子さんは6歳で、恐竜が大好き。「僕の故郷の日本には、ラプトルという怖〜い肉食恐竜がいたんだぞ〜」と言うと、大喜びで自分の恐竜のおもちゃを見せてくれました。何年も前に、福井の恐竜博物館に行ったときの記憶が、こんな形で役に立つとは。

妹さんの旦那さんは白人で、警備の仕事をしているとのこと。その日はダニエルさんと2人で猟に出ていたらしく、鹿肉をふるまってくださいました。

「いっぱい食べてくれ。こいつらは森を汚す厄介者なんだ」

鹿は、ニュージーランドで最も重大な影響を及ぼす外来生物のひとつなのです。

ダニエルさんの話

鹿肉、そして妹さんが作ってくださったグラタンを食べながら、ダニエルさんから色々なお話を聞かせてもらえました。僕の未熟なリンスニング力では、強いマオリ訛りの英語を聞き取るのにかなり苦労しましたが……。

この夕飯で、ダニエルさんが只者ではないことが発覚します。

↑ダニエルさん一家のお宅でいただいた鹿肉。

僕がタウランガのポリテクで環境学を学んでいること、森が好きで、いまはナンキョクブナ林を探しにルアペフ山麓まで来ていることを伝えると、ダニエルさんは「ブナが好きなのかい。それなら、君はいい場所でスタックしたね。」
と何やら意味深なことを言ってきました。

夜なので、標識も何も見ていなかったのですが、ダニエルさんの話によれば僕がいまいる場所はルアペフ山南西麓のオハクネ(Ohakune)という街らしい。

オークランドとウェリントンを結ぶ北島幹線鉄道(North Island Main Trunk)の建設基地として、1895年に入植が始まった街で、特産物はニンジン。「ニンジンの首都(carrot capital)」という風変わりな異名を持ちます。街の周囲には、氷河期に形成されたルアペフ山の山麓平野が広がっており、そこに堆積した火山灰土壌が美味しいニンジンを育てるのです。

↑オハクネの周辺地図(https://www.topomap.co.nz/より作成)

現在では、ウィンタースポーツ基地としても有名で、冬になるとニュージーランド中からスキー客がやってくるそう。傾斜が緩いルアペフ山は、山頂から麓まで斜面一面を天然のゲレンデとして使えるため、上級者の間でも評判がいいんだとか。高校生の時に友達と行った八方尾根のスキー場を思い出しましたが、それとは比べ物にならないスケールです。

↑オハクネの街の住宅街。背後にルアペフ山のダイナミックな山肌が見える。

「もともとこのあたりは、一面ナンキョクブナやリム(ニュージーランド固有の、マキ科の針葉樹)の森で覆われていたんだ。でも、1908年に北島幹線鉄道が完成すると、みんなお金を稼ぐために樹を切り倒すようになった。森の跡地は、野菜畑や牧場に変わってるから、街の近くでナンキョクブナの原生林を見ることは殆ど不可能なんだ。でも、一部の大木は、伐採されずに今も残ってる。君、地図は持ってるかい?その大木の場所を教えてあげるから明日の朝行ってみるといい。」

「いい場所でスタックした」という言葉の意味が分かりました。オハクネは、120年ほど前にナンンキョクブナ原生林を開墾して出来上がった街だったのです。
しかも、往時の大木が街中に残っている、というのは重要な情報です。森は見れなくとも、大木の観察ができるのであれば、それだけで心躍る体験です。

ここで、ダニエルさんからこんな質問が。

「ところで、君はどうしてそんなにブナに興味があるんだい?この街の観光客のほとんどは、スノーボードかスキー板を抱えてやってきて、ゲレンデの積雪量について尋ねてくる。樹木図鑑を持って、どこにでもある樹のことを尋ねてきたのは君が初めてだよ」
「僕は2年前、日本の北部のブナ林に住んでたんです。その時にブナが大好きになりました。留学したら、ニュージーランドのブナ林も見ようと決めていたんです。」
「そうだった、日本にもブナがあるんだったね。こいつはグレートだ。日本には、ものすごく広いブナ林の保護区があるんだろ?テレビで見たことがあるよ。」

たぶん白神山地のことを言っているんだな。元青森県民としてめっちゃ嬉しい…

一昨年の秋に行った秋田県岳岱のブナ林の写真を見せながら、「僕はそこに行ったことがあるよ。一部の学者は、日本のブナ林は北半球最大級だと主張してる。世界遺産にも登録されているよ」と説明すると、ダニエルさんも興味津々で写真に見入ってくれました。

「日本のブナは毎年冬眠するのか。面白い。葉が茶色くなっているのは、冬の直前だからかい?」

基本的に、南半球には「落葉広葉樹林」というバイオームは存在しません。ナンキョクブナも含め、ニュージーランドに生育する樹種の98%は常緑性です。それゆえダニエルさんは、北日本では当たり前の「森の樹すべてが冬眠する」という現象に出くわしたことがないのです。ここでもまた、日本とは全然違う場所に来たなあ、と実感。

↑ダニエルさんも興味津々だった、岳岱のブナの写真。

その後もダニエルさんからの質問は続きます。

「日本には、何種類のブナが生えているんだい?」

「2種類です。1つめはJapanese Beechで、学名はFagus crenata。この種の分布は日本の西海岸に限られています。もうひとつの種には英名がなくて、学名はFagus japonica。この種は日本の東海岸に生えています。」

「なるほど、ニュージーランドよりもシンプルだね…(ニュージーランドには、5種類のナンキョクブナが生育する)」

…こういうやりとりをしているうちに、ダニエルさんの素性が気になり始めました。オハクネの周囲の植生に詳しかったり、白神山地のことを知っていたり、日本のブナの棲み分けについて聞いてきたりと、明らかに植物に興味がある人の会話パターンです。

もしかすると、ダニエルさんは植物に関する造詣が特別に深いのかもしれない。そうだとすれば、僕はかなりラッキーじゃないか。でもさすがに、そんな漫画みたいな展開あるわけないよな…。

「どうしてあなたは、そんなにもオハクネの森や植物に詳しいのですか?何か、植物に関する仕事をなさっているんですか?」

会話がひと段落したところで尋ねてみると、驚きの答えが帰ってきました。

「私はネイティブブッシュ(原生林、天然林のこと)に住んでいるんだ。」

………‼︎

底のない湖の話

詳しく話を聞いてみると、ダニエルさんはオハクネから西に20kmほど離れたファンガヌイ川流域の森で一人暮らしをしている、とのこと。その生活スタイルはまさに「自給自足」そのもの。森の中に建てた小さな小屋で寝泊まりをし、その周りの畑で野菜や果物を育てる。タンパク質の供給源は、森の中にたくさんいる外来種の鹿。糖分は、湿地のニオイシュロランの葉の汁で摂取し、怪我をした時はカワカワの葉を煮詰めて、絆創膏がわりに張る…。

まさしく「森と共に生きている」人なのです。21世紀ももうすぐ4分の1が終わろうとしているこの時代に、こういった狩猟採集生活を送る人がいるとは…。


↑ニュージーランドのネイティブブッシュは、こんな感じ。日本の里山とは全く違う。人工物が一切ない無人の土地が数十キロ先まで続いている。前述の通り、ニュージーランドでは、人が立ち入れる範囲の自然環境はほとんどが牧草地に張り替えられている。言い換えれば、張り替えが行われていない土地は、人が簡単に入り込めるような場所ではない、ということ。そういう場所では、極めて純度が高い原生自然が残っている。

おそらく日本だと、ダニエルさんのような生活を営むことはかなり困難でしょう。人口密度が300人/㎢を超える小さな島国には、人間1人の日常生活全てを溶かし込めるほどの原生自然は残っていないからです。

しかし、ニュージーランドは世界で一番人口密度が低い先進国。本州ほどの面積の国土に、兵庫県よりも少ない人口しか住んでいません。それゆえ国土の片隅には、「人里離れた」という言葉では生易しいぐらいの秘境が、未だに存在しているのです。そういう場所で、誰にも邪魔されずに、自分と自然の1対1の生活を営む。こんな選択を取る人が一定数いるのかもしれません。

いままで、改変されきったニュージーランドの自然しか見てこなかったのもあって、ワクワク感が胸の中で沸騰寸前になるのを感じました。僕はもの凄い人のお宅に泊まってしまったぞ。少なくとも、タウランガの小綺麗なキャンパスで環境学のテキストをめくっているだけだったら、絶対に出会えない類の人物です。この人の話をずっと聞いていたい…。

↑マオリ御用達の薬草、カワカワ。二次林の林縁部に多い印象。特に皮膚病によく効くらしい。近年では、西洋医学もこの樹の薬効を認めている。

そこからは、もうずーっとマオリ族文化と森についてのお話を聞いていました。あの時間は、留学に来てから一番豊潤でした。こういう人と、一生であと何度会えるか分かりませんから…。

僕の経験上、仕事や日常生活の一環で森と頻繁に関わっている人は、ものすごく正確な「森眼(もりめ、森を視る眼)」を持っていることが多い。彼らが持つ「あそこの森は美しい」とか、「あそこの森の〜樹種の生育状態が良い/悪い」みたいな情報は、一番信頼できるのです。

そこで、ダニエルさんに
「この近くに、美しいナンキョクブナの天然林はありますか?外来の樹種に侵されていなくて、人の開発の影響も受けていない、純粋なニュージーランドの植生を観察できるブナ林が見たいんです」
と直接聞いてみました。

すると、
「君の携帯の地図を見せてくれ。ここから国道を15kmほど東に走ったところに、湖があるんだ。でも名前は忘れた…。あの周りのブナ林は、君が望むようなVirgin forest(原生林)さ」
とダニエルさん。
すぐさまGoogleマップを開き、ダニエルさんにスクロールしてもらいます。
「あった、あった、ここだよ。ロトクラ湖(Lake Rotokura)だ。」

ダニエルさんが指したのは、ルアペフ南麓にある小さな湖でした。トンガリロ国立公園の敷地内らしく、湖の周辺は一面緑で塗られています。
しかし、湖のすぐそこには、例の北島幹線鉄道が走っています。国道との距離も、3kmほどしか離れていません。

↑ロトクラ湖の位置図

今までニュージーランド国内で、主要交通路のすぐそばに原生的な森が広がっているのは見たことがありません。世界の歴史を見ても、交通の便が良い場所の森は破壊されるのがお約束、みたいなところがあります。ましてや、2日前の長距離ドライブで知った通り、この国の風景は森の張り替えの後に出来上がっているのです。だから、僕は半信半疑になってしまいました。

「本当にここにブナ林があるんですか?国道や線路からすごく近いように見えるけど…」
「あるとも。いいかい、このロトクラ湖はニュージーランドで最もミステリアスな淡水湖なんだ。この湖に流れ込んでくる川は一本もない。細い沢すらない。本当に1本もないんだ。でも、この湖は常に水で満たされてる。どういうことかわかるかい?」
「……ごめんなさい、どういうことですか?」
「ロトクラ湖には底がないんだ。地底深くから水が湧き出ていて、それが直接湖の水になっているんだ。だから、あそこの湖の水は飲める。」

この話を聞いて、僕はとてつもなく感激しました。

流入水路がないにも関わらず、一定の水量が保たれた湖。僕はすでに、そういう場所を一例知っています。2年前、頻繁に通っていた青森県の十和田湖です。十和田湖の周囲には、原生的なブナ林が広がっています。そのブナ林が、雪解け水を溜め込んで地下水の伏流を形づくり、それが湖底から湧き出ているのです。

↑ブナ林に囲まれたLake Towada

これと同じことが、十和田湖から9000km離れた南半球で起こっている。良いブナ林の気配を感じる…‼︎

いままで、日本とニュージーランドの間の、”森の質の落差”にちょっぴり落胆していましたが、また元気がもどってきました。まったく別物だと思っていた両国の自然に、強固な繋がりを見出せた気がしました。

ロトクラ湖のナンキョクブナ林が、最終目的地じゃあ〜‼︎

興奮したまま、眠りにつきました。

その④へ続く)


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