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ニュージーランドでブナ林を探そう その④  〜地図は森がつくる〜

その③から続く

翌朝、ダニエルさんの妹さんが「お昼ご飯にこれを持っていきなさい」と、トーストを持たせてくれました。うう、本当にお世話になりっぱなしだあ…。
札幌ラーメンしかお渡しできるものが無いのがマジで申し訳ないのですが、タウランガからまたお礼の品を送りますと告げて、ダニエルさん一家のお宅を後にしました。

ブナの街

まずは、昨晩ダニエルさんが教えてくれた「ナンキョクブナの大木」なるものを見にいかなくては。

開拓を起源とする街の多くがそうであるように、オハクネの街の区画は非常にシンプル。T字に交わった2本のメインストリート沿いに店舗や行政機関が集中し、それ以外は碁盤の目の住宅地です。街全体の雰囲気は、北海道の田舎町に似ています。

ダニエルさんのお宅から5分ほど走ると、簡単にその大木を見つけることができました。

↑オハクネの街中に生えていた、ギンブナの大木。

こいつがナンキョクブナか…。お前に会うためにどれだけ苦労したことか…。

「街ができる前から生えている」と聞いていたので、とんでもなくデカイ”巨木”を想像していましたが、意外にもこじんまりとした佇まい。日本だったら、この幹周りだと巨木調査の対象にならないでしょう。
それでも、この樹がたどってきた人生の長さに、オハクネの開拓史(約130年)がすっぽり収まってしまうのです。やはりニュージーランドというのは、まだまだ若い国なんだなあ。

↑ギンブナの葉。ニュージーランドのナンキョクブナでは唯一、重鋸歯をもつ。

ほんで、上の写真(↑)がナンキョクブナの葉。ニュージーランドには5種類のナンキョクブナが分布していますが、葉の形状は種によって全く違うため、簡単に識別することができます。
例の大木は、ギンブナ(Silver Beech, Nothofagus menziesii)。降水量が多い地域を好む種で、タスマン海に近い山岳地帯で森を作ります。

葉はかなり小さく、手のひらに10枚以上収まってしまいます。日本のブナとは似ても似つきません。日本の樹種に無理やり例えるなら、アキニレに似ている気がする。

ナンキョクブナは、基本的に痩せた土壌上に生育する上、冬の間も葉をつけ続けなくてはなりません。こういった悪条件下では、必然的に光合成のスピードは落ちてしまいます。そこで彼らが編み出したのが、「葉のサイズを小さくして、葉の生成・維持にかかるコストを削減する」という節約術だった、というわけです。

やはり名前は同じでも、日本のブナとは全く違った生き方をしている樹種なんだな〜。(日本のブナは、肥沃な適湿地に生育し、広い葉をつけて最高速度で光合成を行う)

↑オハクネの住宅街の外縁部には、ブナの群落が残存していた。

天然林との対面

さて、いよいよ本命のナンキョクブナ林へ。オハクネから東へ20分ほど走り、ロトクラ湖の駐車場に到着。


↑ロトクラ湖の位置図


↑ロトクラ湖のトレッキングコース入り口。(横にかかってるパーカーは誰のか知らん)

遊歩道を歩くこと3分。その瞬間は、唐突にやってきました。

薄暗い人工林が突然途切れて、森が格段に明るくなったのです。(下の写真↓)


柔らかい日光が、林冠に切れ目を入れて真っ直ぐ降下し、林床に光の粉をばらまきます。上空からの光の筋が、森の景色をランダムに切り分け、深々しくも優雅な世界観を演出。ともすれば単調になりがちな木立の連続に、光が挟み込まれることによって、森の立体感が誇張されるのです。

そうだよ、これだよ。この、ものすごく優しい空気感。2年前、青森で幾度となく触れてきた森林タイプ。こんなにも心地よい林内照明を用意してくれる樹は、アイツしかいません。

憧れだった「ニュージーランドのブナ(ナンキョクブナ)天然林」にご対面です。


ここは、青森から赤道を挟んで9000km以上離れているのです。当然ながら、僕がナンキョクブナの天然林に立ち入るのは今回が初めて。なのにも関わらず、「帰ってきた」と思ってしまう。それぐらい、ロトクラ湖近辺の森林景観は青森のブナ林に酷似しているのです。

ニュージーランドに渡航してから今まで、人間によって”張り替えられた”景色しか見てきませんでした。この国に来てから、自分と森との距離がずいぶん空いてしまったような気がしていました。その状況にちょっとした寂しさを覚えていたのですが、今は違います。青森で樹木ツアーをしていた頃と全く同じ気持ちです。毎日質の高いブナ林に入っていたときの、あの高揚感が蘇ってきた。


↑ナンキョクブナの大木の腐朽木

パチンコ中毒の人がパチ屋の前でジャラジャラ音を聞くと、なんとも言えない解放感を感じるそうですが、僕のいまの気持ちはこれに近い。
改変されきった開拓風景に眠気を感じながら2日間旅した後に、こんにも素晴らしい天然林が現れたら、もう普通の状態ではいられなくなるのです。

やっぱり僕は、ブナという樹が好きなんだなあ。

林床に光が落ちてくるメカニズム


ロトクラ湖の森で優占しているのは、アカナンキョクブナ(Red beech, Nothofagus fusca)。おぼっちゃま気質の樹種で、肥沃かつ湿った土地を好みます。実際遊歩道周辺には、いくつかの小沢や湿地がありました。


↑アカナンキョクブナの葉。ニュージーランドに自生するナンキョクブナの中では、最も葉が大きい(それでも日本のブナよりはかなり小さいが)。肥沃な土壌が溜まった土地に棲むため、葉を比較的大きくすることができるのである。

次々と現れるアカナンキョクブナの大木に、トキメキが止まらん。そして、上手い具合に照度が調整された林内空間。至福の時とはまさにこのこと。

しかし、ここで大きな疑問が浮かびました。
「そういえばこいつ、常緑樹だよな?」


↑アカナンキョクブナの巨木。樹皮にはいくつもの裂け目が入る。日本の樹種に例えると、ブナというよりはケヤキやアサダ、ハルニレに近い。

通常、常緑樹で構成された森の林床は薄暗くなります。彼らは同じ葉を2〜3年使い続けるため、葉を分厚くして、その耐久性を高めているのです。結果として、堅牢な林冠ができあがり、日光が遮断される。日本の照葉樹林がそのいい例でしょう。

ナンキョクブナの葉も冬越しを想定したつくりになっていて、結構分厚い。なのにも関わらず、林床は落葉広葉樹林である日本のブナ林並みに明るいのです。
これはなぜか?
理由は大きく2つです。

①そもそもナンキョクブナの葉は小さい。しかも、それほど葉を密生させない。それゆえ、林冠における葉の密度は低く、結果的に光を通す。
②ナンキョクブナ林の樹種多様性は、かなり低い。階層構造がごく単純で、中高木層に該当する樹種はほとんど見られない。つまり、”枝葉のレイヤー”の枚数が少ない。そのため、上空から林内に入った光は枝葉に絡め取られずに林床まで降りてくる。


↑ナンキョクブナは階層的に枝を広げる。これは、上空からの日光が林冠を透過する、ということを承知してのからだの構造。日本のスダジイがつくる樹冠は、日光を透過させないため、樹は森の最上層でしか葉を茂らせることができない。同じ常緑樹でも、日本の照葉樹とナンキョクブナでは、生活スタイルが全く異なるのである。


↑日本のブナ林と、ナンキョクブナ林の断面の比較。ナンキョクブナ林の植生はごく単純なのがわかる

上記のうち、興味深いのはやはり②。

日本の原生的なブナ林では、ブナ以外にも数十種の樹種が生育していることがほとんどです。例えば、局地的に湿った土地ではトチノキやサワグルミ、カツラが出現しますし、尾根筋ではミズナラが優勢になります。四国や紀伊半島では、ここにヤマグルマやツガ、リョウブも混じります。
立体的な樹種の配置も複雑で、低木層にはヒメアオキ、エゾユズリハ、ツノハシバミ、中高木層にはタンナサワフタギ、エゴノキ、コハウチワカエデ…と、挙げはじめたらキリがありません。いくつもの樹種が細かな棲み分けを行なって、独自のネットワークを構築している場所。それが日本のブナ林なのです。


↑ナンキョクブナ林を少し小高いところから見ると、階層構造がわかる。低木層はアカナンキョクブナの幼木、中高木層はアカナンキョクブナの若木、高木層はアカナンキョクブナの成木〜大木。森の階層を、複数の樹種ではなく、単一の樹種の異なる世代でシェアしているところが、日本のブナ林との大きな違い。

一方ナンキョクブナ林の樹種組成は単純明快。アカナンキョクブナ。殆どこれで終わりです。もちろん林縁部には、コプロズマ(アカネ科の低木)やコトゥクトゥク(ツリーフクシア、アカバナ科の低木)など、陽樹の低木が何種類か見られるのですが、森の内部で観察できるのはアカナンキョクブナだけと言っていいでしょう。適湿地でも、沢沿いでも、ずーっとアカナンキョクブナ一強の森が続きます。

ニュージーランドに生育する木本植物はわずか500種ほど。日本の半分以下です。ましてや、ナンキョクブナ林が成立するのは冷涼かつ土壌が痩せた場所で、樹木が暮らすのにあまりいい環境ではありません。それゆえニッチがガラ空きになってしまい、結果として広い範囲をナンキョクブナが独占することになるのです。


↑湿った土地に生えていたアカナンキョクブナの大木。土壌の堆積地に生育するため、板根を発達させる。この生活スタイルは日本で言うとブナというよりハルニレに近い。つまり、日本の森ではハルニレが利用しているニッチ(湿った土壌堆積地)は、ニュージーランドではナンキョクブナの手に渡っている、ということ。

ナンキョクブナ林の単純な植生を見ていると、日本のブナ林の凄さを実感しました。

同じ空間に数十種の樹種がひしめき合い、土壌の特性がチョット変わっただけで森の様相はガラッと変化する。寒冷な雪国で、ここまで複雑な植生が展開されている、というのは世界的に見ても珍しいのではないでしょうか。
青森の奥入瀬渓流を歩いていると、頻繁に森林タイプが変化して、樹木の観察がやたらと忙しくなったのを覚えていますが、あれは中々レアな体験だったのだなあ。

↑個人的にタイプだったアカナンキョクブナの大木。板根のうねりが好き。

ニュージーランドの樹木図鑑では、ナンキョクブナ林はこう紹介されています。

ブナ林に生育する樹種はごくわずかで、視界が枝葉に遮られることは少ない。よく開けたブナ林は、 非常に歩きやすく、道が無かったとしても分厚く堆積した落ち葉の上をどこまでも進んでいける。低木が乏しいので、大木の幹の連続を観察することができ、それはさながら神殿のような空気感だ

John Dawson , Rob Lucas “New Zealand’s Native Trees “

この記述、ロトクラ湖のナンキョクブナ林の景観そのままです。

ナンキョクブナの森は、本当に歩きやすいし、見通しも効く。小高い起伏に登れば、赤茶けた幹の林立がはるか彼方まで続いているのが見て取れます。とてつもなく深々しく、静寂な空間…。
ニュージーランドは確かに「森の国」なのです。植生が改変されすぎて、その面影はずいぶん薄くなっていますが…。


↑アカナンキョクブナの大木を下から仰ぎ見る

少なくとも、ヨーロッパ人がニュージーランドに初上陸した17世紀ごろ、本州と同じくらいの面積のこの群島は、今目の前に広がっているような深い深い原生林で覆われていたのです。その”証拠”を見られた、というのが何よりも嬉しい。


↑こちらが件のロトクラ湖。水を飲んでみようと思ったのだけれど、湖岸の泥が深すぎて湖面まで辿り着けなかった。

しかし、どこまでも続くアカナンキョクブナの樹海の底を探索していると、だんだん怖くなってきました。ここはルアペフの裾野。お皿の縁のような、変化のない傾斜がずーっと続くだけの地形です。この森の深淵に吸い込まれてしまったら、本当に抜け出せないでしょう。
この国の人口密度は日本の17分の1。森の奥で迷った場合、人間はおろか、人工物に出会える確率すらかなり低い。

世界一先進的な自然保護を進めているこの国の国立公園には、とてつもなく純度が高い原生自然が残っています。そういう場所は、僕のような森歩き愛好家を惹きつけてやみませんが、時として、静かに人の生命を奪うことだってあるのです。

「ニュージーランドの奥地の自然を舐めるなよ」と、森から戒められたような気がして、樹海の奥へと進むあゆみをとめて、遊歩道へ戻りました。

地図は森がつくる


↑アカナンキョクブナの大木


ロトクラ湖を訪れる前夜、ダニエルさんはこんなことを言っていました。

「ブナは、マオリ語でタファイ・ラウヌイ(Tawhai-raunui)  と言うんだ。ブナの根を煎じて飲むと、傷口の治りが早くなる。だから私は、いまでも怪我をしたらブナを探すんだ。カワカワとブナがあったら、もう医者なんていらないさ。
それだけじゃない。ブナの森は、全ての水の源なんだ。ニュージーランドの地図は、ブナの森が作っているんだよ。森は私たちのグランドファザーさ」

タウランガの家に帰って、改めてルアペフ近辺の地図を眺めてみると、「地図は森がつくる」という言葉の意味がわかりました。

ルアペフ山の裾野からは、数え切れないほど多くの川が流れ出しているのです。その中には、ニュージーランド最長のワイカト川も含まれます。

↑ルアペフ山を源頭とする河川。ワイカト川は、ルアペフ山の北東麓に端を発し、タウポ湖を経由してワイカト平野を潤した後、オークランドの南でタスマン海に流れ出る(全長425km)。ロトクラ湖で湧き出した水は、そのまま沢となって南下し、ファンガエフ川に合流して北島南岸のタスマン海に注ぐ。

前述の通り、寒冷で土壌が痩せたルアペフ山麓は、樹木の生育には向かない土地。そんな場所で森を作れる樹は、ニュージーランドではナンキョクブナしかいないのです。

つまり、ルアペフの山肌に降った雨は、全てナンキョクブナによって土壌に溜め込まれ、大小いくつもの沢に再配分される。その沢が、やがて大きな川となり、北島の各所を水で潤してゆくのです。それらの川が刻んだ地形は、開拓時代以前はマオリの交通路として利用され、部族間の抗争、交易等、ニュージーランドの歴史の舞台となりました。ヨーロッパ人の入植以降は、川の水資源を基盤に、今に続くニュージーランドの酪農産業の土台が築かれました。

ブナ林が川を産み、川は歴史を産み、歴史は地誌をつくる。
「森が地図をつくる」というのは、比喩ではなくれっきとした事実なのです。

旅の最初は、延々と続く牧草の海に辟易としてしまいましたが、その向こう側で、こんなにも素晴らしい天然林に出会えるとは。

もし車が壊れていなかったら、ダニエルさんの家にも寄っていないでしょうから、ロトクラ湖のブナ林に行くこともなかったでしょう。そう考えると、何か運命的なものを感じます。僕はブナ林の神様(?)に助けられたのかな?

何はともあれ、初のニュージーランドでの森巡りは、大成功に終わりました。でもあのレンタカー屋は、もう2度と使わないぞ。

<参考文献>
・ John Dawson ,Rob Lucas(2019) New Zealand’s Native Trees(2nd),Potton & Burton
・水利科学研究所(1997)”氷河時代と森林”
 https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010562028.pdf
・Qiong Cai, Erik Welk (2021)The relationship between niche breadth and range size of beech (Fagus) species worldwide
 https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/jbi.14074
・Research & Publishing Group at Manatū Taonga Ministry for Culture and Heritage(2007)Story: Southern beech forest
   southern-beech-forest
・ Department of Conservation(2006) Beech forests beech-forest
・New Zealand Plant Conservation Network (2001) Plants list of Lake Rotokura Loop https://www.nzpcn.org.nz/publications/plant-lists/plant-lists-by-region/lake-rotokura-loop-rangitaua-rotk/
・John Dawson(1988) Forest vines to snow tussocks: the story of New Zealand plants
・Research & Publishing Group at Manatū Taonga Ministry for Culture and Heritage(2010) City history and peoplepage-5
・Research & Publishing Group at Manatū Taonga Ministry for Culture and Heritage(2007) Logging native forests https://teara.govt.nz/en/city-history-and-people/page-5
・Research & Publishing Group at Manatū Taonga Ministry for Culture and Heritage(2007) Deforestation of New Zealand
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