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むかつくのは、あの人じゃない、何もできない自分だ

泣くほど嫉妬したことがあるだろうか。

ある学びの場で一緒だった方を、最近、メディアで見かけた。
私がやりたかったこと、もっと言えば、仕事にしたいと思っていたけれどもどのように形作っていけばいいかわからなかったことを、うまくビシネスとして軌道に乗せているようだった。

どす黒い感情が激流のように渦巻いて、でも流れる先がなくて、同じ場所でごうごうと回っているだけだった。
彼女の書いた文章を読んで、一読者として感銘を受けた。そのことに泣いた。

うらやましい。
そういうふうにやればよかったんだ。
なんで私じゃなかったんだろう。

どうしてかはよくわかる。私は何も、行動に移さなかったからだ。

あの時は、つい数年前までは、私もあの人も同じステージにいたのに、という思いが悔しさに拍車をかける。
でも彼女はきっと、時間も神経もその仕事に使っていたはずだ。私も同じだけの時間を持っていたけれど、別のことに使ってしまった。言い訳はいくらでも思い浮かぶ。この数年に成し遂げたこと、私にだってある。だけれども、その仕事の点においては……。

こうした感情をあまり抱いたことがなくて、自分でも困惑している。私は自己肯定感が高い方で、言い訳をするのと自分を甘やかすのがうまい。それでも今回ばかりは自分をごまかせなかったのは、自分の根幹にあるほどの「やりたいこと」に触れることだったからだ。

そんなにやりたいことなら、やればいいじゃないか。
今日から、今から、この瞬間から。

家族が、子どもが、引っ越しが、健康が……。ほら、得意の言い訳がたくさん思い浮かぶ。
ふせんにひとつひとつ書いた私のやることリストには、「誰かに望まれていること」が多い。主に家族のためのこと。これを用意するとかあれを作るとか、物理的なこと。
「私が望んでいること」、これはやらなくても誰にも迷惑をかけない。望んでいるのは私だけだ。そうすると優先順位が低くなってしまう。

みんな、どうやってこのバランスをとっているのだろう。24時間をどう使っているのだろう。

私のことにも、私の時間をもっと使ってもいいのかなあ。
時間があればやるのか? という問題もあるけれど。
時間と気持ちと、両方が問題なんだなあ。

自分のやりたいこと、を強く思い出したのはある人がきっかけだったけれども、私はきっと「あの人」になりたいわけじゃない。なれるわけでもない。

他者の存在で自分の問題が強く浮き彫りになることも、ある。

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