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自分がラクでいられる”嫌い方”

こんにちは!最近社員証のストラップに「麻雀牌」のキーホルダーをぶら下げていたことで、それきっかけで「麻雀好きなんですか?」と話を振られ、また麻雀仲間を一人ゲットした、はるねずみです。

対戦のためにディスコードIDを作成し、連絡先交換した初日の深夜~朝方にかけて、オンライン対戦でいきなり4時間も対局してしまいました。おかげさまで絶賛寝不足ですが・・・対戦中のチャットのやり取りも含め、こういう感覚は久々で面白かったです。

と、いう話はさておいて・・・

ここ1~2か月くらいの間、職場の何人かの人と連絡先を交換したり、ご飯行ったり家にお邪魔したり、オンライン麻雀したり・・・そういう、プライベートな交流がちょこちょことありました。

このnoteでも何度もお話してきたとおり、私は「友達」がとても少ないです。

よく「学生時代の友達は一生大事するべきだ」みたいな話を聞きます。利害関係のない、純粋な友達?だからという意味で・・・

私が小学、中学、高校、大学という学生時代を経て、今でも連絡を取り合っている友達は、1人か2人、かなり範囲を広げても片手で収まるくらいだと思います。

社会人になってからできた友達も、職場が変わるたびに付き合いが自然消滅していって、LINEや電話番号などの連絡先だけ残っているけど、SNSで繋がっているわけでもないので、今どうしているのか、生きているのかも何も知りません。

自分の気持ちや好き嫌いを素直に伝えたり、ありのままの自分を見せるといったことが苦手で、いつも相手に合わせて機嫌を取ることばかり考えてきたため、「何を考えているかわからない」「不思議」「演技しているみたい」と思わせてしまい、結局深くわかりあえないまま、浅くしか付き合えず、そのぶんアッサリ別れてきたんですね。

仲良くなれたとしても、それは一時的なもの。相手はもちろん、自分の気持ちもいつ変わるかわからないですし、これからさきも「一生もの」の友情を築ける自信はありません。

だから、ここ数年は「友達づくり」も諦めていました。

この春までは、どうしても仕事で達成したいことがあり、そのための理解や協力を得る目的で、周りの人に好かれる努力をしてきましたが、それも無事終わって、「もういいや」「疲れた」と、自分から周りの人に働きかけるのをやめて、とても消極的になっていました。

それが、さきほど話したように、ここ1~2か月くらいの間で、たまたま席が隣になって話をしたときに盛り上がったり、身に着けているものをきっかけに趣味ついて話せたりして、自然と仲良く(?)なれる機会に恵まれたんですね。

なんだかんだ言って、嬉しいです。

ただ、少し悩むこともあります。

「職場」という小さなコミュニティの中では、どうしても「あの人嫌い」「この人はイヤ」っていう、それぞれの好き嫌いがあったりするんですよね。

一人一人にたいして思うだけではなく、「この人、あの人と仲良くしてるんだ。それってどうなんだろう(この人もどうせあの人みたいな人なんじゃ?)」というように、類は友を呼ぶ的な考えで、「誰と誰が仲良くしているのか」も、自分が相手から見られるときの判断材料にされることがあります。


グループか孤立か

私は学生の頃から社会人になってからも、「グループ」「派閥」というものが苦手でした。「仲良しグループ」に一切属していなかったわけではなく、高校生の頃はお昼ご飯を食べるときだけはいつも決まったメンバーで机を囲み、そこに混ざって談笑しながら食べていました。

ただ、どうしてもそのグループにいたいとか、そのために頑張らなきゃ・・・みたいなのは苦手です。

どんなに結束が強くても、意外と些細なことがきっかけで、裏切られたり裏切ったり、嫉妬されて嫌われたりマウントの取り合いとか・・・表面上は「仲良しグループ」でも、陰で悪口を言っていたり。

そういうのを何度も目にしてきたし、経験もあるので、逆に「グループ」って怖いとすら思います。

いつも同じメンバーと一緒にいて、それに安心していても、いつ何がきっかけで突然ひとりぼっちになるかわかりません。

最初からひとりぼっちよりも、突然はじかれる方が恥ずかしいし惨めだし、それまでと今を比べて辛くなると思います。自分を責めたり、相手を憎んだり・・・

だからなるべく、グループは派閥に属さずに、「浮いている」「どっちつかず」「孤立している」と思われたとしても、どちらにも肩入れせず、少し距離を置くようにしてきました。(それが原因で「あなたはどっちの味方なの!」と咎められることもありましたが…)


よくある板挟み

・・・で、少し脱線しちゃったのですが。

何が言いたいのかというと、私は「グループ」「派閥」にそこまで絶大な信頼を寄せていないからこそ、なるべく人を「個人」で見ることを心掛けています。

誰と誰が仲良くしているから、彼らは同類だ。

そういう見方を全くしないわけではないんですけど・・・

もし、「仲良くしたい」「この人とは気が合うな」「一緒にいて楽しいな」と思う相手だったら、その人が私の苦手な人とも仲良くしていたとしても、そこは気にしないように努めます。

ただ、最近人と関わる中で、そういうことが原因のトラブル?が実際にありました。

私が仲良くし始めて1年近くになる人と、最近仲良くなり始めた人が、お互いに嫌い合うようになってしまったんですね。

そのため、それぞれからそれぞれの不満や不信感からくる愚痴を聞く立場になりました。

どちらかの肩を持つ、ということはリスクがあるのでなるべくしたくはないけれど、自分の意見は素直に話した方が誠実なような気もして。かと言って、それぞれが私に打ち明けてくれたことを、許可なく第三者に漏らす(たとえ良かれと思ってだとしても)のも良くないし。

自分が仲良くしている人達だから、その二人も仲良くなって、三人で遊んだりできたらいいなと思っていただけに、残念ではありました。


嫌い続けるのもしんどい

とは言え、私も、関わっている一人一人を見た時には、「この人のこういうところ嫌だな」「こういう言い方されるのむかつくな」「浅い付き合いならいいけど、正直あまり信用はできないな」など、思うことはあります。

誰でもそうだと思いますが、どんなに相性がいい部分があっても、合わない部分や理解できない部分、好きになれない欠点って、どんな相手にもあると思うんですよね・・・

そこを妥協するというか、「確かに○○なところはあるけど、△△なところが好きだ(楽しい、尊敬できる)から」と、良い部分の方により魅力を感じられれば、全部が全部好きじゃなくても許せるんですよね。

むしろ、私は以前までは人の嫌なところばかり目について、食わず嫌いならぬ「知らず嫌い」をし、簡単に人のことを嫌いになって、周りを嫌いな人だらけにしていました。そうやって人を見下したり敵とみなすことで、自分がひとりぼっちなのを正当化し、安心しようとしていたのかもしれません。

ただ、嫌うことって「あんまり得がないな」と思い始めたんですよね。

何時間も嫌いだ許せないだという思考に使って他の事が何もできず時間を無駄にしたり、「なんであの人があんなに好かれるんだ」と嫉妬したりしていると、自分の時間もエネルギーもかなり消耗してしまいます。そして、何も残らず、ただどんどん孤独になっていきます。

そういう考え方が、ある日突然変わった!というわけじゃなくて、気がついたら・・・みたいなゆるやかな変化ではありました。


癖の強さも魅力の一つ

職場にも学校にも、色んなタイプの人がいます。短所も長所も個性も兼ね備えて、どこが突出しているかもバラバラです。それに、見る人によっては短所が長所に見えたりするし、結局は相性の問題なんですよね。

「えっ・・・この人、こんなにデリカシーのないことをいつもバンバン口に出してるのに、どうしていつも周りに人がいるんだろう?」

私からはそう見えて、驚くような人もいました。自分なら嫌われるのが怖くて絶対にできない(言えない)ようなことを、平気でできてしまう人です。

ただ、私はなんだかんだ、その人のことが好きでした。

それだけ裏表とか損得勘定がないということでもあるし、怒っているときも嬉しいときもわかりやすくて、色々深読みしすぎてしまう私にとっては、かえって付き合いやすい相手でもあったんですね。

こんな風に話していると、めちゃめちゃ上から目線な感じがしますけど・・・誰とも絶対に合わなくてどこにも居場所がない人っていない気がします。(自分も含めて…そうであってほしい)


コジコジ

最近アニメ『コジコジ』をYoutube公式チャンネルで観ているのですが、全100話中ようやく46話まで観ました。

主人公のコジコジは、宇宙の子。緑色の帽子のようなものをいつも被っていて、空を飛べます。くまなのか人間なのか、何の生き物なのかよくわからない見た目をしていて、性別も不明。お父さんもお母さんもいなくて、家もありません。「何言ってるんだおまえ」というツッコミをクラスメイトたちからいつもされるくらい、ド天然というか、一周回って本質を見ている、核心をついているとも言えるような発言、空気を読まず突拍子もない行動を取ったりします。

主人公だけでなく、コジコジの住む「メルヘンの国」の住人たちや、将来”りっぱなメルヘンもの”になるために勉強している「3年インコ組」クラスメイトたちは、誰も個性あふれる面々です。

仲間がピンチのときには体を張って助けようと動く友達思いの優しいいい子もいれば、いつでも「私はすごいんだぞ!えらいんだぞ!」と承認欲求が強い子もいたり、仲間でも誰でも自分の私利私欲のために騙したり傷つけたりを平気でしてしまう悪者もいたりします。

でも、それぞれの個性がお互いの良さも引き立てているし、普段と状況が変われば違う一面が見えたりもして、どのキャラクターも憎めないところがあり、大好きです。

(今のところ私が特に好きなキャラクターは、コジコジはもちろん、ゲラン、スージー、ジョニー&ハレハレくんです)

コジコジのアニメは一話完結型のストーリーになっているので、全100話ありますが、どの回を見ても楽しめるようになっています。

そして、回ごとに色々なキャラクターにスポットが当たっていて、他の回ではちらっとしか登場しなかったキャラのことも、その回でよく知ると「あ、好きかも」と思えたりするんですね。それに、見れば見るほど愛着もわいて、いつの間にか欠点も含めて好きになれています。


コジコジの世界を、自分の生きている世界に置き換えると・・・

職場や学校の人も、なんだかんだコジコジに出てくるキャラに当てはめられるような気がして。すでに愛着のあるコジコジ内のキャラのイメージを重ねることで、間接的にその人達にちょこっと好感を持てるというか、「憎めないな」という気持ちが生まれることに気が付きました。


まとめ

はい。またいつもの通り風呂敷広げすぎちゃいました!w

何が言いたかったのかというと・・・

嫌うのも疲れるから、ラクでいるために「嫌いな人をいかに作らないか」を考えて気づいたことを話してみました。

簡単にまとめてみます!


・一個人に目を向ける
誰と仲良くしているか、どんなグループに所属しているかで判断したり見切ろうとする前に、本人と話して聴き、本人を見る。属しているグループや友達関係だけでは、その人の本心や信念まではわからない。

・短所だけでなく長所に目を向け、一場面で判断しない
どんなに人にも長所と短所があり、その割合や凸凹具合は人それぞれ。だけど状況によってそのバランスは変化したり、普段見えないところが見えることもある。コジコジの登場人物たちを見るとイメージがしやすい。


てな感じです。


その人の「短所」と距離を取る

周りの人全員のことを、長所も短所も受け入れて100%全部大好き!と言える人がいたらすごいです。でもそれは難しい。

嫌いなところがあっても、他に「大好き」「めちゃめちゃ合う」なところがあるなら、「その人自身」をまるごと嫌いになってしまうのはもったいない気がします。

私はこれまで、嫌うこと自体が「悪」だと思っていたし、「この日とのここが嫌い」と思ったり言ったりすることも怖かったです。(その発言をする自分がどう思われるか気にして)

でも、「その人自身」じゃなくて「その人のこういう部分」を嫌いなだけなら、それは誰にでもあること、100%好きなんてあり得ないんだから、「嫌いだな」「嫌だな」と思う自分のその気持ちを否定することはしなくていいんじゃないかと思えてきました。

もちろん、傷つけられた、許せないことをされた、長所を見られないくらい嫌な部分しか見えてこない。という相手もいると思いますし、そういう相手を無理に好きになろうとするのはかえって辛いので、そんな努力はしない方が良いと思います。

だけど、そこまでじゃないなら、他に良いところがありそうならそこに目を向けて、「その人自身」というより、その人の「短所」とどう距離を取るか、どう対処するのかを考えるといいのかな~~と。

たとえば、いつも自慢ばかり話してきたり、マウントを取ってこようとするという短所がある人がいたとします。でも、面倒見が良くて頼りになったり、情に厚い部分があったり、豪快に笑って場を明るくしてくれるという長所もあって、自分がそこに魅力を感じているとして・・・

「自慢ばかりするマウント野郎!」と見て、長所を無視して嫌いになるのは簡単だけど・・・でも、それ以外の話をしているときは「一緒にいて楽しい」と感じるなら、自慢やマウント(短所)は「すごいですね~」とテキト~~に受け流すとか、そうすればいいのかなって。
(相手ももし、自分と仲良くしたいと思ってくれていたら、その反応を見るにつれて自慢話など控えるようになる”かも”しれない。←あまり期待しないが吉?)


自分が人を嫌って、自分の周りを「嫌いな人」だらけにするよりも、「なんだかんだ憎めないやつ」に囲まれているほうが、楽しいし、「嫌いな部分」をうまくスルーすることで、自分もラクに接することができると思います。

距離を取ったり、見る角度を変えたりして、なるべく良い面が見えるように、自分の立ち位置・目線、そばにいる時間を変えてみる。

私は、これからそういう風にできたらいいなって思います。



最後まで読んでいただきありがとうございました!

コジコジ、Youtubeで無料で全話(たぶん)見られるし、めっちゃ面白いし可愛いし泣けるし笑えるし深いし・・・おすすめです。もっと早く見ていればよかったなー。

ではでは!また次の記事でお会いしましょう!


P.S. 前回の「子どもを産まない代わりに」の記事で、たくさんのスキ!をいただけて驚いています。フォローまでしてくださった方も…ありがとうございます!人生手探りですが、そのときの素直な気持ちをどこで話すよりも正直に、書いていきます。よろしくお願いいたします。

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