LGBTとアダルトチルドレン【共通点】
はじめに
今から話すことには語弊があったり、意図せず誤解を招く恐れがあるかもしれません。
できる限り言葉選びには注意しますが、私の理解や知識も不十分で、配慮に欠けるところがあったら申し訳ございません。
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LGBTについて
私は、数年前からLGBTの方に興味を持つようになりました。性別違和を抱えるトランスジェンダーや、同性愛者の方、あるいはその両方の方、性別という概念を持たない方、などなど・・・
最近ではその当事者の方々が、YoutubeやTwitterなどのSNSで積極的に発信しており、その結果、社会でもそうした方々の権利が尊重されたり、相談し合える仲間が見つかりやすくなったりと、少しずつではありますが、生きやすい世の中になってきているように見えます。
こうした社会の変化はきっと、勇気を出して声を上げた方々の努力の賜物ですよね。
知ったきっかけ
私の身近には、(私の知る限り)当事者の方は今まで一人もいませんでした。
だから、何がきっかけで自分が興味を持つようになったのか、今では忘れてしまったのですが、最初はYoutubeで当事者の方々の話を聞きました。
中でも、「トランスジェンダー」「性同一性障害」「FTM(MTF)」と呼ばれる方々の体験が興味深かったです。自分の本来(心)の性別と肉体の性別が一致していない方のことです。
女性として生まれたけれど心は男性、男性として生まれたけれど心は女性。また、その上で恋愛対象が異性か同性かでも枝分かれしていきます。
そうした方々のリアルな体験談を通して、本来の性別に肉体を合わせていくためのホルモン注射や性別適合手術、その後戸籍上の性別を変更するための書類上の手続きのこと、術後のケアなど、当事者でなければ知り得ないようなことを色々知りました。
LGBT当事者の悩み
私はLGBT当事者ではなく、肉体と心の性別ともに女性で、恋愛対象は男性です。そして、先ほど申し上げたように、身近にも当事者の方はいませんでした。
だから、本来私にとっては「遠い話」「何もかもが未知の領域」であり、当事者の方々の苦悩や葛藤は、想像もできないものかもしれません。
ただ、私は色々な方の人生に目や耳を傾ける中で、私自身と重なる部分が多いと感じてきました。
たとえば、LGBT当事者の方々に共通する悩みの多くに、
ということが挙げられていました。
そしてこれらはすべて、私自身にも当てはまるものでした。
アダルトチルドレン?
両親が離婚再婚を繰り返し、父親違いの妹弟がいて、何度も引っ越しを経験し、「家族の形」が何度も変わるという、ワケありな家庭環境で育った私。
妹弟が生まれたあと、中学・高校時代は家に居場所がなく、いつも義父の目付きや言葉、態度、存在そのものに怯えながら暮らしていました。
お小遣いは貰っていたし、食事は与えてもらい学費も出してもらっていました。なので経済的に不便したことは無かったものの、精神的には、愛されなかった、虐げられていた、尊重されなかったという自覚があります。
子どもの頃から、両親や周りの大人に気を遣い、相手がどうしたら喜ぶかを考えて行動や発言をしていました。
わがままや反抗的な態度、暴言、感情を顔に出すなど、そういうことは殆どありませんでした。(そんなことをしたらどんな目に遭うかを考えたら、できるわけがありませんでした。)
こうした親の元、子ども時代に子どもらしく自由でいられなかった私は、大人になった今、その反動やトラウマに悩んでいます。
「アダルトチルドレン」と呼ばれる人の共通点の多くが私にも当てはまるため、自分がそれに該当すると認識しています。
親にこそ話せない悩み
愛されている・愛されていないに関わらず、LGBT当事者の方は両親に本当のことを打ち明けづらい状況があります。
愛されていて関係が良好であれば、自分がLGBTであることを打ち明けることで、
と心配になるでしょう。
逆に、関係が悪い場合でも、カミングアウトすることで余計に悪化することを恐れると思います。
私の場合も、自分がアダルトチルドレンだとか毒親育ちだとか”両親が直接的な原因を作ったような悩み”を、本人たちに打ち明けるなんて到底できません(;'∀')
たとえ本心を話したとしても、逆上される恐れもありますし、そうでなくても理解されずに人格ごと否定されて傷つくかもしれません。
それに、もし謝られても・・・果たしてそれを自分が受け入れられるのかもわかりません。
乗り越えているのかどうか
「悩みに共感できるから」ということだけが理由なら、LGBTに限らず、むしろもっと近い経験を持つ「アダルトチルドレン」「毒親育ち」の方々に近づこうとするはずですよね。
けれど、私の場合、そうした方々の発信を読んだり聞いたりすることはあまり多くありません。
発信されている内容やその人本人に興味を持つ理由が何なのかを考えてみると、次のようなポイントがあるのだと気づきました。
あくまでも、「毒親育ち」を「過去」として割り切ることができていて、その上で今の問題や悩みに取り組んでいる、あるいは取り組んだ結果幸せに生きている。
その姿が見たい、どうすればそうなれるかを知りたいんだなと思います。
もちろん、寂しい気持ちや悲しみ、苦しみにも心から共感します。そうした体験や感情に触れれば、私も当時を思い出して辛くなると思います。
でも、そういう感傷に浸るのは自分のことだけでいっぱいいっぱいというか・・・そうしようと思えばどこまでも落ちていってしまえる分、そうした場所からはあえて離れるようにしているんですよね。
LGBTとして発信されている方(私が知ることのできた範囲)には、すでに当時のことを「過去」として乗り越え、「今」の幸せを楽しんでいる方が多いように思います。
そして、自身の経験したことや得た知識を、同じように悩む人のために生かそうとされています。
背景や根本的な部分は全然違うけれど、それでもかなり似た悩みを持った方々が、そうして自分以外の方々に勇気や希望を与えたり、背中を押す手助けをしている姿を見ると、とても明るい気持ちになれます。
アダルトチルドレンの発信
もちろん、アダルトチルドレンや毒親育ちの方のなかにも、そうした方々が多くいらっしゃいます。
自身の経験を話すことで、同じような悩みを誰にも相談できなかった人が初めて「私もそうでした」と打ち明けられる勇気を与えたり、乗り越えた方法もきっと誰かの参考になると思います。
今乗り越えようとしている人も、その状況を発信することで「お互い頑張りましょう」と励まし合う仲間が見つかるかもしれません。
というやり取りでも癒されることはあると思うのですが、そうしているうちに、
と、お互いの「辛さ比べ」になってしまったら、余計悩んでしまうと思います。「自分の悩みなんてこの程度だから」みたいに。
だから私も、こういう系の発信するときは、自分の辛さを誰かと比べたりはしないようにしなきゃなと思っています。
また、「辛すぎる。以上」とはなるべくならないように気を付けています。
乗り越えられた!と胸を張って言うことはまだまだできなくても、「乗り越えようとしている」という姿勢ではいたいです。
自分にとって、過去の話をすることの意味は、
と、気を遣わせてしまうことではなくて、
と伝えることにあります。
昔は過去のことを理由にして「でも」「だって」「どうせ」が口癖で、友達からもよく指摘されていました。
今は、どうしたら前向きな言葉や気持ちに変換できるかを考えています。
これって結局、一番は自分のためなんですよね。
かつて、「だって自分は~~だから、~~できるわけないじゃん」と、自分の限界を決めつけていた私自身のために、今頑張っているんだと思います。
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要するに
・・・・さて、ちょっと何言ってるかわからなくなってきたので、今日はこの辺にしておきます!!
要するに、
というお話でした😂
最後までお読みいただきありがとうございました!
また次回の記事でお会いしましょう!(*´ω`)ノ
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