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『好き』で紡ぐ「本当の自分」

つくられた自分

『自分を出したら嫌われる』いつからか、こう思っていました。

『この程度じゃだめだ』『こうあるべきだ』『だってこう思われてるんだから』と自分に言い聞かせ、周囲に期待される自分になろうとがんじがらめになっていました。『それでいいんだよ』よりも『なんでそうなの(できないの?)』と言われる方が、多かったからかもしれません。

『勉強ができる真面目な子』『頑張り屋さん』『世話好きなお姉ちゃん』

母にも祖父母にも同級生にも部活の先輩後輩にも、そういうイメージを持たれていた中学・高校時代。中学の吹奏楽部では友達が一人しかいませんでしたが、定期演奏会のパンフレットで『頑張り屋さんランキング』に名前が載ると『見てくれている人がいるんだ!』と嬉しくなり、ますます練習に打ち込みました。

『いつもニコニコしてるね』『なに笑ってるの?』『気持ち悪い』

笑顔でいるのは、楽しくて幸せで面白いことがあったからばかりじゃない。緊張して顔が強ばったり、相手の本心がわからない恐怖からヘラヘラしてしまったり、嫌われたくなくて愛想を振りまいているだけだったりと、感情の裏返しでもありました。笑っちゃいけない場面でもにやけていることが多くて、そのたびに『おかしいですよね~、よく言われます』と自分でネタにしてごまかしていました。

両親には反抗しない、学校では先生に質問をする、部活の練習は黙々とやる。いい子、いい生徒、いい部員であるよう努めていました。一方、そういう自分でいなければならないプレッシャーも同時に感じていて、本心に逆らうたびに心の中で黒々したものが渦巻いていました。

そうした努力が強いられる相手ほど、『愛されたい』という見返りを得るのは難しかったです。だから家ではいつも弟と二人きりでした。

増殖する自分

そもそも、『本当の自分』って何なのだろう。

親の言うことを聞く自分?兄弟と遊んでいる時の自分?友達の恋愛相談を聞いている自分?職場の同僚と仕事の愚痴で盛り上がっている自分?ネットの掲示板に書き込んでいる自分?恋人といるときの自分?

誰にも嫌われたくないから誰にでもいい顔をする。年齢性別性格も違う人たちにそれぞれ合わせていたら、『八方美人』『それ素なの?』『演技してるみたい』と言われるようになりました。

今でも『本当の自分』について説明を求められると困ってしまいます。

実際、このnoteの最初の記事で自己紹介文を書くときは何日も悩みました。できるだけ主観を交えずフラットな目線で、自分という人間の人格形成に影響を与えたであろう事実に触れながら、顔も見たことのない第三者へ誤解のないよう伝えること。これはすごく難しかったです。投稿した後も、『あれでよかったのかな』ともやもやしているくらいです。

自分を出すということ?

『これが嫌いだ!』『こういう人は嫌だ!』という「嫌いなもの」アピールは、趣味嗜好や人柄がわかりやすい反面、受け取る人によってはネガティブに捉えられる可能性も高いのであまり堂々とできないかな、と個人的には思っています。(もしもそれが好きな人、それに該当する人が見たときに意図せず傷つけてしまう恐れがあるから)

かと言って、「好きなもの」をアピールするのも不安でした。

『あなたのことには興味ない』『ノロケは鬱陶しい』『急に話しかけてきて、まさか空気読めない人?』『そんな話はチラシの裏に書いておけ』

そういう反応が返ってくるような気がしていたんです。誰も私のことなんか興味ないのだから、わざわざ声を大にして言う必要もない。聞かれた時に答えれば良いと思っていたんですよね。

だけど今、フリーランスとして一人で活動する中で、人から与えられる影響の大きさを感じるようになりました。

顔が見えないやり取りでも元気や癒しをもらえたり、日々の活動報告をする人に刺激されてやる気がわいてきたり。一人では生まれないアイディアが会話の中から生まれたりして、『繋がるって楽しい!』と気づいたんです。

そこで、繋がるきっかけを増やす目的で『私はこれが好き!』と声に出すようにしてみたんです。自己紹介の代わりに「好きなもの」アピールです!

「好きなもの」アピール

ここ最近、私はTwitterで自分の「好きなもの」についてどんどんアピール・反応するようになりました。

例えば・・・?

★フォロワーさんの「桃鉄友達募集!」というツイートを見かけて「桃鉄大好きです!」とリプライを送ってみた!

★友達同然に仲の良い夫を漫画に登場させて、夫が大好き!と惚気てみた!

★フォロワーさんの描いたイラストに、イイネ!だけでなく『色遣いが素敵です!』と感想を送ってみた!

★気になっていた録音ソフトを使っているフォロワーさんにリプで質問してみた!

すると、予想外の反応が・・・!

桃鉄友達を募集していたフォロワーさんから本当に『桃鉄やりましょう!』と誘っていただけたり、自分の描いた漫画に『癒される』『面白い』と感想をくれる人がいたり、コラボ配信に誘ってもらえたり、リプで交流した方と下の名前で呼び合えるようになったり、お相手からも気軽に話しかけてもらえるようになったり。

自分が好きなものを『好き!』と言うだけでほかに詳細な自己紹介がなくても、『この人、これが好きなんだ』『じゃあきっとこういう人なんだろうな~』『自分と趣味が合うかもな』と、想像してもらえるんですね。

さらに良いことが・・・!

「好きなもの」で繋がると、自然と会話の中身も『これのここがいいよね!』『一緒にやらない?』『めっちゃわかる~』とポジティブになりやすいです。明るく肯定的な言葉は聞いていて心が癒されるし、安心できて素直になれる気がします。

ポスターを貼る感覚で

今ひらめきました。

『こうあるべき』と、長い時間をかけて作ってきた「壁」は頑丈で、きっとそう簡単には壊せません。「本当の自分」と「つくられた自分」がかけ離れていればいるほど、他人と自分を隔てる「壁」は分厚くなるはずです。だから、今すぐ壊せなくてもいい。

壁でできた「人との距離」を埋めるため、まずは人に近づいてもらうところから始めれば良いのです。「好きなもの」アピールはそのためです。

たとえ話です。

自分=「お店」、好きなもの=「ポスター」、自分以外の人=「お客さん」に見立てます。

名前を書いた看板があるだけのお店より、ポスターが貼られているお店のほうがどんなお店かイメージがしやすくないですか?

さらにそれがお客さんの趣味嗜好に合うものであれば、『あれ、ここってこの間までなんのお店かわからなかったけど、こういうものがあるお店なんだ~。いいな!入ってみようかな』と目に留めてもらうことができ、タイミングが良ければドアを開けてもらえるかもしれません。

人もモノも万人に好かれるなんてものは存在しないので、ポスターを貼ることで『え~、自分には合わないな』『やめておこう…』と避けられたり、『悪趣味だな』と嫌われることもあるでしょう。さらには、『好きかもと思って入ってみたけど全然違った』『期待外れ』と、たとえ入ってもらえたとしても、がっかりされることだってあるかもしれません。

だけど、『なんのお店かわからない』という理由でお客さんが一人も来ないのと比べたら、『どんなお店か』をアピールして一人でもお客さんがきてくれる方が嬉しいし、気に入って常連さんになってくれたら感激ですよね。

だから、「好きなもの」をアピールすることにもリスクはあるけど、自分を知ってもらう、好きになってもらう近道であるとも思うんです。

『親近感を抱いています』

今朝、Twitterでフォロワーさんからこの言葉をいただけて嬉しくて胸がいっぱいになりました。

これまでの人生で、つくられた自分を演じ続け、『不思議』『何考えてるかわからない』と言われてきた私には、縁のない言葉だったからです。

共感してもらえる、好いてもらえるのって嬉しいですよね。だけど、実際それを相手に言葉で伝えるとなると、人それぞれハードルがあると思います。それを乗り越えてもらえたと思うと本当に心が温まりますし、私もこういう気持ちを人に与えたくなりました。

好きなものや内面のことを少しずつ打ち明けて、今まで以上に自分を知ってもらえるようになりました。それが、”「本当の自分」を出せるようになった”ということなのかどうかはわかりません。

わからないけど、”好きなものを『好き』と思う気持ち”は本当です。本当の言葉を紡いでいけば、いつの日か「本当の自分」が形づくられていくかもしれません。

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