「名もなき人」
子どもたちの通う保育園は市営団地に囲まれるようにして建っている。
「50年前に建てられたときはね、ここは子どもの送り迎えのための幼稚園バスで道が渋滞していたのに、今では訪問介護やデイサービスの車でいっぱいだよ。」
と、以前保育園からの帰り道、道ですれ違ったここで長年住んでいるおばあちゃんが、話してくれたことがあった。
実際、保育園の駐車場から保育園までの百メートルほどの道を歩いていると、出会うのは高齢の方がほとんどだ。
時速20km走行規制の団地の間を通る道路といえば、走っているのは保育園への送り迎えの車か、デイサービスの車。
おばあちゃんの話もうなずける。
時間は、時代は、こうして移り変わっていくんだ。
この場所を昔と比べて「寂れた」と表現する人もいるかもしれない。でも私はこの地域のちょっと他の場所よりもリズムがゆったりとした空気が嫌いではない。すれ違う人は保育園の人であれ、団地の人であれ、なんとなくみんなが挨拶を交わす。
子どもが足元の草に気を取られて突然しゃがんでも、舌打ちするような人もいない。
「あらあらかわいいねぇ」と目を細めて一緒に立ち止まってくれるか、にこやかな眼差しを向けてすれ違って行ってくれる人がほとんどだ。
そんな子どもたちと毎日歩く道に、いつも必ず作業所へのお迎えの車を待っている無口なおばあさんがいる。
おばあさんは笑うことは決してなく、雨の日以外はいつも必ず同じ時間に同じ場所、郵便ポストの隣の道路脇で立っている。私たちに目をくれることもない。
私ははじめ、正直挨拶するのが怖かった。話しかけない方がいいのかどうかもわからなかったし、そっとしておいた方がいいのかなとも思った。
でも、ある日長女がおばあさんに手を振った。
相変わらずおばあさんは長女の方を見るでもなく、いつも通り道の向こうを無表情で眺めていた。私は長女を抱き上げて、小さな声で「おはようございます」と言って立ち去った。
おばあさんと目が合うことはなく、長女を送った後は、もうお迎えの車がきていたのでおばあさんはいなかった。
けれど、その時から私は朝おばあさんに
「おはようございます」
と声をかけてみようと思った。
別に挨拶を返してもらいたいわけじゃなくて、おばあさんに今日もいい日になりますようにってなんとなく心ではいつもすれ違うたびに祈っていたから、それを「おはようございます」で伝えてみようと思った。
初めは、小さな声でしか伝えられなかったけど、私の方も慣れてきて、少しずつ普通に「おはようございます」と声をかけて通り過ぎていけるようになってきた。
すると、最近おばあさんが「おはようございます」とすれ違うと、軽く会釈をしてくれるようになったのだ。
相変わらずの無表情だけど、でも、私の「おはようございます」は、ちゃんとおばあさんの耳に届いていたことがわかって、なんだかとてもうれしくなった。
私はおばあさんの名前も知らないし、まだ目があったこともない。
それでも、私の一日の中でおばあさんは私の朝の始まりに欠かせない人になっている。
思い返してみると、そういう名前も知らない人たち、でも大切な人たちというのは私のこれまでの人生の中でたくさんいた。
生活のルーティンが変わればあっけなくもう会えなくなってしまう人たち。
カナダに住んでいた時の毎朝乗るバスの運転手さんや、
決まった時間に必ずすれ違う散歩中のおばあさん。
時間が経って、ふと過ぎ去った日常を思い出す時に、恋しくなるのは、そういう人たちの存在だ。
その人たちが今日も、この空の下のどこかで、元気で暮らしてくれていますようにと願うと同時に、歳を重ねるにつれ、もうきっと空に旅立った人たちも多いだろうなと思う。
こういう名前も知らない人たちとの出会いを、これからも日々の中で大切にしていきたいなと思う。
そして、私も誰かの日常の「名もなき人」として、誰かの日々に小さな花を添えるような人でありたい。