誰かの苦しさに、 心に、 寄り添うことは難しいけれど
才能や美しさ、お金や社会的成功。
多くの人が欲しいと願うものを手に入れても、精神的充足感を得られるとは限らない。
心から寄り添ってくれる誰かが、
たった1人でも良いから生きる支えになるような人が果たして存在していたのだろうか。
もし存在していたら、結果は違っていたのか。
あるいは一緒だったのだろうか。
◇
テラスハウスに出演していた木村花さんのインスタグラムを目にした。
最後の投稿は『愛してる、楽しく長生きしてね。ごめんね。』
どんな思いで最後にその言葉を投稿したのだろうと考えていたら涙が出てきた。
私は地上波で放映していた2014年を最後に、テラスハウスは観ていない。
だから彼女のことは今まで知らなかった。
それなのに涙するのはおかしな話かもしれないけれど、悲しくて仕方がなかった。
半年ほど前には、KARAのク・ハラさんの死について報道があった。
彼女は私よりたったの2個上の28歳だった。
才能や美しさ、お金や社会的成功。
多くの人が欲しいと願うものを手に入れても、精神的充足感を得られるとは限らない。
木村花さんも、ハラさんも、赤の他人からも確認できるのはSNSでの誹謗中傷だ。
けれど、それ以外にも苦しくなる理由は存在したのかもしれない。
ただ、いろんなことが相まり、私たちの想像を絶する辛さを感じていたのは間違いないだろう。
そう考えると、やり場のない気持ちに襲われる。
◇
私事ではあるが、あるとき体調を崩して入院せざるを得ないことがあった。
身体面の疾患で入院していたのだけど、
その当時私は精神的にも疲れ果てており、言葉通り心身ともにボロボロだった。
入院中はシャワーすら浴びることができない状態だったので、よく温かいおしぼりで顔や身体を拭っていた。
あるとき、いつものように顔を拭うためのおしぼりを受け取ると、1人の看護師さんがぽつりと呟いた。
「いろいろ、辛かったよね。」
たった一言。
されどその一言が、心に染みて涙がこぼれた。
自分のエゴや見返り、相手への期待。
そうしたものから離れて、この人はただ私の苦しさに寄り添おうとしてくれている。
それが少し救いになったのを今も記憶している。
◇
死を選択した人はきっと辛くてたまらなかったのに、その苦しみに寄り添ってくれる人に出会えなかったのかもしれない。
あるいは出会っていても、選択を変えるには及ばなかったのかもしれない。
どちらであったとしても、途方もなく苦しくて、悲しい。
そして今この瞬間も、死を選択するほどの苦しみに晒されている人はたくさん存在する。
SNSでの誹謗中傷だけじゃない。
著名人ではなくとも、誹謗中傷以外の理由でも、傷を負っている人は多いだろう。
そんな中、私というちっぽけな存在ができることは何だろう。
今も、これからも、自問自答し、考えつづけることになる問いかけを反復する。
◇
人の心はさまざまで、苦しさの理由も、感じ方も、異なる。
絶対的なものなど存在しないからこそ、心に寄り添うことは難しい。
それでも、私は寄り添うことを諦めたくない。
結果として誰かの救いにはなれなくとも、寄り添うことができなかったとしても、想像力とやさしさを持つことで、人を傷つけないようにありたい。
目指す姿までの道のりは遠い。けれど私は、諦めない。
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