日本の有田焼はリヒテンシュタインの宝物

渋谷Bunkamuraで開催している「リヒテンシュタイン公爵家の至宝展」に行ったのですが、佐賀の焼きもの旅後記とも言える学びがあったので、noteに起こします。

展覧会のタイトルにも「ヨーロッパの宝石箱」とあるように、順路はしばらく、うっとりするような絵画がずらり。
そんな中に登場した、古伊万里(有田焼)などの東洋磁器がテーマのコーナー
会場に行くまで、まさか1コーナーまるまる磁器だと思わなかったので、大興奮でした。

古伊万里についてのおさらい

日本で初めてつくられた磁器「有田焼」は、中国や朝鮮の影響を受けて発展した焼きもの。
器の形や絵付けの方法を真似して技術が高まり、15世紀から17世紀の大航海時代、国内で混乱が起こった中国に代わって、ヨーロッパへの輸出が始まりました。

器がつくられていたのは有田だけど、有田は山間の地域。船に乗せて輸出するには、海につながる伊万里まで出る必要がありました。
積荷の出所が伊万里だったから、有田焼だけど伊万里と呼ばれています。

実際輸出された磁器は、佐賀旅行記の中に写真が一枚だけあるので、参考に見てみてください^^
【さがたび DAY4】小さな有田の壮大なはなし|はるか #note https://note.mu/harumiz/n/n2614546b064a

お貴族様のステータス

リヒテンシュタインは、公爵家の名前がそのまま国名になっている珍しい国。スイスとオーストリアの間にあります。
公爵家には、「美しい美術品を集めることにこそお金を使うべき」という家訓があって、世界屈指のコレクションを有しているんだそう。

それから、ヨーロッパの王侯貴族は東洋磁器をインテリアや実用品として愛好し、所有することがステータスでした。

固くて、薄くて、透明感のある磁器、とりわけ白磁は珍重されたらしい。それから、鮮やかな赤や緑を使った色絵が人気になったようです。
でも、現代の外国の方に和柄が人気なのとは少し違う。なぜなら、当時ヨーロッパでは作ることができなかった品だから、だから珍重されたんだと思います。

遠くの国から輸入したという財力・権力。
全く文化の違うエキゾチックな絵柄や器の形。
そういうものも、自慢できたポイントだとは思うけど。
技術へのリスペクトというか、そういう気持ちもあったんじゃないか…あったらいいなと思います。

ポスターにもなってる絵が、お土産にありました。

優雅な銀器、シルクのクロス、当時日本には無さそうな花に囲まれた、柿右衛門っぽい絵柄の磁器の花瓶。
現代人の普段の生活に日本の焼きものを忍ばせたい私としては、「ほら、こんな取り合わせだって全然いいじゃん」という気持ち。

ド派手趣味と実用化の間

ただ、東洋磁器はそのまま流通したわけではなく、一度イギリスあたりで金具をつけられたものが多かったみたいです。
実際、展示物のほとんどが金具付き。
どんな用途で使うかわからずに作っている日本人と、輸入したはいいけど使いにくいな…と思った西洋人のギャップかもしれません。
リクエストとかしてたんだろうか?

月桂樹の葉っぱやベリーの実など、鍍金されたブロンズの装飾でがっちがちに固められたお皿とか、
香炉の上に、笛吹いてるおじさんみたいな神話の登場人物が乗っていたりとか、
水差しの先がマーライオンみたいになってたりとか。
アンマッチ感がすごくて笑えます。見てみてほしい。

でもそういう西洋ならではの技術が、形的にも見た目的にも使いにくいものを使えるようにしているのだから、文化の差を埋めるというのは、伝統工芸品の未来を考えるヒントになりそうだなあと思いました。

そしてウィーン窯の進化

ウィーン(お隣のオーストリア)にも窯や磁器製作所があります。
これは割と有名な話ですが、マイセン窯やウィーン窯など、ヨーロッパ最初期の磁器製品は、有田焼に大きな影響を受けているのです。

19世紀はじめに、絵画を磁器に複製して描く(のと、それを食卓に出して貴族が盛り上がる)のが流行。そのとき、定番だったのが神話の一場面を描くことでした。
会場には、ヘラクレスやら、ゼウスの化けた牡牛やら、星座に関する絵もありました。おそらく有名なシーンがよく描かれたんだと思います。
磁器製作所では、絵画を陶板に写す美術品をつくるため、神話の主題を専門とした絵付けを学ぶクラスまであったそう。

そこで研究されていたのが、色彩です。
日本の絵付けには、決まった色を使うなどの決まりもあって、色の種類に限りがあります。
が、ウィーンでは縛りもなく、混ぜ合わせて色が作りやすい絵の具をつかっていたこともあって、緻密でカラフルな絵がどんどん発展しました。

すごい、すごすぎる。

良い悪いでなく、単純に美的感覚の違いの凄まじさに圧倒される。
色彩の洪水やあ。

ちなみに、ウィーン窯でつくられた“東洋風”磁器の“惜しさ”たるや!という感じなので、行く方は注目してほしいです。
繰り返しますが、悪い意味でなくて、住んでいる環境の違いが感じられて面白いの。
日本だったら菊か牡丹を描くところが、カーネーションやダリアといった感じです。

この頃は特に、一緒に咲きもしない花を一同に介して描くのが流行ってもいたから、尚更、四季をきっちり分けて描く日本の美的感覚と離れていて。
西洋の厳格なシンメトリックな構図と、東洋の“敢えてくずす”構図の対比も同じ。

そんな両極にある美を「良いものは良い」と受け入れて愛でた、リヒテンシュタイン公爵家のお眼鏡は、相当肥えていたんだなあと思います。

※画像は撮影可能コーナーの展示品です

おわりに

九州陶磁文化館で見た古伊万里が、実際に海外に輸出され、遠くリヒテンシュタインの宝物になって今も受け継がれている。
佐賀で自分がインプットしたことが、まるでアンサーソングみたいにつながってきたことが心地良かったです。

あと、国宝になるレベルの美術工芸品を“日用化”していたことへの驚きと称賛。
やっぱり工芸品は、使われるためにつくられるものなんだと思いました。使ってなんぼだよ。

こうやって吸収したことが増えていくにつれ、分かるようになることも増えていくんだなあ。
本当に、足を運んで無駄な経験って一つもない。

さて、まさに同時期やっているハプスブルグ展(上野)は、オーストリアの貴族つながりですね?
そこには何か発見ないかしら。
わくわくの探検は続きます。

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