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エアコンのなかった"初心"に戻るとき

夏バテのせいか何をしてもやる気なくグダグタしてる。というわりには移動しまくってますが…(移動を支える仕事をしているので仕方がない、心はグダグタ)

大学生の頃はエアコンのない部屋に4年間住んでいて、夏は流れ落ちていた汗が暑さで乾くような具合だった。

そうなると、ちょっと雨がきて、涼しい風が吹くだけでとても幸せだった。

建物を出ると遠くまで畑が続いてるようなところだった。1階に住んでいたのだが、窓をあけた先は葡萄畑(ビニールハウス)だった。

とはいえ大学の近くだったので、昼間はエアコンのきいた大学の建物に避難すればよかった。夏休みでも日曜や少しの期間を除いてあけてくれていた。また、お盆を挟んでしばらくは電車の旅に出て、ついでに帰省したりもしていたから、何とか我慢できた。

(ただし、20年前の話なので、最近の夏の、この暑さでは厳しいかもしれない。)

8月も後半になると、暑いのは変わらず暑いのだが、夜になると窓の外で秋の虫たちが鳴き始めるので、その音響に包まれるだけで少し涼しかった。

その後、仕事を始めてからはずっと町の中に住んでいた。住処から季節感が消えたことには、すぐに気づいた。2〜3年毎に引っ越しているような状況だったが、エアコンがついた賃貸マンションを得たかわりに失ったものがあることをいつも心のどこかで思っていた。

7年前、いまの家に来て(いつのまにか「道草の家」という名前がついていた、ぼくの呼称=道草サンの家、ということだったか)、畑に囲まれてこそいないものの、10年ぶりに草木と虫たちで賑やかな土地に暮らし始めた。

エアコン、なくても大丈夫だったりして…?

という考えは、最初の夏、7月になって捨てた。

しかし家族で過ごす(寝室にもなる)1階にしかつけていない。2階の、夫婦それぞれの個室にはつけずにここまできている。エアコンを2台も3台もつけられるだけの経済力がないからだが、しかし、お金があってもそこには使わないような気もしている。

今日のように夜、こどもが寝てから帰宅するような日、自室の窓を開け放して、扇風機をまわし、微かに入ってくる涼しい風を感じながら(今日のような猛暑の日の夜でも実際に涼しい)缶ビールをあけて、少しの時間、本をひらいたり、レコードを聴いたりしていると、初心に戻るようだ。

20年前が素晴らしい日々だったとは感じていない。若い頃はいまよりもっともっと大変だった。いろんなことが苦しかった。というより、ぼくはいつだって、"いま"が一番いい人なんだ。思い出は、思い出だ。でも、その初心に戻ると、そこには大きな贈り物が潜んでいると感じる。

ぼくはそれを、そっとしておこう。ただ、そばにあってくれたらいい。

あの頃の自分がたまに顔を出す。心配してるのかも。でもね、大丈夫。元気でやってるよ。

(つづく)

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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月7日。今日は、道草の家のお寿司の話。

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