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アフリカの謎

アフリカという名前の個人的な雑誌をはじめてからは今年で11年になる。何かわかりやすい「メッセージ」を発信してはいない。「日常を旅する雑誌」というキャッチフレーズは途中で(6年目くらいに)思いついたものだったが、それも、具体的な「メッセージ」にはなっていない。たとえば「旅」を特集しますと言えば何となく伝わる「メッセージ」がありそうだが、「日常を旅する」では、せいぜい(つくり手、書き手の)「日常」を扱った雑誌なんだろうと想像するくらいが精一杯ではないか。
しかし「日常」のなかにはありとあらゆるものが介入してくる。
特集は組まない。何かテーマのようなものを設定して、それを語る(書く)にふさわしいと思われる人に書いてもらうということをしていない。
内容より書く「人」に重心がかかっているようだ。しかしその「人」は、大半が、執筆を日々の仕事にしていない。それどころか、『アフリカ』がなければ書いていないような人も少なくない。
無名の雑誌だ。
名前はどうでもよかったしどうでもいいが、アフリカという名前で(読む人の間では)通っている。
なぜアフリカなんだ、とは創刊のころから訊かれてきたが、別の名前を幾つか提示すると、決まって皆、やっぱりこの雑誌はアフリカ(という名前)がいい、と言う。
昨年末、写真家・柴田大輔さんと『アフリカ』=「プライベート・プレス」をめぐるトーク・イベントを開催したときに、柴田さんから訊かれていたことは、なぜ、この時代にわざわざ「紙の媒体」を選んだのかとか、なぜ、複数で(雑誌という形態で)やるのか、ということだった。
発信したいことがあるなら、もっと楽な方法で、ひとりで、やってもいいのに…(そういう人が多いのに、なぜか)と、思ったのだそうだ。
しかし『アフリカ』をはじめたときに考えたことは「発信」ではなかった、という話をその日はさせてもらった。
とても盛り上がって、ご参加の皆さんからもたくさん質問が飛び、ぼく自身、すごく面白かった。そのときの録音を聞いて、文字に起こして、少しだけ読んでもらえるものにしようとしている。

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