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優れた道案内と共に──ヒロシマの日に

8月6日の朝、YouTubeで広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式に"参加"しながら過ごした。息子に再び原爆の説明をする。「そんなのないほうがいいね」と彼はサラッと言う。広島がどこにあるかも話す。鹿児島より近いんだよ? と言ったら、驚いていた。どこか遠い国の話のように感じていたらしい。いつか彼にも広島を訪れてほしいとぼくは思う。

1ヶ月くらい前に、彼が図書館から『広島の原爆』という絵本を借りてきていたので、それを一緒に読んだ話を書いた。

ぼく自身も幼い頃、絵本で原爆のことを学んだ。丸木俊の『ひろしまのピカ』じゃなかったかな。ぼくはその絵本が怖くて、ひとりでひらくことはできなかった。

戦争はおそろしいもの、というふうに教育されて、ぼくは育った。その戦争はどこか遠くに起こっているものではなく、自分の住んでいる国で、数十年前に、その国土が焼かれた戦争だった。広島と長崎に落ちた原爆は、その"おそろしさ"を象徴するようなものになっていた。

20歳の頃、大阪の大学から鹿児島に帰省するのに電車旅行をして、広島の原爆資料館へも行った。こどもの頃に長崎の資料館を見て、それがちょっと古い建物で暗かったのを覚えていたので、広島の資料館の"いまふう"な感じに、ちょっと違和感を覚えたが、展示資料を見始めるとその悲惨な世界にすっかり入り込んでしまった。

しかしその頃、ぼくに太平洋戦争を教えてくれたのは、何よりも戦後文学だった。小説の中には生きた人間が、当時の人が生きて保存されているというふうに感じた。

阿川弘之の短編小説「年年歳歳」は、戦地から復員してきた人が、故郷・広島に戻ってくる電車の中のシーンに始まる。彼は、自分の家族はおそらく生きていないだろう、家も残っていないかもしれない、と考えながら帰郷するが、家は無事で、家族も生きていた。それから戦後はじめての春を迎えるまでが描かれている。どこか明るさのある、その小品が若い頃のぼくは好きだった。

でも、原爆が落ちた瞬間のことを書いている文学作品は、あまり読んだことがない。あったかもしれないが、忘れている。"その後"のことを書いた小説はあるけれど。

ようするにぼくは原民喜の『夏の花』を最近まで読んだことがなかった。

正確に言うと昨年はじめて読んだ。その、静けさを湛えた言語世界に、ぼくはしばらくとりつかれたようになった。

彼は"その時"を、便所で迎える。

 それから何秒後のことかははっきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇がすべり落ちた。私は思わずうわあと嘆き、頭に手をやって立ち上がった。嵐のようなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。手探りで扉を開けると、縁側があった。その時まで、私はうわあという自分の声を、ざあーというもの音の中にはっきり耳にきき、眼が見えないので悶えていた。しかし、縁側に出ると、間もなく薄らあかりの中に破壊された家屋が浮び出し、気持ちもはっきりして来た。
 それはひどく嫌な夢のなかの出来事に似ていた。最初、私の頭に一撃が加えられ眼が見えなくなった時、私が自分が斃(たお)れてはいうないことを知った。それから、ひどく面倒なことになったと思い腹立たしかった。そして、うわあと叫んでいる自分の声が何だか別人の声のように耳にきこえた。しかし、あたりの様子が朧(おぼろ)ながら目に見えだして来ると、今度は惨劇の舞台の中に立っているような気持ちであった。

たとえば、ぼくはこの箇所だけでも、何十回、いや何百回でも読んでいられる。

優れた文章は、その中に、読む者をいつまでもいさせてくれる。

書き手が、嬉々として書いている様子が伝わってくる。そんな言い方はふさわしくないかもしれないが、それでも真っ暗な顔をして書いているのでないことはわかる。

彼はそこでは死なず、生きて、一瞬にして湧き上がった地獄を書き記すために歩き始める。彼という優れた道案内がいるから、21世紀の夏、冷房のきいた部屋でそれを読んでいるぼくもその地獄を見よう、聞こうとすることができる。

この岩波文庫の作品集は、著者が生前に自ら編集した版を底本とした文庫化らしい。原爆が落ちた直後のこと、そして落ちる前の話を繰り返し読んでいる。最近は戦前の広島の写真を見る機会が増えたのだが、その街が、戦争のさ中にどうなっていったのか、史実を知るだけではまずわからないことを伝え続けてくれている。

(つづく)

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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月6日。今日は、港の風景の中に現れた、新しいマンション? の話。

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