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「いや、(ちょっとまてよ)」のススメ

2020年も13日。すっかりお正月気分も抜けて、なんて言いたいところですが、ぼくはお正月気分を味わってないので(熱を出して寝てた)、抜けるも何もない。

とはいえ、自分には今年になって少しやり方を変えてゆこうといった方針とか、具体的な計画もあり、少しずつ動き出してる。また、しばらく会っていなかった人と会って話して、少し自分の中に変化を感じるといったこともある。

今日は「オトナのための文章教室」の、2020年の初回、午前中にやるのは初めてだったが、終わって、まだ今日がたくさん残ってる! というのも気持ちがいいもんですね(そのぶん朝は早かったですけれど)。

「文章教室」と呼んでいる、その、"ことばのワークショップ"の場で、出会う人たちと話したり、その人たちが書いたものを読むのもぼくは楽しみで。もちろん"案内人"のぼくは自分の持っているもの、読ませてもらって自分の中に生まれるもの・ことを惜しみなく話すけれど、読むこと・聞くこと・話すことによって逆にぼくがいただいている力(パワー)もけっこうある。

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そこで「朝のページ(モーニング・ページ)」の話をしていたら、最近は、「やってみます」とか「やってみてます」とか「やってみたことがある」という話をよく聞くようになった。仲間ができたようで、なんだか嬉しい(とはいえ、自分だけのページ、時間であることに変わりはないのだが)。

1年前、ぼくは毎朝その1ページを書くことを、「自分を救う方法」と書いた。

朝のページに書くことは、他人には見せない。自分すらあまり読み返さないようにしている。だから、その話は「報告」が中心になる。しかしその「ページ」の中で、こんなことがあった、こんなことに気づいた、という話をするのは、聞く方としても、とても面白い。その人ならでは、のことがその中にはあるから。本人が「そんなものはない」と言い募っても、いや、あるはずだ、ないとおかしい、と密かに思う。どんな人でも、やりさえすれば、勝手に出てくるものだからだ。

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「モーニング・ページ」というのはこの本に出てくる(今日は、参加者のひとりが持ってきてくれた)。この本の組版、かっこいい。日本語版も出ていて、ぼくはそれで読んだのだが(そちらの組版はまぁまぁだ)。買ったのはいつだったかな。10年くらい前か。

毎日書いていると、とにかく頭に浮かぶことを書いて、その朝のページを文字で埋めればいいのだから、たとえば、日によっては愚痴に次ぐ愚痴で、たとえば自分にはあれもできない、これもできない、何もしたくない、と書きたくなることもあり、実際に書くわけだ。

書いていい。遠慮なく書けばよいのだ。

ただ、ぼくからのオススメは、そういうことでいい、何を書いてもいいが、その後で、すぐさま(できるだけはやく)「いや、」と続けてほしい、ということだ。

何にかんしても疑問を呈するというのは、見方によっては嫌な奴かもしれないが、でも、自分の中にはそんな嫌な奴も必要だぜ。

「自分なんかもう死んだ方がいい」と書くとする。「いや、」と続ける。

「自分は素晴らしい人だ」と書くとする。「いや、」と続ける。

ね? どっちも「いや、」がいる。「いや、(ちょっとまてよ)」と。それから、「どうだろうか」と踏みとどまることが大事なことだ。

ま、そんな話も、時折(話の流れから)することになる。

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今日の文章教室には、「待つ」がひとつの大きなテーマとしてあった。

テーマはなくてもいいのだが、何かあった方が書き始めやすい、という声が多くて、それなら… と準備するようにしている。ただ、「待つ」から浮かんでくるものであば何でもいい。

そうすると、面白いことが出てくる。

「待つ」ということばは、それだけでは、「待つ」ということばの意味をはみ出すことがないが、「待つ」から何か書こうとすると、「待つ」がいろんな色を帯びてくる。

この続きは、こんどの土曜日に。18日の14時から。会場は、あの珈琲焙煎舎の、2階の部屋(オルタナティブスペース)を借りて。同じテーマ(「"待つ"ということ」)を持ってゆきます。

詳しくは、アフリカキカクのウェブサイト内の、「オトナのための文章教室」をご覧ください。

(つづく)

『アフリカ』次号の完成は、来月になる予定です。そのあと、下窪俊哉の初の(たぶん初の)作品集も予定しています。その後も、続々とやりたいこと、つくりたいことが待機してます。のんびりお待ちください。今年もぼちぼち、やってゆきましょう。

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