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三浦春馬さん映画「天外者(てんがらもん)」を10倍楽しむために 幕末ってどんな時代?

あと公開まで1か月余りにせまってきた映画「天外者」。どうか、コロナの再流行が邪魔をしませんようにと日々祈るばかりです。


これまでの「天外者」を10倍楽しむためにシリーズのnoteは、五代友厚がどのような人だったのか、薩摩藩や彼が影響を受けた人などあくまで五代友厚を中心に綴ってきましたが、もっともっと歴史に興味がない方でも映画を楽しめるよう、幕末ってそもそも何? どんな時代? ということをざっくり説明したいと思います。

幕末っていつ頃のこと?

基本的には、江戸時代末期を指します。具体的には1850年前後から1870年ぐらいまでの20年ほどでしょうか(あくまで個人的印象)。


なぜわざわざ「幕末」というの?

これは私の考えですが、260年以上続いた江戸時代において、もっとも多くの政治的・外交的な出来事が集中している江戸時代末期にわかりやすい呼び名をつけたのでは、と思っています。

徳川家康が1603年に江戸に幕府を開いて以来、京都の朝廷(天皇)から日本の政治を頼まれる形で、江戸幕府は代々国の政治を世襲で行ってきました。

幕府は基本的に「鎖国」という外交政策を取り、外国との交流をしていません。

例外として長崎の出島において、オランダ・中国との取引をしていますが、基本的に外国人が見られるのは、長崎の出島においてだけという状態が200年以上、続いていたわけです。

日本が鎖国している間に、イギリスで産業革命がおこり、工業が急速に発達して船で遠くまで行けるような発明(蒸気機関)がされます。

このことにより大型の船が作られると、諸外国の船が日本近海をウロウロするようになります。1840年にはアヘン戦争が起こり、日本が強くて大きな国と思っていた清(中国)がイギリスに負けます。

この情報をいち早く仕入れていたのが、五代友厚のいた薩摩藩であることは、先日 三浦春馬さん映画「天外者」を10倍楽しむために 薩摩藩と幕末の名君・島津斉彬でも触れたとおりです。

特にアメリカは当時捕鯨を盛んに行っていて、水や食料の補給地として日本に目をつけていたのですが、江戸幕府は鎖国政策を盾に取り協力を拒んでいました。

幕末の武士や庶民の感情(想像)

このような流れの中、薩摩藩の偉い人以外は知らなかった(薩摩は琉球も持っていて、ペリーが来航する前に琉球に来たイギリスの艦船に対応しています)、巨大な外国船が突然浦賀にやってきました。有名なペリーの黒船来航です。

当時の日本人はびっくりしたでしょうね。追い返せと息巻いたでしょうね。

そんな中で幕府の大老、井伊直弼は並み居る外国と修好通商条約を結んでしまいます。

このあたりから「幕府を倒して天皇の世の中に。外国人は追い返せ」という「尊王攘夷運動」が盛んになります。

しかし世の中全体が「攘夷」(外国人を追い返せ)の雰囲気ではあったでしょうが、「尊王」(天皇中心の世の中にしよう!)かというとそうでもなかったようです。ご興味のある方は調べてみてください。

攘夷思想が多数派であった当時の状況の中で、徹頭徹尾、開国論者だった五代友厚への風当たりは強かったでしょう。ただでさえ武勲派の強い薩摩藩です。現に薩英戦争において、戦ったわけではないのに捕虜となった五代は、その後なかなか藩に帰れていません。

当時の欧米列強に対して、日本は鎖国によりだいぶ工業化が遅れていました。戦争になったら勝てるはずもなかったんですけど。

まとめ

幕末とは江戸時代末期のことですが、それまでの平和でのんびりした日本の雰囲気が外国船の来航により一変し、幕府が滅亡して新しい世の中になっていくという激動の時代です。

その時代の流れの中で活躍する志士たちの物語は、現在に至るまで映画やドラマ、小説といったさまざまな形で魅力的に語り継がれています。映画「天外者」もその一つとして、とても楽しみです。

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