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J生活に終止符。香港挑戦の理由 神田夢実

2023年1月8日。日本から3000キロ弱離れた香港の地で、鮮烈なデビューを飾った日本人フットボーラーがいる。

対戦相手は直近のACL(アジアチャンピオンズリーグ)で決勝トーナメント進出も果たしている香港の絶対王者・傑志。そんな強豪を相手に、後半から途中出場を果たすとFKで2得点。特大なインパクトでチームを勝利に導いた男の名前は神田夢実(香港流浪足球会)

若かりし頃は世代別日本代表の常連。その勢いのままにコンサドーレのアカデミー組織からトップチームに昇格すると、高卒新人でリーグ戦の開幕スタメンを飾るなど、将来を嘱望された。

だが、10年前の自分に声を掛けるなら?と問うと
「ちゃんとしろ!プロになって浮かれるな」
と当時を自己評価するように、人懐っこいお調子もの気質の性格が若かりし頃は玉にきず。

期待されながらも、プロの舞台で中々、レギュラーを掴みきれず、2度の契約満了の末、2020年には関東リーグに戦いの舞台を移した。

だが、男はそこから再び、這い上がり、翌2021年からJリーグの舞台にカムバック。J3のY.S.C.C.横浜に完全移籍すると、チームの中心メンバーの一人として、この2年は邁進した。何よりかつての甘さを断ち切り、プロフットボーラーとして、己の信念の下、その全てをサッカーに捧げた自負がある。

その甲斐あってか、2021シーズンは24試合に出場し2得点。2022シーズンも開幕から5試合連続スタメンを勝ち取るなど、プロキャリアで初のスタメン定着と言える状況を勝ち取った。

だが、5節の鳥取戦で負傷交代すると歯車が狂ってしまう。復帰直後に負傷を再発するなど離脱が続く間に、チームは新監督を迎え、新体制に移行。すると立ち位置に変化が起きてしまい、復帰後もスタメン入りする機会が減少。

そして、シーズン終了後に待っていたのはあの通告だった。

「封筒に紙が入っていて、0円と書いていました。こう来たか‥と。ちょっと驚きましたけど。チームの為にやれることは自分の信念を通して、妥協なくやってきた。もっとうまくやれたのかな?とは思いますけど、後悔はないですね。」

現在28歳。自分自身では現在の状態が、過去一と手応えを感じる一方、現在の立ち位置とのギャップに思い悩んでいた。

「契約満了を受けて、俺、もう引退しようと思っていたんですよ。本当に昨シーズンは自分のやれることをやり切ったし、悔いなく辞めれるという思いもありました。ただ、この後何するか?を考えた時に‥」

3度目の契約満了提示を受け、引退に心は揺れかけたが、そこから香港移籍に至るまでの変遷。そして、現在、抱く思い。移籍成立直前での大ピンチ‥

戦列デビューを飾った直前に話を聞かせてもらった。

神田夢実の第二のフットボール人生がここから始まる。

2021-2022シーズンの振り返り

Q 昨年、一昨年の2シーズンを振り返ると?
YS(Y.S.C.C.横浜)での1年目はある程度中心メンバーで出させて貰って、手応えもあった中、ステップアップ出来なかったのが一つの誤算でした。上に行くのは、簡単ではないと突きつけられ、昨シーズンはより一層、上に行くという目標に拘って、自分の中でやれる全てのことをした自信はあります。
そのやり方が正しかったか否かは分からないですけど、自分の中では成長できている手応えもあったし、自分軸では過去一で良い状態でした。ただ、他者評価では競争に勝てなかった。自分の力のなさを感じさせられましたね。

Q 2022年は怪我に苦しんだシーズンでもある。
ハムストリングを2回と最後の方は膝痛もありました。ハムは最初、軽くやって、その後に大きいのをやってしまい、2ヶ月くらい休んでしまった形です。2回目が痛かったですね。

Q 今季自分軸では一番いい状態とのことだが、その背景は?
一番はハイアルチに通い始めたのが大きいなと。ハイアルチに行き始めて、走れるようになったし、そこが一番変わったポイントなのかなと。特に昨年の途中なんかは、一番、プロとして身体も動いている感じでしたね。
※ハイアルチ→低酸素トレーニングジム

Q プロ1年目と何が一番変わった?
若い頃は、ただただ勢いで突き進んだ所もありましたけど、この年になって自分を知れたり、ロジカル的にも自分をいい状態に持っていく術を身につけられたかなと。

Q サッカーにかける時間に変化は?
めちゃくちゃ変わりましたよ‥1年目の時とかは恥ずかしい話、寮で夜中までウイイレとかしていたり…(苦笑)今は寝る時間も早くなったし、1回の練習に対する準備も変わったし、午後のフリーの時間も筋トレだったり、ハイアルチのトレーニングに費やしたり。だいぶ変わりましたね。

Q ここ2年の練習サイクルは?
大体、朝6時頃に起きて、シャワーを浴びて、朝飯を食べて。練習の90分前には練習場に着くようにしていたので、7時に家を出て、7時半に練習場について。まずは、自重トレーニングで、刺激を入れて練習に臨んで。終わった後は、キツめの筋トレを入れたり、午後にはハイアルチを入れてという感じで週の初めなんかは過酷過ぎて、憂鬱でしたね。

Q 他にも仕事はしていた?
月木の週二日、18−20時でサッカーのスクールコーチをやっていましたね。

Q そういった活動を得て感じたことは?
コーチングは言語化しないといけない。仕事としてやらせて貰ってましたけど、本業のサッカーにも繋がっていたかなと。
何より、うちのスクールの子たちは毎回一生懸命トレーニングに取り組んでくれていて、それが本当に嬉しくて。だから、毎回子供たちの為に自分も全力でやらせて貰っていたので、僕にとっては、2時間は毎週、最高に楽しい時間でした。

Q 全てをサッカーに捧げた中での負傷の連鎖。思うことはあった?
今までも首になったり、色々な経験をしてきて、自分のやれることをやるしかないというのは分かっているので。落ち込みましたけど、意外と冷静な自分がいました。

Q 後半戦は怪我もあり出場機会が中々増えなかった。
もしかしたら、切られるかもとはよぎりましたが、YSで残してきた物を含めたら、自分の中ではその可能性は低いかなとも思ってました。
ただ、その後、封筒に紙が入っていて、0円と。
こう来たか‥と。ちょっと驚きましたけど。結構ありえないでしょと周りも言ってくれて。自分の中でもチームの為に色々と発信とかもしてきたし、チームの為にやれることは自分の信念通して、妥協なくやってきた。もっとうまくやれたのかな?と思いますけど、後悔はないですね。

香港移籍を決めた理由


Q 次の選択肢をどう考えた?
おれ、もう引退しようと思っていたんですよ。
本当に昨シーズンは自分のやれることをやってきたし、悔いなく辞めれるという思いもありました。ただ、この後何するか?を考えた時に、ずっと指導者をやりたいと思っていた。でも人生というスパンで考えた時に、このタイミングで指導者の道に進んでも、それしか選択肢がなくなってしまうのではないか?と。覚悟を持って、指導者をやらないと上にはいけないのが前提の上で、長い人生に置いて、色々な可能性は自分の中に残しておきたいなと。でも、今の自分はサッカー以外のスキルがない状態。
それを考えた時に、今後のスキルをつける為にも海外での経験・英会話だったり、サッカー選手を続けることによってできる機会を活かして、他の勉強もしていきたいなと。ただ、一方でまだまだサッカー選手として上手くなりたいという気持ちはあるんです。ただ、Jリーグで上を目指すという挑戦は、28歳でJ3の下位チームを首になったという現実を受け止めないいけないなと。諦めたくはないですが…それでこういう選択に至りましたね。

Q その中で香港を選択した経緯は?
エージェントの人に海外でチームを探して貰っていく中、香港からオファーが来ました。また、アオチョンというYSでの同僚が香港の有名な選手で、彼も自分を押してくれたこともあって、香港のクラブからオファーをいただけました。

Q 最初、香港からオファーがあった時は?
香港!?!?みたいな感じでしたね(笑)
正直、イメージも湧かなかったので。でもオファーを頂けるというのはありがたいこと。そもそもそんなに簡単に決まると思っていなかったので。トライアルからかな?と思っていたんですけど、オファーを提示してくれたのですぐに決めましたね。

Q 即決?
即決でしたね。サッカーを辞めようかなと思っていた自分からしたら、すごくいい条件の話だったので。

Q 香港からのオファーはどんな状況で知った?
深井と風呂に行っている時に、代理人から電話がきて、オファー来たわ!と言ったら、頑張れよと。オファーきた時の状況はそんな感じでした(笑)

Q 他のアカデミー時代の同僚なんかの反応は?
香港どこ!?みたいな(笑)
自分もそうだったですけど、みんなイメージ少ないですよね。

Q 契約はプロ契約?
そうですね。自分からすると非常にいい条件です。寮みたいなところにも住んで、昼ごはんも出ますし、かなりいいですね。最初の契約は半年です。

Q チームのリーグでの立ち位置は?
現状、リーグ戦では10チーム中の7位ですね。香港は傑志という一番強いチームがACLでベスト8入りしたり少し抜けて強い。ただ、香港リーグ自体のレベルは高くないですけど、ACLで傑志が上に行くので、ACLの枠は3-4枠あって、自分のチームも現在、カップ戦にベスト4まで残っていて、ACLのチャンスがある状態なんです。ACLに出れたら、熱いですね。

Q リーグの外国籍選手の枠は?
今チームに7人いて、ベンチ入りが6人出来て、試合に出れるのが5人ですね。チームには日本人が2人、韓国人が2人。フランス1人、ブラジル2人いる状況です。

Q チームでの公用語は?
英語ですね。自分はまだ喋れないですけど、トライしまくっています!(笑)元々英語の勉強はしていないので、ほぼ無の状態ですね!簡単な単語はわかりますけど、一気に喋られると全くわからないですね!気持ちと勉強とグーグルで乗り越えます!

Q 数日過ごしての手応えは?
レベル的には全然やれますけど、組織とかが全くないので難しいなとは思いますね。より個が求められる・こぼれてくるチャンスをいかに仕留められるか?頭を使ってやらないと簡単には活躍できないかなと。

Q 引退か否か悩んでいる時決断を後押ししたこととは?
めちゃくちゃ色々な人に相談しましたね。首になった報告は今アカデミーで指導をしている小山内コーチとか、竜二さんとか、三上さんにも挨拶に行きましたし、ノノさんにも電話しました。その中でみんな自分の人生だからしっかりと考えて、自分の納得する選択をしなさいと言ってくれましたね。

Q 移籍の報告をした際の反応は?
みんな喜んでくれていたし、海外で得られる経験を自分のものにしてこいよと。

Q 今の生活サイクルは?
練習は11時半スタートなので、13時半ごろに終わって、昼飯食べて、今は午後は身の回りのものを整えて。夜飯を食べて、その後は英語をやっていますね。まだ落ち着いてない状況です!香港は国としてはかなり栄えていますよ。タクシーかバスか高級車しか走ってないです。日本からは4−5時間くらいの距離ですね。

Q 出国までの流れは?
12月15日くらいに話を貰って、出国が1月4日だったので。
ワクチン打たないと入国できないなど色々条件があって、札幌から横浜に戻ったり、パスポートを取りに行ったり直前までバタバタでしたね。携帯や家や電気の色々な手続きとか。日本の家もまだ引き払えてないんですよ。

香港出発前夜、最大の窮地が…


12月中旬にオファーを貰い、出国までの2週間足らず、準備に駆け巡った神田。そんな慌ただしい、年越しの末、漕ぎ着けた海外移籍。だが、出国直前に最大のハプニングが待っていた。

「まじで焦ったすわー(笑)」

本人が振り返る事件は翌朝のフライトに備えた前泊移動の最中に起きた。

Q バタバタの日々を乗り越え、いよいと出国と思いきや前夜にハプニングがあったとか?
成田空港に向かう途中、日暮里から乗り換えようと思っていたんですけど。
スーツケースが2つもあり、それに手一杯でパスポートとか財布が入っているリュックを上に置いていたんですよ。それで日暮里について、電車を降りたら、リュックを上に忘れて、降りてしまいまして。。。

エレベーターで「パスポートが入ったリュックねー!うわ!やべー!」と思って。。。正式契約は現地で結ぶ形だったので、パスポート見つからなかったら移籍が破談になるなと。。。

それで重いスーツケースを引きずりながら、ダッシュで駅員さんのところに行ったんですけど、終点の大宮駅まで行かないと確認できないと。

いてもたってもいられず、すぐに大宮駅まで行って、ドキドキしながら駅員さんのところに行って「バックありましたか?」と聞いたら、「ありました!」と言ってくれて。。。本当によかったと。無かったらどこかに逃亡しようかなと思ってました(笑)

ただ、そこから成田に行く電車がもう、終電で無かったので、東京の知り合いの人が成田まで送ってくれる形になって。。色々な人に助けられて香港移籍が成立したなと。

Q 多くの方の助けがあって成立した香港移籍で成し遂げたいことは?
香港でスターになりたいすね。そして、ここから活躍してもっと上のチームに行きたいなと。

Q 今後、日本でプレーすることは考えてない?
考えてないです。

Q まずは、この半年でどんな結果を残す?
自分の価値を高めることです。攻撃的な選手なので、結果が必要。簡単ではないですが、5ゴール5アシストをターゲットにします。試合はリーグ戦は残り9試合でカップ戦含めて12試合程度ある予定です。

Q 今後は海外でサッカー選手としての価値を高めていく?
そうですね。サッカー選手としての価値を高めつつ、海外で得られる付加価値も、自分のものにしていきながら、サッカー選手としても、人としても成長していきたい。

Q 札幌ドーム凱旋というかつて語ってくれた夢は?
僕は本気でそこを目指していました。今でもJリーグで上を行くという夢は諦めたくないですけど、現実を受け入れて新たな挑戦をする決断をしました。札幌ドームに再び戻ると言って、色々な人が応援してくれていたので、それを実現できなかった申し訳なさもありますけど、前向きに新たなチャレンジをしていきたいなと。

Q 若い頃の後悔はあれど、日本での10シーズンはやり切った思い?
はい!最初から色々なことに気づいて行動できる人間であればよかったんですけど。それができなくて、時間が掛かりながらも色々と気づけて、その中で最後は自分のやるべきこと。やれることはやり切ったので。そう言った経験も自分の武器にして、新しいチャレンジをして行けたらなと。

Q サポーターに向けて
Jリーグで本気で頑張る自分を応援してくれた方々にとっては、もう諦めるのか?という思いもあるかもしれないですけど、これからも自分の信念を持って、がむしゃらにやっていきたいと思っているので、神田夢実を見捨てずにこれからも気にかけて頂けると嬉しいです。

Q 自分の中の信念とは?
真摯にプロとして、サッカーと向き合うことです。


登下校の際も常にボールを触っていたサッカー小僧は、プロキャリアスタートから10シーズンを持って、Jリーグでのチャレンジに一区切りをつけた。

この2シーズン、確かに神田夢実はサッカー選手として成功する為に、己の多くの時間を捧げていた。やり切ったという思いはある種、嘘偽りのない言葉だろう。

だた、それでも届かなかった舞台がある。若い頃の後悔もあるはずだ。今でも悔しさが無いわけがない。

それでも、次のステージはやってくる。そして、人懐っこい笑顔はそのままに、海外での新たな旅路が始まるのだ。

その積み重ねた全ての経験が神田夢実の血となり肉となりその財産となる。

ここからのキャリア、また大きな経験を経て、夢を実現させる未来を期待したい。

10シーズンお疲れ様でした。

そして、新たなシーズンがここから。


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