【インタビュー】『絶対に這い上がる』神田夢実 2020年 これまでの歩み
無情にも今オフ
自身2度目となる
戦力外通告を受けた
『覚悟はしていた』
本人は語る
そして、男が再出発の場所に選んだのは
J1から数えて5部リーグに相当する
関東サッカーリーグ1部
〝東京23FC〟
『自分が上を目指せないと思ったら
サッカーは辞める』
全ての指針は
【Jリーグにもう一度戻り活躍する為】
『断固たる覚悟を持って
大切に日々を過ごして
絶対に這い上がる』
そう誓うプレイヤーのこれまで
そして、これからに迫りたい
神田夢実
170cm/60kg
1994年9月14日(25才)
所属チーム:コンサドーレ札幌-SC相模原-北海道コンサドーレ札幌-愛媛FC-東京23FC
男の名前は神田夢実
夢実は
「夢は見るのではなく、実らせるもの」
という両親と祖母の思いから名づけられた
神田は札幌西岡南小学校1年の時に
本格的にサッカーを始め、小学5年で
コンサドーレ札幌U-12入り
「小学になる前からプロになりたいと思っていたし
とにかくボールに触るのが好きだった」
と語る通り まさしく〝サッカー小僧〟だった
学校の登下校では網中のボールを
常に触りながら通学
埼玉県選抜で国体出場の経歴を持つ父親や
仲間との練習に夜な夜な明け暮れた
天性の人懐っこさも相まり、
年上のチーム練習にも
お構いなしに参加
コンサドーレの下部組織に入団後は
当時、J2で下位争いをしていた
チーム状況も相まり
合言葉は
「俺たちがコンサの歴史を変えよう」
言葉の通り、彼らの世代は
コンサドーレにとっての希望
そして、その中心にはいつも神田夢実がいた
中学年代の最高舞台
U-15高円宮杯(2009年)では
チームは全国準優勝
自身も大会得点王に輝いた
ドリブルとシュートに自分の形を持ち、
コンサドーレ札幌U-18に昇格後も中心MFとして活躍
高円宮杯U-18プレミアリーグEAST初代王者
そして、高校3年最後の戦い
Jユースカップでは
コンサドーレ史上初
悲願の日本一に
『とにかくあのメンバーでやるのは
お互いが通じ合う感覚があり楽しかった』
歴代最多6人の同期達と共に
コンサドーレの未来を切り開くべく
トップチームに昇格した
※中原彰吾、永坂勇人、堀米悠斗、神田夢実、阿波加俊太、深井一希
また、U-13世代から
世代別日本代表の常連メンバーに
U17W杯予選でもチームメートの
深井一希・堀米悠斗と共に
日本代表に選出され
W杯出場権を獲得した対イラク戦でも
3人が揃ってスタメン
神田は現在、リバプールで活躍する
南野拓実と2トップを組んだ
当時ユースで監督を務めた四方田修平現HCも
「夢実は小柄で技術があり、中盤の前めの選手
狭いスペースでボールを受け、技術を生かし
得点に絡むプレーが武器。
パワー不足の所はあるが攻撃の部分は通用する」
と期待を送り
神田も
「自分のプレーでサポーターを楽しませたい」
と語ったようにプロ初年度から
その度胸の良さと技術力を生かし存分にアピール
キャンプ中のTMで3戦連続ゴールを記録
高卒新人では異例となる
Jリーグ開幕戦での先発出場を果たした
「サポーターの声援がすごくて、
Jリーグは楽しいなと思ってやっていた」
アウェー・開幕フクアリの舞台で
物怖じすることなくプレー
そして、プロ初ゴールも
値千金の一打だった
舞台は天皇杯 VSジュビロ磐田
当時、鬼門だったヤマハスタジアムでの
公式戦初勝利となる左足での豪快決勝弾!
順調な歩みを進めたかに
見えた一年目だが、
本人は当時の自分を
『プロとして精神的に甘かった』
と懐古する
そして、次第に出番を減らすことになった
『頑張ろうとは思っていたが、
長期間試合に絡めない事がそれまでの
キャリアで無かったので、
壁に当たった後の心の持ち方が
分からなくなり、自信を失っていた』
と振り返る
2年目の2014年は出場機会を求めて、
J3のSC相模原へ移籍
しかし、
育成型期限付き移籍した相模原でも
継続した出番は貰えなかった
『プロとして自立してなかった』
自身の弱さを痛感させられた
プロとしての転機は〝兄貴〟の愛溢れる指導
転機となったのはプロ4年目だった
前年に愛するコンサドーレに復帰
コンサドーレには一流のプロ選手が多数いた
河合竜二・小野伸二・稲本潤一・砂川誠・内村圭宏…
特に河合竜二氏と小野伸二選手には
厳しく指導された
『日々の練習に120%拘れ』
河合氏には
『夢実はとにかく継続力が課題だ。
まずは、毎日新聞を読んで見ることから始めろ』
継続する事の大切さを問われ
事あるごとに
プロサッカー選手としての姿
人としてどうあるべきか
叩きこまれた
〝竜二兄貴〟の陶酔を受けると次第に
プレーの波も無くなって来た
しかし、札幌でのリーグ戦は
通算17試合出場も無得点
プロとしてあるべき姿勢に成長を見せた一方、
J1昇格年の北海道コンサドーレ札幌の
前線にはリーグ屈指の選手達が多数在籍
熾烈なポジション争いを勝ち抜く事が出来ず
2016年オフに戦力外通告を受けた
しかし、その成長の痕を
崖っぷちの大一番で存分に披露
同オフのJPFAトライアウトで
3得点を挙げる大活活躍を挙げ
J2 愛媛FCからのオファーを勝ち取り
3年契約を結んだ
しかし、〝偉大なアニキ〟の目が離れると
また、かつての弱さが顔を覗かせた
『愛媛1年目は初めての
一人暮らしなどもあって
甘えが出てしまった』
自戒するように
Jリーグ初ゴールを挙げるなど
成果も出したが、年間を通して
試合に出場することはできなかった
しかし、先輩や仲間の思いを
無駄にはしなかった
『愛媛の2年目以後は
プロとしてやるべきことは継続した
そこは胸を張って言える』
2019年は戦術的なかみ合わせもあり、
リーグ戦の最終出場は6月1日まで遡る
その後は試合に絡めない日々が続き
契約が満了した今オフ
2度目の戦力外通告を受けた
しかし、本人の手ごたえは違った
『プロに入って2019年が
一番成長を実感した年
やるべきことをやり切った』
『だからこそ、今はとにかく年間通して
試合に絡んで、ピッチで表現したい』
二度目となったトライアウトでも
自身のプレーを表現した
しかし、プロキャリアで継続して
試合に絡んでいない
神田へ正式オファーは中々届かず
厳しい現実を突きつけられた
そんな中でも、自身の中での
チーム選びの方向性は明確だった
【目標はJリーグに戻って活躍すること
その為に自分の能力UPできる環境】
そんなニーズにマッチしたのが、
〝東京23FC〟だった
練習など日々の積み重ねが全て
「技術には自信があるけど、
プロに入って継続して試合に関われてない。
90分試合に関わる事とフィジカル面が課題」
と語る神田にとって、
週4回のチーム練習
かつ自主練時間を確保できる
グラウンドがある
チーム環境は魅力的だった
現監督はバウルの愛称で親しまれ
多くのJクラブで活躍した
土屋征夫さんだ
『この人に付いて行きたいと思える監督
これからが本当に楽しみなチームだと思う』
関東リーグでの戦いを前向きに見据える
とは言え、これまでのJクラブと比べると
厳しい環境下での挑戦になるのは間違いない
チーム練習開始時刻は朝7時が基本だ
そして、働きながら再度、上を目指す
それは口で言う程、生易しいものではない
かつての〝悪癖〟が出た瞬間
野望を果たすことは
果てしなく遠のくだろう
エネルギーの一つは
同期達の奮闘姿だ
『意識は強くする。俺も頑張らないと
同期はそう思わせてくれる存在
負けてられない』
『上に行きたい選手を応援してくれる環境』
『自分自身が上を目指せないと思ったらサッカーは辞める』
愚直に語る〝サッカー小僧〟は
日々の積み重ねを大切にして
どんな一年を歩むことになるのか?
応援を力に変える男だ
今こそ、一人でも
多くのエールを送って欲しい
そして、カテゴリーは関係ない
夢実らしく
人々をワクワクさせるような
プレーを存分に見せつけて欲しい
心よりエールを送りたい
頑張れ
神田夢実