意味付け
最近、気分の波が穏やかだ。
なんだかハイテンションという訳でも、ローテンションという訳でもなく、
静かだが夜の深い闇に浮かぶ青くて幻想的な海や湖のように、穏やかで少し暗いようだが落ち着いている。
たしかに、特別楽しいという訳ではないが、
こういう風なテンションが続けば安定してて過ごしすいのだろう。
ところで、大学生の時はっと気づいたことがある。
よく人間は落ち込んだりするが、それは外側の出来事によって自分が勝手に「意味付け」をしているからだろう。(なんか自己啓発ブログに書かれてそう)
別に物事に良い悪いはきっとないはずだ。
世間的に残念なことだと一般的にされていたとしてもそれはメディアだとか人々のイメージの影響だとか半分洗脳に近い部分もあると思う。
もちろん、感覚的に嫌な気持ちになったりすると、明らかにこれは「悪いことだ」と認識せざるを得ないような気もするが、どうなのだろうね。
なんで、それが悪いことだと思うのだろう?という立ち返りが逐一必要なのだとその時悟ったつもりになったよ。
良い悪いを決めているのは自分じゃん👊
だから、神様はなんでこんなことを与えるのだろう、
意地悪!!!と思ったとしても良いも悪いも元はないんだよな〜とかしみじみ分かったつもりになって思っていた。
まあ、この考えはこの考えでいいし、生きやすくて良いんだけど。
最近逆パターンも案外大事な気がしてきた。
さっき穏やかだと書いたばかりだが、
時にわけもなく沈む日もある。なんだか物悲しくなったり、ため息をついたり。
でも、立ち返ってみると出来事的には何も悪くない、
寧ろいいことが起こっていたりする。
例えば友人が引っ越してしまう、や
弟が一人暮らしを始めることも、
夫が退職することも。
自分がそれに勝手に意味をつけて私の「エゴ」で
自分にとって都合が良くないからといって変に落ち込んだりすることも多々あるのだが、
何も悪くないし寧ろおめでたいことばかりなのだ。
弟の一人暮らしも、それだけ自立できたということ。どれも立ち返ってみると「出来事的には」何も問題ない。
仕事で重要なことを任されてなんで自分が?と思ったとしても、プレッシャーで分からなくなっているけど、それは実はすごいことじゃん。
なので、いずれにせよ、感情を挟まず、客観的に「出来事」だけをみること。それに対して自分がどう見つめるか、思うかはまた別の話なのですよね。
10月に入って一気に秋の気配を感じる🍁🍂