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♪はる自分史

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はる自分史をまとめました。
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記事一覧

はる自分史11 家のこと②

小学生の頃の家のこと諸々の思い出ツイートをまとめました。 1.母の料理目黒区で育った母の娘時代は、ずいぶん都会的な生活をしていたようです。都心の料理教室に通うのに移動時間も交通費もあまりかかりません。ちょっと羨ましいです。 なぜ市販のルーを使っただけで父があんなに怒るのか謎でした。よほど好みに合わない味だったのでしょうか。 「今日はうまくできたのよ~」と極上笑顔の母。がっかりさせて悪いことをしました。 サンマの塩焼きは、結婚して自分で焼くようになってやっと好きになりま

♪はる自分史 夏休みの思い出

8月21日~22日、自分史倶楽部の「あの日の思い出企画」第3弾 「夏休みの思い出」企画、ツイートをまとめました。 まずは小学校の自由研究の思い出です。 それにしても宿題が多かったな~と思い出してツイートしました。 そしてまたまた自由研究の思い出です。 お人よしが露呈しましたが、自由研究を頑張ったのはいい思い出になりました。 最高に楽しい思い出でした。 カツオはお刺身でおいしくいただきました。 運動は苦手なのに、意外と力持ちでした。 蝉の羽化が神秘的で、みんな

♪はる自分史 番外編 両親の子ども時代

 父も母も、子ども時代のことをよく話してくれました。面白かったもの、大病した話をツイートしました。 1.両親の笑い話 祖父母が仲良しなのは良いことですが、それにしても母はおしゃべり娘です。 祖母がママ友の前で赤面しているところが目に浮かびます。  いかにも父が言いそうなことだったので、この話を祖母から聞いた時はお腹がよじれるほど笑いました。 2.両親の疫痢の話 身体の発達が著しいはずの時期に大病したので、父はその後とても大変だったようです。  父も母も、東京で親と一

はる自分史8 小学校2

小学校は2年生の時に分離校ができて、新しい学校に通うことになりました。新しい学校はピカピカでいろいろ新鮮でした。 1.新しい学校AR地形模型というアプリで調べたら、小学校の場所はもとは里山でした。グラウンドの土が砂利混じりの粘土質。雨あがりはひどいぬかるみになりました。 私の子どもたちが通った学校にはタイヤがなかったので、母校だけだったのかなと思ってツイートしたら「タイヤ懐かしい」「母校にもありました」とリプをいただきました。小学校の遊具に古タイヤ、よく使われていたのです

♪はる自分史4 幼稚園1

4本目の自分史noteとなりました。 区切りとして「幼稚園」と題していますが、園の出来事だけでなく、5歳~6歳の時の記憶を思い出すままにツイートしました。 1.引っ越し都内の社宅から郊外の森の中に引っ越したところから幼稚園期は始まります。 森に囲まれた、自然が豊かなところへ引っ越してきました。 一応東京のベッドタウンですが、まだ開発が始まったばかりなのです。 2.幼稚園入園入園早々、園バスで大変な思いをしました。 この頃の園バスは、園児が全員乗っているか、誰がどこ

はる自分史2 赤ちゃん期

11月17日から、Twitterで自分史活用アドバイザーのマーシーさん主催 自分史倶楽部に参加して1か月が経ちました。 私もコツコツ楽しく投稿を続けています。  私は一人っ子なので、よく「弟妹がいたらいいな」と思いながら自分の幼少期のアルバムを眺めていました。写真に写ってる自分はどんな赤ん坊だったんだろう?と思い、両親に尋ねました。 まあ出てくる出てくる。両親が手を焼いた話や失敗談。 どこの家庭にもありそうな平凡な話ですが、#自分史倶楽部で、「はる自分史 赤ちゃん期」

はる自分史1 両親の出会い

初めてnoteを執筆します。1作めは、Twitterの#自分史倶楽部で綴った両親の出会いの物語をまとめてみました。 1.きっかけ Twitterでマーシーさん@marcy60marcy の#自分史倶楽部 に出会い、自分史を身近なものに感じました。 実家には、父方の大叔父が曽祖父について書いた自費出版本がありました。自分史はお金がかかるイメージでしたが、なんとマーシーさんの#自分史倶楽部はお金がかからない!それなら気軽に書くことができます。 マーシーさんはじめメンバーの

はる自分史10 小学校3

4年生の時の思い出から始めます。10歳前後ともなると、楽しいばかりではなく苦い思い出も交じってきます。 1.4年生のクラス男子が捕まえてきた蛾はアゲハチョウくらいの大きさ。先生じゃなくても気持ち悪かったです。 リレーは私が走るとたいて抜かれるので、男子からは特に同じチームになるのを嫌がられました。 2.天敵出現私はボンヤリなのでSを嫌う感情は湧かなかったですが、怒鳴られるのは怖くて嫌でした。 これだけ失礼なことを言うSですが、誰かがSを悪く言っているのを見たことは1度

♪はる自分史9 家のこと1

私は小学生の頃のことをかなりたくさん覚えています。6年間の出来事をすべてひとまとめにすると長大になってしまうので、おおまかに学校、地域、家のことに分けて綴っていこうと思います。 1.運動苦手低学年のころは、いろいろ下手でも遊びには入れてもらえました。でも自分でも運動が苦手なことに気づき始めて、だんだん恥ずかしくなってきました。 私の他にも運動が苦手な子はいましたが、自転車に乗れないのは私だけでした。 怖がりなことが最大の障害でした。 18インチの小さな自転車は、5年生

♪はる自分史7 小学校1

自分史noteも9本めになりました。 ありふれた思い出ですが、ツイートするたびに芋づる式に思い出し、1年生だけで21ツイート! いったい何ツイートしたら卒業できるでしょう(笑) 1.小学校入学初めて切符を持ったのが嬉しすぎて、失敗しました。 以後は必ずポケットに入れるよう気をつけました。 母は手仕事が好きではないのに、ずいぶん頑張って縫ってくれたと思います。私にはとてもこんな子供服は縫えません。 今も新1年生がランドセルを背負っていると、ランドセルの方が大きく見え

♪はる自分史5 幼稚園2

自分史を綴るうちに、忘れていた幼稚園期の思い出がたくさんよみがえってきました。幼稚園入園だけでなく、自身の引っ越し、祖父母が隣に引っ越してきた等、変化の多い2年間だったと思います。 1.日常のこと昔気質の大工さんです。祖父母とは長い付き合いのようでした。 大工さんからもらった木切れの匂いと感触が気持ちよかったです。 あとから考えると、すべて材料は母の古着でした。 見覚えのある地味な洋服に、心が落ち着いたのを思い出します。 灰色のドロドロ、中身がなんだったのか、いまだ

♪はる自分史6 幼稚園3

卒園まであと少しなのですが、あと16ツイート続きます。 1.ピアノレッスン 親が子どもにものを教えるって難しいですよね。 この時の2人目の生徒さんには中学校で再会しました。その時も相変わらずとても素敵な演奏をしていました。 父の言い分は「ごもっとも」でした。 父はなんでもかんでも筋を通したがる人なので、本人も生きづらいのでは?と思うことがあります。 いい音を毎日聴くのは効果的だったと思います。 絶対音感の訓練はゲーム感覚で面白かったです。ツイートにも「面白そう」

バレンタインデーの思い出

2021年2月13日~14日、自分史活用アドバイザーのマーシーさん主催 自分史倶楽部の「あの日の思い出企画 バレンタインの思い出」 が開催されました。 総勢34名。男性側、女性側からの甘酸っぱい思い出がいっぱい集まって、大変な盛り上がり。なんと総ツイート数119でした。 それぞれのいろんな時期の多彩な思い出、とても読み応えがありました。 企画の全ツイートはマーシーさんがnoteにまとめてくださっています。ぜひお読みください。 私も自分のバレンタインツイートをまとめ

はる自分史3 幼児期

昨年11月からTwitterで、自分史活用アドバイザーのマーシーさん主催 自分史倶楽部に参加しています。 はる自分史は昨年12月6日から書き始めた幼児期編が22ツイートで一区切りついたので、noteにまとめました。 1.衝撃の体験⁉もっと大きくなってから「幽体離脱」という言葉を知りました。その描写が私の夢にそっくりなのを知ってびっくり。私は小さい頃から霊感はまったくないのに、夢と思っていたのは幽体離脱体験だったのでしょうか。 母が事故のあと父の荷物を取りに警察に行く