はる自分史8 小学校2
小学校は2年生の時に分離校ができて、新しい学校に通うことになりました。新しい学校はピカピカでいろいろ新鮮でした。
1.新しい学校
AR地形模型というアプリで調べたら、小学校の場所はもとは里山でした。グラウンドの土が砂利混じりの粘土質。雨あがりはひどいぬかるみになりました。
私の子どもたちが通った学校にはタイヤがなかったので、母校だけだったのかなと思ってツイートしたら「タイヤ懐かしい」「母校にもありました」とリプをいただきました。小学校の遊具に古タイヤ、よく使われていたのですね。
いつも体育や休み時間のあとは、膝や肘から血が出ている子が1人はいました。
地図ができていく過程を見るのも楽しかったです。教頭先生の力作でした。
ずっと、もと田んぼだと思いこんでいたので調べもせずにツイートしましたが、本当はもと里山でした。里山でも栄養豊富な水はけのよくない土なことに変わりはなく、ぬかるみは大変でした。
スポンジでグランド整備も経験された方が多いのをリプで知りました。
小学校も中学校も、全校でピシっと見えるように、入場行進と全体体操の練習はかなりみっちりやらされました。私が中学に教育実習に行った時には、時代が変わったのか指先も腕も曲がったまま適当に体操する子ばかりでした。
2.学区の様子
親御さんの学歴も高かったのだと思います。
あまりに道草くっていたので母が探しに来たこともありました。
3.大好きな先生のクラス
1年生に対する指導と、3年生に対する指導はやっぱり違うのです。
4.お花係
私はお花係の仕事が楽しくて毎日欠かさずお花の世話をしたし、それが当たり前だと思っていました。二学期に係を代わってみて、自分がけっこう頑張っていたことに気づきました。
5.困った習字
なぜ私の筆は太く書けないのか、疑問に思いながらも誰かに訊くことはありませんでした。親も先生も、訊かれなければ何に困っているのか分からないのは当然です。もじもじ子は自分にとっても親や先生にとってもいろいろと困りました。
6.先生のお家へ
先生のベテラン主婦な一面が見られて楽しい1日でした。
7.宿題忘れ(確信犯)
自分の頭の中で勝手に宿題をやらない理由を作っていました。子どもらしいといえば子どもらしいです。立たされん坊で懲りました。
図鑑や鉄道の本を見るのは大好きだったので、好きなことしかしない家庭学習でした。
ここまででやっと小学校3年生です。自分のぼんやり・もじもじな性格のせいで上手くいかないことがだんだん増えてきましたが、おおむね楽しく学校に通っていたと思います。
まだまだ小学校の思い出は続くのですが、一旦ここまででまとめたいと思います。
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