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特別にはなれないから、せめて

小川哲さんの『君が手にするはずだった黄金について』を読んだ。
小川さんのことは『村上RADIOプレスペシャル』のパーソナリティとして知っていたが、著書を読むのは今回が初めてだった。

「優れた小説は書き出しから違う」とはよく言うが、本書はまさにその通りだと思った。自分とは何か、人生とは何かという命題についての問いを、問いのまま見事に言い表していたからだ。

「あなたの人生を円グラフで表現してください」という質問で、それまで順調だった僕の手が止まってしまった。

『君が手にするはずだった黄金について』小川哲 p.6


本書は六章からなる短編集である。驚きなのがどれもその主人公の名が「小川」であることだ。著者の苗字や経歴と重なることもあり、これはフィクションなのかそれともノンフィクションなのかと考えながら読み進めた。

Kindleの無料お試し版でも読むことができる第一章目の『プロローグ』は、大学院生の主人公が就職活動を通して哲学的思考を深め、自らの生活に立ち返っていく話である。
伊藤忠で働くバリキャリの彼女・美梨は応募書類の何気ない問いにいちいち立ち止まり、哲学者の名前を出すような彼を「正直言って、めんどくさ、って思った」と言う。
そもそも同じリクルートスーツに身を包む就職活動にも、面白くもないのに笑顔を振り撒くことにも立ち止まってしまうような人間は、美梨と違って社会に向いていないと言えるだろう。主人公の小川をはじめ、読者である私自身もそうだからこそ、この第一章の内容に深く共感してしまった。

小説を書いていた小川に美梨は、「就職活動はフィクションだから、エントリーシートに小説を書けばいいのでは?」と提案する。
しかし小説を書くことにのめり込む小川はいつしか、美梨と会う気にならなくなっていた。その理由は奇しくも冒頭の人生の円グラフを彷彿とさせる。

僕にとって小説を書くことと、美梨と会うことは、人生において同じ部分に存在しているのかもしれない。そんなことを考えた。
だからこそ、うまく両立することができなかったのだ。

『君が手にするはずだった黄金について』小川哲 p.33

「仕事・恋愛・趣味」
そのようなジャンル分けで人生の要素を区別することができたらどんなに楽だろう。実際の生活はもっと複雑で入り乱れている。向こう岸にあったはずのものがふと気が付いた時にはこちらに繋がり、こんがらがって身動きが取れなくなる。器用な人間はその糸を順番に解けるが、不器用な人間はどれか一本の糸を信じて他の部分をハサミで切るしかない。

側から見ると小説を書く者は羨望の眼差しで見えるかもしれないが、第一章を読むとそうではないことが伺える。では小説家に必要なのは一体何なのか。

小説家に必要なのは才能ではなく、才能のなさなのではないか。
普通の人が気にせず進んでしまう道で立ち止まってしまう愚図な性格や、誰も気にしないことにこだわってしまう頑固さ、強迫観念のように他人と同じことをしたくないと感じてしまう天邪鬼な態度。
小説を書くためには、そういった人間としての欠損──ある種の「愚かさ」が必要になる。
何もかもがうまくいっていて、摩擦のない人生に創作は必要ない。

『君が手にするはずだった黄金について』小川哲 p.121-122

私はこの文章に救われた。いつもどこか体調不良で転職活動はうまくいかず、その癖変なところを気にして立ち止まってしまうこだわりの強さ。
そんな自分が嫌になって、たまに本気で生きていることが辛くなってしまう。
でも、こうして時間さえあれば取り憑かれたように文章を書いている。noteで綴る文章は小説ではないものの、少し歪な私なりの創作だった。

「何もかもがうまくいっていて、摩擦のない人生に創作は必要ない。」

そうであるならば、うまくいかないことばかりでも文章を書く喜びを知れて良かったと思いたい。そして人間としての欠損を、創作に活かしていきたい。

僕たちは他の何かになれないから、小説を書くのです

君が手にするはずだった黄金について』小川哲 p.171


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