はるきんぐ

お寺生まれ、お寺育ち、ドイツ在住。日本のお寺で27年近く過ごした後、渡独。

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お寺生まれ、お寺育ち、ドイツ在住。日本のお寺で27年近く過ごした後、渡独。

最近の記事

広さと深み

多くの人は傾向として歳をとるにつれて自分の世界観を絶対的なものと思うようになり、同時にその世界の外にあるものを否定するようになる。 同時に理屈っぽくなり、またなぜか他者に対してしつこくなっていく。 自分を受け入れてくれるもののみを良しとし、それ以外を寄せ付けない。 一方で、いくつになっても新しい世界に対して貪欲かつ謙虚で、間違いを恐れず、そして積極的に他者を受け入れることができる人もいる。 この違いは一体なんなのだろうか。 一つ思うに、それは若い頃から今に至るまでの、自

    • 『対話力』とは

      最近、どうも人と話していて「対話」が出来ないなと思う人が増えたように思う。 それは別に、違う言語を話しているからとか単語の意味がわからないとかっていう話ではなく、対話をする上での技術面に圧倒的な欠落を感じる人が増えた、という意味だ。 何がそうさせているかは分からないが、例えばいくら他(多)言語を覚えようと、対話力がない人は結局「話しができない」人なのだ。 本題に入る前に、会話と対話についての僕のイメージを書いておく。 会話とは、日常の他愛もない話を行うことであり、対話と

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        自分にとって正解だと思っていることが世間のマジョリティから見れば必ずしも正しいとは限らないことは、実はよくあることだ。 例えば選挙なんかはその最たる所なのではないだろうか。 自分が推してる候補者や政党が結果的にその時代の正解とかけ離れた経験は、 きっと多くの人が一度はしていることだろうし、だからと言って自分の意思を曲げてまで勝ち馬に乗りたいかといえば、少なくとも俺はそうは思わないし、そこは割と同意してもらえるのではないかと思っている。 その”例え“が別のものであっても、同じ

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          ここ最近、時々ではあるけれど、コロナで準ロックダウン状態になった街を散歩している。あえて自転車には乗らず、買い物ついでに少し距離のあるスーパーまで歩くようにしている。 最近の南独はすごく天気が良くて、毎朝起きた瞬間から鳥達の鳴き声と優しい陽の光に包まれることができる。準備を済ませて午前中の太陽を求めながら歩くと、あまり人通りもない田舎道ということもあって、とても快適に健全な身体にバージョンアップすることができる。 どこからともなくほんのり香ってくるマリファナの臭いも、ある意

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          人間は誰しも芸術をすべきだ。 これはつい最近ある人に言われてハッとさせられたことで、それ以来自分の日常に取り入れている。 それは何も高尚な絵を描いたり俳句を呼んだりするのではなく、地面に絵を描いたり日記を書いたり、そういうもので良い。 いつでも誰でも0円で出来ることだ。 その際に、自分の精神状態にうそをつかないことが大切だ。 だから今こうして分かったような顔しながら色々と書き綴っているけれど、ある日突然怒りに任せてキーボードを走らせる日が来るかもしれない。 でもそれで良

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          前回、自分の宗教観について書いた。 前回と違う書き方をするなら、“自分の信ずるところを信じ“ている人間だ。 一方、やや矛盾するようではあるけれど、自分の中の神仏と繋がる時間をものすごく大切にしている。 実家の兄に御祈祷してもらったお札に毎朝毎晩手を合わせ、そのお札を通して自分の中の神仏とつながり、その日一日の誓いと感謝を唱えている。 「自分と自分の家族、大好きな人達、そしてその大好きな人達の大好きな人達が、良い一日を過ごせることに感謝します。大難を小難に、小難を無難に。」

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          宗教観の話。 お寺で生まれ育ったおれは昔から仏教とは何かについて常に考えてきた。 「宗教」に分類される以上、仏教に対して宗教臭さがでてくるのは仕方のないことではあるけれど、おれに言わせりゃあれは哲学だ。 考え方を教えてくれるけれど答えは教えてくれない。 そういう意味では人を選ぶ。多少のオツムがないと騙そうとしてくるヤツらのカモになる。 今回はそこは置いておく。 お釈迦様は、「自分を信じろ、誰かを崇めるな。自分で考えて自分で判断できるようになってそれを信じて進めば、自ずと

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          何かを書くあてもなく、キーボードを走らせる。おれは何を書くのか。ちょっとお酒も入っている。これは祝杯だ。今日は甥っ子が産まれたから。とてもおめでたくて、嬉しくて、ほっとして、朝はしばらく涙が止まらなかった。実家にいなくて本当によかった。泣いてる姿は恥ずかしいからね。笑 コロナの終息(収束?どっちが正解?)が見えない、こんな時代に産まれてきたあの子はきっと大きく育ってくれるだろう。 この文章は不特定多数に読んでもらうための物ではないから、そういう為の文章よりも少し気持ちがこも