広さと深み

多くの人は傾向として歳をとるにつれて自分の世界観を絶対的なものと思うようになり、同時にその世界の外にあるものを否定するようになる。
同時に理屈っぽくなり、またなぜか他者に対してしつこくなっていく。
自分を受け入れてくれるもののみを良しとし、それ以外を寄せ付けない。

一方で、いくつになっても新しい世界に対して貪欲かつ謙虚で、間違いを恐れず、そして積極的に他者を受け入れることができる人もいる。

この違いは一体なんなのだろうか。

一つ思うに、それは若い頃から今に至るまでの、自分と考え方やタイプの異なる人間と関わってきた量がモノを言うのではないかと思う。

若い頃から自分と同じような環境の同じような考え方の人とばかり付き合い、考え方の違いを排除していくと、段々とその世界のみが正解となってしまい、自己が確立されると言えば聞こえはいいけれど、詰まるところ、世界が狭くなり、果ては老害へと成り下がる。
もちろんこれは若ければ大丈夫という物でもなく、若くして老害となってしまった人は実はかなり多い。そうした人間に限って全てを知ったような口ぶりで他者を否定するし、逆に、年老いてなお常に自身の考えに固執せずにいられる人も、当たり前ではあるけれど、もちろんいる。

若い頃からそれなりに傷を負い、時には間違えながらも自分とは違う感覚の人と接してきたり、あるいはそういう相手と恋愛をしてきた人のキャパシティは大きく、たとえ自分と違う意見を持つ人と話す機会があったとしてもまず飲み込み、次になぜその人がそう思うか、できる範囲で相手の立場になって考えることを苦手としない。
もちろん誰だって自分と似た人と一緒にいる方が快適だしストレスの波もさほど大きくならない。けれども、そうなると人としての成長は止まる。
それは対人関係に限らず様々な分野においても言えることなのではないかと思う。
その道のみを歩いてきた人ももちろんエキスパートにはなれるのかもしれないが、深みは出にくいのかなと思う。
失敗や回り道を重ねることや、様々なタイプの人間とあえて付き合ってみることは、人としての器の大きさを広げていく上で、深みを出していく上で、欠かせないことなのかなと、最近特に強く感じている。

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