6

自分にとって正解だと思っていることが世間のマジョリティから見れば必ずしも正しいとは限らないことは、実はよくあることだ。
例えば選挙なんかはその最たる所なのではないだろうか。
自分が推してる候補者や政党が結果的にその時代の正解とかけ離れた経験は、
きっと多くの人が一度はしていることだろうし、だからと言って自分の意思を曲げてまで勝ち馬に乗りたいかといえば、少なくとも俺はそうは思わないし、そこは割と同意してもらえるのではないかと思っている。

その”例え“が別のものであっても、同じことが言えるだろう。
しかし、選挙と違って、“違う”ことが場合によっては人から異端扱いされたり、あるいは否定されたりすることも、物によってはあるかもしれない。
しかし人間は自分以外のすべての人と合わせられる程単純な生き物ではないし、
その他人との間に生じる“歪み”に人はもがき苦しむ。

いや、多かれ少なかれ人はみな歪みを抱えているものだ。
それが大きいか小さいかの違いでしかない。
大きければその分ある種の生きにくさを抱えて生きていくことになるだろうし、
小さければその歪みは殆ど目立つことはないだろう。

社会的に見たら大きな歪みも、その歪みにしか合わない別の歪みが存在する。
それぞれが抱える歪みがうまく混じり合う人と出会えることは、両者にとって、それは救いであり、この上ない喜びである。

少なくとも俺は、そういう人との出会いこそが人生の醍醐味ではないかと思っている。

そういう出会いはなかなか経験できるものではない。
探して見つかるものでもないし、探し方のルールもない。
けれど、だからこそ、見つけた時の、というよりも相手が見つけ出してくれた時の喜びは計り知れないものがある。
そこには性別も年齢も立場も国籍もまるで意味を持たない。

あなたが今までの人生で知り合ってきた、星の数ほどいる人達の中で、この俺を見つけてくれてありがとう。

それだけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?