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「人生一度は、ぜひ適応障害になりませんか?」

こんにちは。
はるきです。


吃音症の元教師です。


今日の記事は「赤坂見附の夜景」の写真を
眺めていたら思いつきました。


赤坂見附の夜景さん、ありがとうございます!
(本題とは関係なし!笑)

赤坂見附の夜景


さて、
今回のテーマは、


「人生一度は、ぜひ適応障害になりませんか?」


という内容で語ります!


教師13年目にして適応障害になったとき、
それはそれは苦しい時期を過ごしました。


でも、
実は適応障害による恩恵もありまして
案外メリットの方が多かったりします笑


そんなことを考えているうちに、


「人生に一度くらい
適応障害になってもいいね!」


とまで思えてしまいました笑


今回はぜひその理由を伝えて、

毎日を悩みながら過ごしている人に
何かの参考になれば嬉しいです!

今日のポイント❗️


それではレッツゴー!


「人生一度は、ぜひ適応障害になりませんか?」


強制的に嫌な仕事とバイバイ

僕は仕事が原因で適応障害になりました。


当時の仕事は朝早く夜が遅い。
充実感もない。
達成感もない。


正直辞めたいと思っていました。


ただ、辞めるといっても
次の仕事があるわけでもない。
妻も子どももいるので収入も必要。

だからなかなか辞められない。


そんな状態でずるずる仕事を続けていました。



心はやる気がないのに、
体は動かさなければならない。

こんなモチベーションで仕事をすると、
心と体がバラバラになっていきます。


そんなときにドーンと
つらく苦しい仕事が降りかかってきました。


そんな日々に耐えられず
適応障害になり、
仕事を休職、そして退職しました。


このときに
自信を失ったり、
自己肯定感が下がったりと、
ボロボロの精神状態でしたが、


思えば、
辞めたい辞めたいとずっと思っていた仕事を


「強制シャットダウン」


することになったのでした。


神様か悪魔か誰のおかげかはわかりませんが、

強制的に嫌な仕事とバイバイできました笑



平日休みの素晴らしさ

休職期間は約3ヶ月ありました。

もちろん
もうその仕事は辞めようと思っていました。

でも
職に就いていれば、

・休職ができたり、
・傷病手当がもらえたり、

と何かとメリットがあるのです笑
(結果論ですよ。狙ってません笑)


休職期間はもちろん平日も休み
(土日もね笑)


家族とお出かけもたくさんしました。


僕は大学卒業からずっと教師をやっていたので
人生ずっとカレンダー通りの生活でした。


平日は学校。
土日が休みです。


だから平日休みというものを
はじめて経験したのですね。


そしたら…です!


何だこの天国は!?

でした笑


僕は東京に住んでいるので
お出かけをすれば何かと混んでいます。


電車は疲れる。
ランチも並ぶ。


しかし、
平日休みはそんな苦労が吹き飛びました!


土日に行くとガヤガヤしている商業施設も
まぁ空いています笑


人気スポットも行きやすいです!


ただし、
通勤ラッシュの時間は外しましょう笑



平日休みって素晴らしいです。


もっと日本中で広まってもいいかもです笑


週4日勤務の最強さ

教師を退職して
「学校生活支援員」になりました。


このお仕事は時給でお金が発生しているので、


・残業なし


と管理職から厳しく制限されています。
(素晴らしい!)


そしてたまたまだったのですが、

・家から近い

というメリットもありました。
(徒歩10分)



極め付けは、

・月17日間勤務

と決まっていました。


するとですね。


祭日が少ない月ですと、

週4日勤務が生まれてくるのですね。


週4日勤務の暴力は生半可じゃありません笑


まず平日休みが味わえ、


「今日頑張れば、明日休み!」を週2回
味わえます!笑


もちろん
教師よりはガクッと給料が下がりましたが、

人生にこんな経験をするのも
いいことですね!


仕事って楽しい!

適応障害になった前職では
仕事が嫌になりました。


しかし人間、
不思議なもので

仕事をやらなくなると、
何だか自分の存在価値が失っていくのです。


仕事ってなんだかんだ、
「社会貢献」なのです。


それなりの社会貢献をして、
対価としてお金をいただきます。


仕事を休職・退職して
お休みをたっぷり満喫できましたが、

やはり人生において
「仕事」って
すごく大切なのだと思いました。


とはいえ、
適応障害ど真ん中の状態で
働くのは無理です…


元気になってから
これまでの経験を生かしつつ、
ストレスや疲労も低い仕事を選びました。


そしたらですね…


仕事が楽しくなったのです!



もちろん
教師という仕事も好きでした。


しかし、
長いキャリアで
マンネリ化していた自分もいました。


だんだん仕事がつまらなくなっていきました。


そんな状態で一度仕事を辞めて
心身を充電できました。


すると
何だか新鮮な感じがして、
仕事がまた楽しくなってきたのです!

お金をいただくことも
より嬉しくなりました!



1人暮らしをすることで
「家族の大切さ」を知るとよく言います。


「失ってからわかる大切なこと」ですね。


それと同じなのかも知れません。


「仕事を失ってからわかる大切なこと」
きっとあるのだと思います。


紆余曲折ありましたが、
僕はそれに気づけて良かったと
心から思います!


自分の限界を知れた

あまり詳しくは言えませんが、
適応障害になった学校は大変だったのですよ笑
(僕にとってはですよ)


暴力、暴言、妨害があふれる空間でした。


僕もモチベーションがあればよかったですが、
ちょうど教師がつまらなくなっていた
時期でした。


それでもその職場で
3年と数ヶ月続けていました。


「このつらい経験を乗り越えれば、
俺はもっと成長できる!」


とも思っていましたね。


これまでも
つらい経験はありましたから。


しかし
達成感もない、
充実感もない、
そんな暗闇をもがくには限界がありました。


限界を超えてしまったとき、

右目に黒いモヤができ、

睡眠障害になり、

体が震え、


適応障害になりました。


でも良かったのだと思います。


僕はこの経験から

「自分の限界」を知ることができました。



「このつらい経験を乗り越えれば、
俺はもっと成長できる!」
というときもあるけど、
そうじゃないときもあることがわかりました。


仮に暗闇の中に一条の光があろうとも、
それは「内」ではなく、
「外」にあることもわかりました。


自分の限界が知ったからこそ、
「どこまで頑張れるか」がわかります。


自分の限界を知ったからこそ、
「限界を超えるべきタイミング」
わかります。



もしかすると
適応障害とは自分の限界を教えてくれるサイン
だったのかもしれません。



今では

「適応障害になってよかった!」

とまで思えます。




いかがだったでしょうか?


皆さんも一度は適応障害になってみたいと
思いましたか?笑


まぁ僕も「もう一度なれ」と言われたら、
そりゃ嫌ですよ笑



とにかく
適応障害になっても
決してマイナスではないことを
ぜひ知ってほしいと思いました!


そして、
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これからも一緒に乗り越えていきましょう!

それではまた!

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