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適応障害が挫折ではなく、成長に変わる3つのステップ

こんにちは。
はるきです。

吃音症の元教師です。

今日の記事は「戸越銀座商店街」の写真を
眺めていたら思いつきました。

戸越銀座商店街さん、
ありがとうございました!
(本題とは関係なし!笑)

戸越銀座商店街

さて、
今回のテーマは、


「適応障害が挫折ではなく、成長に変わる3つのステップ」


という内容で語ります!

適応障害になると、

・仕事を休職する
・仕事を退職する
・収入がなくなる
・自信がなくなる
・自己肯定感が下がる

などなど、
まさしく人生の挫折というものを味わいます…


僕はすべて経験しました。


しかし、
振り返ってみれば、
「成長の糧になったなぁ」
と思えることも案外ありました。

決して負け惜しみではなく、
本当に笑


ただ、
適応障害が挫折から成長へと変わるには
やはりそれなりのステップがあったな
と感じます。

今回は僕の経験から、
適応障害が挫折ではなく、
成長に変わった3つのステップを紹介します!


適応障害によって挫折を味わっている人に
何かの参考になれば嬉しいです!

今日のポイント❗️


それではレッツゴー!


適応障害が挫折ではなく、成長に変わる3つのステップ



①古い価値観が壊れる

適応障害になったとき、
僕はこれまでに培ってきた古い価値観に
しがみついていました。

・物事を途中でやめるのは悪いことだ

・上手くいかないのは自分のせいだ

・成長するためにこのつらさを乗り越えるんだ


一見、
かっこいい言葉たちですね。

しかし、
適応障害になったときは
これらのかっこいい言葉たちが
僕を苦しめました。


・物事を途中でやめるのは悪いことだ
→今の状況はもう無理だ…やめたいよ…

・上手くいかないのは自分のせいだ
→できない自分に存在価値はあるのかな…

・成長するためにこのつらさを乗り越えるんだ
→去年も今年もつらさが変わらない…


古い価値観とそれを諦めたい自分が
ゴツゴツと戦っていました。

そして、
古い価値観を諦めたとき、
僕が今まで培ってきた「すべて」
なくなってしまうような気がして、
本当に怖かったのです。


そしてその結果、

学級担任だったにも関わらず、
6月に仕事を休職、
9月に退職しました。


学級担任という責任を、

・途中でやめて

・子どもや保護者、同僚に迷惑をかけて

・このつらさを乗り越えられず、

心療内科へ行き、
適応障害と診断されました。

僕が今まで培ってきた価値観が
「強制的」に壊された瞬間でした。

これが苦しいファーストステップです。

ものすごい挫折でした…

では次のステップは何でしょうか?


②新しい価値観が生まれる

休職中は心身の療養に努めました。

ゆっくり読書をしたり、
お出かけをしたり、
家族と過ごしたり。

それはそれはステキな経験でした。

しかし、
テレビからふとした言葉やBGMが流れて、
それが仕事に関係する内容だったとき、
途端に不快な気分が込み上げてきました。

その場で座り込んでしまうほどです。

適応障害で何よりもつらかったのが、
今まで培ってきた価値観が壊れたこと。

自分に自信をなくし、
自己肯定感のかけらもありませんでした。

心身を休めつつも、
ときどき不快な気分になる、
そんな休職期間を過ごしていました。


ただ、
人間不思議なものです。

いや、
素晴らしいと言っていい。


古い価値観が壊れた後、
また新たな価値観が
ふつふつと生まれてくるのです。

・物事を途中でやめるのは悪いことだ

・上手くいかないのは自分のせいだ

・成長するためにこのつらさを乗り越えるんだ


今までの価値観から
適応障害の経験を経て、

・物事を途中でやめていいときだってある

・上手くいかないのは自分「だけ」のせいじゃない

・充実感、達成感がないつらさを続けていても意味はない

このような価値観が
新たに生まれてきました。

この価値観は万人のためのものではなく、
僕だけのものです。

世の中の正解ではないかもしれません。


でもいいのです。

古い価値観が壊れ、
新しい価値観が生まれたとき、
なんだか「生まれ変わった」かのように
スッキリしたのです!

こうなると、
休職期間中も得した気分になり、
楽しめちゃうのです笑

さぁ古い価値観が壊れ、
新たな価値観を生まれ、
最後にどんなステップがあるのでしょうか?


③周りと比べず自分のベストを尽くす

教師を退職した後は、
「学校生活支援員」というお仕事をしました。

先生や子どものお手伝いさんみたいな
仕事です。

学校生活支援員は、
・仕事もラクで
・定時に帰れて

素晴らしいお仕事でした笑


しかし、
教師時代より収入はガクッと下がりました。

また世間体的には
公務員から準公務員になり、
職場内での裁量権もほぼありません。

キャリア的にはレベルダウンでした。
(ただし学校生活支援員は大切な仕事です。
経験者だからこそ断言します!)


でも
それでよかったのです。

たとえ
お金が減っても、
裁量権がなくても、
その時の僕は仕事が楽しかったのです。

適応障害になったときは、

「こんな苦しいのに、
こんな安い給料なんて、ふざけんな!」


と思っていました。

そんな僕が、
働く喜びをひしひしと感じていたのです。


働くことによって社会貢献をし、
その対価としてお金をいただける。
こんな当たり前のことに喜びを感じるーー

周りから見たら、
キャリアが下がった僕を笑うのでしょうか?

それでも構いません。

たとえ周りから嘲笑されようとも
自分が喜びを感じる生き方ができるーー

それは本当に素晴らしいことでした。


学校生活支援員の仕事も
一生懸命やりました。

教師という仕事の大変さを
誰よりも知っている自分です。

少しでも同僚がラクになるよう
進んで働きました。


他の支援員からは
「〇〇先生、ダメだよね」
と他の先生に対する陰口もありました。

でも僕はそんな言葉を一切発しません。

その先生にしかわからない
つらさや苦しみがあるのです。

先生というお仕事を経験した人ならまだしも、
何も知らない人は
絶対にわからないつらさなのです。


僕は文句を言わず、
黙々とベストを尽くしていきました。


すると結果も出てきますし、
理解のある人から信頼も得てきます。

そうすると
自分に自信が戻ってきます。


過去に尊敬する大学の先生から、

よい努力がよい結果を生み、
よい結果がよい自信をつくる

という言葉を言われました。


確かに適応障害になったときは、
悪い努力によって
悪い結果を生み、
自信を失っていきました。

でも今は思いっきり逆を向いて、
仕事に励んでいます!


このときに大学の先生から授かった言葉が
頭だけでなく「肚に落ちた」気がしました。


あぁ僕は成長できたのです。


確かに紆余曲折ありましたが、
適応障害が挫折ではなく、
成長に変わった瞬間でした!


あとがき

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました!

適応障害が挫折から成長へと変わるときは、

①古い価値観が壊れる
②新しい価値観が生まれる
③ 周りと比べず自分のベストを尽くす

こんなステップが僕の場合ありました。


ただし、
これは結果論でして、
戦略的に行動したわけじゃありません笑


目を背けなくなるような出来事にも
一つひとつゲームをクリアするように
取り組んでいった結果なのです。

今ゲームという例えを使いましたが、
人生において、
レベルダウンすることなんてないですね。

どんな経験も
自分のレベルを確実に上げてくれるのだと
確信しました。

それがたとえ適応障害でも!


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これからも一緒に乗り越えていきましょう!


ではまた!

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