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Reading plants around you: 植物はメッセンジャー

Plant blindness 

身の回りの植物を観察し、読み解くようになることは、言語を習得することと、少し似ているように思います。

自分がまったくわからない言語の国を旅していると、その国の言語で話されている会話は単なる音として、文字で書かれたまわりの看板やサインは、ビジュアルとしてのみ入ってくるという経験があります。会話の感情的なものを受け取ることはでき、文字で書かれたサインや看板の意図を推測することはできるかもしれません。でも言語として聞こえてこない、または見えてこない場合、それらをバックグラウンドサウンドや景色の一部としてしまいがちです。

Plant blindness という言葉があります。'The inability to see or recognise plants in one’s own environment.'と定義されるこの言葉は、「自分のいる環境に存在している植物に気づけないこと、またはそれらを認識できないこと」というように訳すことができます。現代人に顕著なこの現象を、アメリカのボタニストが1998年にこう命名したのです。

Plant blindnessに関して様々なテストやリサーチの例があります。例えば、動物と植物の認知の比較では、一番最近見た動物の名前、その色などの特徴を質問した場合と、植物に関して同じ質問をした場合、動物に関してに答えられる人の数とその情報量のほうが植物に比べてはるかに多い、などです。

この現象は屋外の環境に限ったことではないでしょう。野菜、果物、ご飯、パン、コーヒー、紅茶、スパイスにハーブ、植物は毎日私たちの食卓に並びます。それから今日では、28000種以上もの植物が癌の治療薬など様々な目的で医療に使われています。私たちの呼吸を可能にしている酸素も植物の光合成の副産物です。イスやテーブル、箸や器などなど。こういったものが植物由来であることを意識することなく、または気づかないまま、私たちはその恩恵を受けて毎日を過ごしがちです。Plant Blindness は現代の生活の至る所に広く蔓延している症状と言えるのではないでしょうか。

植物を識別する力


私が通っていたエジンバラ植物園のディプロマコースではPlant identification とTaxonomy という授業があります。Plant identificationの授業では植物を識別する力を鍛え、plant taxonomy の授業では植物分類学の基礎知識を学びます。どちらにも共通して大切なのは外に出て、植物を観察し、自分の経験と知識を蓄積していくということ。言語の習得と同じように日々の実践の積み重ねで鍛えられるのです。この場合の観察とは、見ることのみではなく、におい、手触り、味(これは注意が必要。毒性のないと確信できる場合のみ。)を含みます。

観察力と知識の蓄積とともに、まわりの景色が読めるようになってくる。次第に路地、空き地、公園、海岸、森の中どこを歩いていても、植物をビジュアルとしてだけでなく、個々の個性ある種(スピーシズ)として捉えられるようになります。あるいは植物が自然のメッセンジャーとなり、私たちはその情報を受取ることができるようになっていきます。
そうなってくると、どんどんと楽しさが増します。

伝統的なHunting, fishing, gathering の生活を営んでいる民族は素晴らしく植物の識別と読解の能力に優れています。それは生活に結びついた生きるために必須の技術だからです。彼らは先祖からの知恵を代々受け継ぎ、また熟練者と一緒に植物を採集することによって得た知識と経験によって毎日の生活を営んでいるのです。

ディプロマ論文を書いた時にアイヌ民族の文献を集中的に読んだ時期がありました。アイヌ民族の、植物を認識し生活のあらゆる用途に用いる豊かな知識と技術にとても驚きました。彼らの生活にはとても興味深い植物との関わりがたくさんあります。

トリカブトはキンポウゲ科の植物で、その猛毒性は有名ですが、アイヌ民族はトリカブトの毒を矢毒として熊狩りに使用していました。彼らは毒を調合する際に、笹の葉の裏側から舌に伝わる毒の刺激の度合いによって獲物がどのくらいの距離を走ったあとに倒れるかなど、非常に綿密で精度の高い毒の調整ができたそうです。

コウライナンテンショウも有毒な植物ですが、晩秋になると塊茎の中心部に毒が集まるので、アイヌの人々はこの時期にこの植物を採取して中心の毒の部分を取り除き、毒のない部分を焼いたり、蒸かしたりして食べたそうです。取り除いた有毒部分は上述のトリカブトに混ぜて矢毒として使ったり、神経痛の薬として患部に使用し、乾燥した赤い実は腹痛の薬として活用していました。アイヌ民族が植物の部位や採取時期による毒性の有無や強度に関する深い知識を持ち、それをもとにひとつの植物を多用に用いていた良い例です。

アイヌの人々は植物を暦としても捉えていました。例えば、彼らはキンポウゲが咲き始める頃になるとイトウ(サケ科の魚)が川を上がってくことを知っていたので、キンポゲが蕾をつける時期になると漁の準備を始めていたそうです。

今日でも、環境調査などでは植物をインディケーターとして用いることがあります。生えている植物の種類によって気候、汚染状態、土壌pHなどの環境を評価する方法で、これらの植物を指標植物と呼びます。
ガーデニングでも生えている雑草が指標植物となり、土のタイプを示唆してくれます。例えばスギナやカタバミがたくさん生えていれば酸性寄り、ヨモギやイラクサは肥沃な土質、フキやオシダは湿った土、などがその例です。

植物観察と言うと、森など自然の奥深くに行かないとできないような気がするかもしれませんが、一歩外に出れば、道路の割れ目や線路脇などどこにでも植物は身近なところに生えていて、いろいろなメッセージを発信しています。

ある日の散歩で出会った風景

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はいつくばって生きるスピノサスモモ(Prunus spinosa)。
森林の境など、少し陽当たりの良いところでよく見かけるこの低木は通常4-5mほどになります。強風の海岸で、こんなふうに石の上を背を出来る限り低くして、横へ横へと水平に育つ姿に遭遇しました。環境によってこんなにも姿を変えるとは、植物の生きる信念とそのために発揮する適応能力に驚かされます。立ち止まって植物を見てみると、思いがけずこんなに力強いメッセージを植物から受け取ることがあります。
植物が海中から上陸したのは、今から約4億5000万年前といわれています。それ以降、適応と進化と絶滅を繰り返しながら今に至っている植物界の偉大さの片鱗を垣間見たひと時でした。



参考文献:
福岡イト子(1995),アイヌ植物誌 
Christine Ro(2019), Why plant blindness mattes - and what you can do about it, BBC

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