雪・彼女について
しんしんと雪が降りつもる帰り道、視界一面に踊る雪が傘の下から流れ込んできて腕や足に染みていく。お婆さんがいかにも今の今までこたつにいましたって格好で家の前の雪をかいていた。フリースにちゃんちゃんこだけ着て雪の中せっせと雪かきしてる。寒くないのか、どうしてあんな無防備な格好のままスコップ手にして本格的に雪かきしてるのか、手袋すらしてない。家族はまだ仕事から帰らないのだろうか。家族が帰る前に出来るところだけでもと思ってやっているのだろうか。見た目のわりに元気なおばあちゃんだ。だけどやはり、切なくなる。他人だから手伝えない。声もかけられない。それが何故だか悲しい。
去年カナダに嫁いだ友達のことを思い出してた。あたり一面の白化粧と部屋着のまま雪かきするおばあちゃんを見た時の愛しさが記憶の鍵になったのか、彼女とのワンシーンが鮮明に蘇り、大学時代に戻ったかのような一瞬が胸を締め付けた。
確かあの年は記録的な大雪で、学部棟の隣の芝生に後輩たちを呼んででっかいピラミッドを作って、私は味覚障害だった。全く食べ物の味が分からない冬だった。ピラミッドを作った後にみんなでラーメンを食べに行ったけど、私は馴染みある焦がし味噌ラーメンの味が全然しなくて静かにショックを受けていた。だけど「少し味がした!」とかなんとか言って食べたと思う。後輩たちが好きだったから本当のことは言わなかった。それか、本当に光明が見えたのかもしれなかった。もう嘘か本当か自分でも分からない。その当時は嘘ばっかりついていた。ちなみに、もうあの味噌ラーメン屋は無い。
その後だったか、その次の日だったか、退院してから初めて彼女の家に行った。入院中彼女は何度もお見舞いに来てくれて、漫画を沢山持って来てくれたし、一緒にご飯を食べに来てくれていた。(連日色んな友達や後輩や先輩が会いに来てくれたから私は入院中全く孤独じゃなかった。)私に出されていた米のとぎ汁みたいな八部粥を見て「お腹空きそうだね」と言った。「でも痛くて食べるのつらいし疲れるからお腹は空くけど食べたいという気持ちにはならない。今は食べるのが苦行だから」と言うと、「可哀想に、私なんて食べるのが唯一の楽しみなのに」と心底気の毒そうな顔をした。それが彼女らしくて私はつい笑ってしまってから痛くて泣いた。笑うと手術したばかりの喉が引き攣って痛んだ。その時はまだ、声もちゃんと出せてなかったと思うのに、彼女との会話を覚えているのは不思議だ。もしかしたら私の記憶の中だけのやり取りなのかもしれない。
雪の山に埋もれかけた轍を辿り彼女の家まで歩いた。雪は膝まであって、晴れていたけど気温は低く、一向に雪解けの兆しはなかった。ゲレンデのような住宅街を葉っぱ柄のカーテンがうっすらと見える小窓を目指して進んだ。ほっぺが凍りそうなほど寒かった。彼女のアパートに着くまでに、身体は芯まで冷え切って、足のつま先には感覚が無く、鼻水が出て自然と肩に力が入った。彼女の部屋に招かれた時にはもうすっかり凍えていて、肩も凝って、鼻水がもう少しで垂れそうだった。玄関に入った瞬間に眼鏡が真っ白に曇って何も見えなくなった。彼女の部屋はとても暖かかった。遭難者が薪木の燃え盛る暖炉のある暖かい小屋に辿り着いた。彼女は私の容態を聞き、元気そうで良かったと言った。「2週間もずっと寝てたから筋肉が落ち過ぎて今は何をしても筋肉痛」と弱音を吐くと、「それでも私よりは筋肉あるから安心して」と言い、私は確かになと笑った。味覚はどうなのと彼女は聞いた。うーん、あんまり。正直、全然。
楽しいことや面白いことや明るい話題なら誰とだって分かち合えるけど、苦しいことや悲しいことやつらいことを話してもいいと思える人はごく僅かしかいない。彼女は貴重なその1人。彼女の何がそうさせるのかといえば、彼女の過去や興味や人柄や体質なんだろうけど、うまく説明出来ない。ただ彼女の醸し出す理想の母のような優しくて大らかな雰囲気が、寛容な態度が、いつでも私を安心させた。彼女みたいな女の子と私みたいな人間がどうして仲良くなれたのか、こればかりは神様に感謝するべきなんだろう。
その日、どうして彼女の家に行ったのか覚えていない。いつものように2人で映画を観たのだったか、ただお茶を飲んでおしゃべりしただけだったのか、会う口実は忘れてしまったけど、彼女の家に向かっていた時は太陽が雪に反射して目が焼けるようだったのにいつの間にかあたりは真っ暗になっていて、おまけにちらほらとまた雪が降り出して、窓ガラスは結露して指で絵を描けた。心底帰りたくないと思っていた。この暖かくて心地良い空間から出たくない。外は極寒だし、帰る私の家もまた冷たく虚しく寂しいものだ。彼女の部屋は温度も雰囲気も暖かい。
私にはファンシーな志向は無く、淡いピンクもふわふわなぬいぐるみもレースもお嬢様趣味のティーセットも欲しいと思ったことはないけど、不思議の国のアリスみたいな彼女の部屋は居心地が良かった。白いベットも丸いテーブルも大きなミシンもお洒落な紅茶も家具と言うより調度品と言った方が相応しい彼女のもの全てに私は好感を持っていた。私が外に出たくないけどお腹減ったと我儘を言い出すと、彼女はじゃあ家にあるもので何か作ろうと言ってパスタを作ってくれた。それからスコーンを焼いてくれた。「甘くないものの方がいいと思って。スコーンならもともと味そんなにしないから味分からなくても楽しめるんじゃない?」焼きたてのスコーンは美味しかった。外はクッキーみたいにさくさくしていて、中はしっとりふわふわで、香ばしく、味など全く分からなかったはずなのに、美味しいと感じた。感動した。感動してスコーンのレシピを教わったけど、この時のスコーンを再現することは出来ないだろう。
彼女がカナダに行ってから、距離は出来たけどスカイプなんかで時々話をして、日本に帰ってくるのを楽しみに待っていたけど、運命は想像以上のハッピーエンドを我々に与え、彼女はカナダで最高の幸せを見つけ、日本を半永久的に離れる決意をした。なんてドラマチック、なんてロマンチック!
彼女が日本を出て行く時の我々は、ブラック企業に夢も希望も健康も打ち砕かれ、社会に挫折し、日本に、そして自分たちの未来に全く何の希望も抱けてなかった。不安ばかりが渦巻いて、何をどうしたら望む方向へ進めるのかまるで確信が持てなかった。それでも何かしなくてはと彼女は旅立ち、私は日本でそれを見送った。
彼女がクリスマスイルミネーションの中で片膝をつきエンゲージリングを差し出す最愛の人を前に拍手喝采と祝福の声を浴びながら一つの達成感と生まれて初めての幸福に震えていた時、私は何をして何を考えていたのか全く分からないし覚えてもいないけど、そういうことがあったんだよと電話で話す嬉しそうな声を聞いた時私は職場の更衣室で人目も憚らず泣いていた。
良かったねという気持ちと、じゃあもうずっと離れ離れなんだなという寂しい気持ちとがない交ぜになって押し寄せていたけど、涙の本当の理由は運命のサプライズに感動していたからだった。
彼女は一回も本当の意味で人を好きになったことがないと言っていたし、実際にそうなのだったし、将来はお見合いで適当な人と結婚するのだろうと、「私は人を愛することが出来ない」と大学時代から愛について諦観していた。
その彼女が、まさか、である。
その当時の私の心境は極めて複雑だった。とてもじゃないが一言では言い表せない。いつかはこういう日が来ることを知っていたけど、やっぱり知っているのと経験するのは全く違う。どんなに好きな友達も、青春時代を共に過ごした友達もやがて運命の人に出会い大人になっていく。永遠に続く夏休みはないんだ。
もう彼女がカナダに嫁いでから何ヶ月も経ったし、彼女の夫にも会ったし、ラブラブな2人を目の当たりにしたし、今更心が波立つようなこともないと思っていたけど、まさか、雪がこんなにも記憶を蘇らせるとは思わなかった。もうあの心地いい夢のような空間、2人で紅茶を飲みながらいつまでもお互いのことを話していられた彼女の部屋は永遠に失われてしまった。彼女の作り出す空間は特別だった。それはもう私の心の中の宝箱の中にしかない。
彼女さえいれば、またいつでもあそこに戻れると思っていたけど、そんなことはまるでなくて、もう彼女には運命の人からしか与えられない幸福があり、あの部屋もあの時の2人もあの時代のあの状況でしかあり得ないもので、今になってそれを痛感した。同時に今、私はそれを手にしている。
4月から新しい仕事、そして念願だった友達との2人暮らしが始まるわけだけど、それは学生時代の寮生活みたいなもので、期限がある。今この時代のこの状況の2人にしか出来ないものだ。だけど嬉しい。だから嬉しい。夏休みは夏休み以外が夏休みじゃないから夏休みなのであって、時間は不可逆であり、それに伴い人間も不可逆だから思い出が過去から未来を照らし続ける。
もし未来がどんな結果になったとしても、今に全身全霊を捧げたい。
彼女がもう日本に戻って来ないと知った時確かに私は喪失感で泣いたけど、一瞬にして友情を超えていく力の存在がつらかったけど、それでも友達は一番大事だと言える。
私にとって友達は一番大事だ。そして特別だ。たとえ彼女たちにとって私が一番じゃなかったとしても。
人の生を支えるのは結果じゃなく幸せな思い出、思い思われたという経験じゃないのかなと、嫌われ松子の一生みたいなことを考えている。
たとえ1人で死んだとしても、だからなんだって言える人生を。
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