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367.それは解放なんかではない

全てから解放されたいと感じる時があります。

野球部時代は、毎日毎日訪れる練習の朝がつらい日もありました。
社会人になりたての頃も、クレーマーな顧客の対応をするのが嫌で嫌で、何かの弾みで隕石でも落ちて先方がいなくならないかなと思ったこともあります。

他にも、完全に自分のせいで巻き起こった事象もあれば、生きている以上逃れることができない呪縛のような関係性だってあります。

そういった心臓を締め付けるようなあれこれから、解放されたい。

そう思うこと自体は仕方がないですが、思う度に一つの疑問に辿り着きます。

それは果たして、本当に解放なのだろうか、と。

解放よりも解決を

時にそれは解放ではなく、逃避であることが多いです。
多いというか、大半は逃避なのかもしれません。

自分の何から逃げているのでしょうか。
それを解放と錯覚しているだけなのでしょうか。

単に現象から逃れられれば解決する話なら別に逃げてもいいと思います。

ただ、本当に向き合っているのは自分自身であることがほとんど。

逃げたつもりで逆に思いっきり向き合っているのが、解放と勘違いした逃避の現実です。

自分の弱さ、癖、握りしめている謎のプライド、そういったところから逃げようとしていませんか?

自分自身に向けての言葉。

解放されたいと思っても、本当に解放されたとしても、それはいずれまた訪れる現象となって目の前に立ちはだかるでしょう。

それは実は解放ではありません。

大事なのは、根本から変えていくこと。

解放よりも、解決なのです。

根本解決とは何を指すのか

では解決とは何かというと、僕の中では一択。

「自分自身の変化」です。

また、同じことを繰り返さないために。
一時の解放から、何を得て何を失い、結果どうするのか。

得て失ったものは変わりませんから、大事なのは結果的にどうするのか。

解放されて堕落するわけにはいきませんから、気を引き締めて変化を感じられるほどの自分になること。

また何度も何度も解放されたい衝動に駆られて、その度逃避して、そういった世界を延々続けることになりかねません。

解放の善悪は、起こっている物事によりますが。

いずれにせよ根本解決は必要になってくると思います。

自戒。

今後の私の変化次第。

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