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234.願望は「有無」ではなく「開閉」である

願望がない、という話を聞くことがあります。

別にそんなにお金を稼がなくても、そんな広い家に住まなくても、格好いい車に乗らなくても、いいものを食べなくても。

たまにできるから贅沢なんだ、と思っている人も少なくないかもしれません。

かくいう僕も、その一人でした。

収入は、生活に困らなければそれぐらいで良いと思っていました。
自由と言っても、限られた休みだからこそ有効活用できるんだ、とか思っていました。

何が正解で不正解かという話ではないですが。

本当に願望は「無い」のでしょうか?

願望を持つことが正義ではないですが、それは単に、「知らない」と同義なのではないでしょうか?

「知らない=願望が無い」と、混同していないでしょうか、と思った出来事がありました。

タワーマンションの内見に行って気づく

仲のいい友達と、タワーマンションの内見に行くことになりました。
ただ、僕は願望ツアーだ!とテンションが上がるようなことはありませんでした。

我ながら斜に構えた感じで、まあ住みたいか住みたくないか聞かれれば住みたくないわけではないから、住みたいかな、ぐらいの面倒くさいテンションです。

人生一回だけなので、住む人生と住まない人生が選べるなら、住む人生がいい。
僕の中の願望はそういったイメージでした。

そんなに捻くれた天の邪鬼ではないので、人生は一回だけだということはちゃんと感じているつもりです。
本当はどうなりたいのか?と聞かれたら、事情状況過去現在全部取っ払えば、大抵のことはやってみたい、こうなりたい、が出てくるはずです。人間だもの。

さて、案内されてやってきたとある東京都中央区のタワーマンションで、入口から度肝を抜かれます。

縦に3人積み上げられるほど天井の高いエントランスと、どこの高級ホテルかと思うほどの受付とエントランス。
万全のセキュリティで、部屋に上がります。

部屋も広く、リビングの壁は一面窓で爽快な景色が見られました。

これが毎日続く生活がイメージできるでしょうか?
その瞬間はできるわけありません。
ただ、続けばいいなという想いは湧き上がってきます。
今の家で死ぬまでいるわけではありませんから。

そしてなんと、屋上に出られました。
タワーマンションの屋上はヘリポートしかないと思っていたので、驚きと共に外へ出ると、地上約120メートルから東京の街並みが一望できます。

ここには椅子がいくつか並んでいて、天気が良ければここで仕事や作業ができます。
さらに、共用スペースもたくさんあって、これは仕事がより捗りそうだと感じました。

住みたいというより、こういった部屋や屋上で仕事したいとか、こういう場所で仲間とわいわいMTGしたり飲んだりしたいといった想いの方が強い自分に気づきました。

エントランスに入る前の自分より、想いが鮮明になっているのがわかりました。

願望は知識で「開く」

願望は、こうして広がっていきます。
どちらかというと何も選択できない人生の方がいい、という人はなかなかいないと思っています。

すべての枷や現状、条件をなくせば、きっと願望が顔を出してくるはずです。と、信じてます。

願望はすべての人間にあります。

それは欲求と似ていて、人生良くなりたいという思いを細分化すると、単にいいところに住みたい、格好いい車に乗りたい、旅行に行きまくりたい、といった話ではなく、それら理想の状態や体験を通してより欲求を高次元で満たしていきたい、ということだと考えられます。

マズローの欲求五段階説では、人間には「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」といった段階ある欲求が備わっています。

その一つ一つの欲求を、永遠に追求する。
満たされることなく、より最大化を求める。

そういった力が、人間にはあるはずです。

とは言っても、日常生活で願望が開くことはなかなかありません。

有るか無いかで判断するよりは、開いているかまだ開いていないかで考えると、その閉じた願望の扉を開けるための行動につながっていくと思います。

これからも現状維持は衰退だと肝に銘じて、僕自身が願望を開き続け、やがて願望となる存在でいられるように日々精進します。

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