「まだ大丈夫」はもうアウト
このnoteを読んだときに少し前の自分と重なった。
もうすぐ20代最後の年がスタートする。その前に色々と整理しておきたいなという思いもあって、ちょっと今までのことを振り返ってみようと思う。昨年の下半期はこれでもか!ってくらい落ちまくったからなぁ…笑
「これくらい」「まだ大丈夫、大丈夫」
そう言いながら動き続けた結果、体が動かなくなった日々を。
*****
ある日、朝起きたら片耳が聴こえなかった。
昨日まで普通に聴こえていたのに。耳に水がつまったように変。起き上がろうとすると、今まで感じたことのないほどのめまい。ぐわんと視界が歪んで、立てない。
かろうじて立ててもまっすぐ歩くことができない。体支えることすらできない。
これはまずい
直感でそう思った。これはこれまでの体調の悪さと次元が違う。まずい、と思いながら仕事に行った。。行事も重なっていたし、休めないと思ったからとりあえず行く。結局耐えられなくて、病院に行かせてもらったんだけど。
思えば、そこが一番の大きなきっかけになったのかもしれない。
昔から、ちょっと無理をするのが当たり前になっていた。我慢することで何かを得られると思っている節があった。
そのせいか、本当は強くもないのに、誰かに弱音を吐くのも苦手になっていたし、多少体がしんどくても「これをやらねば」という責任感のほうが勝ってしまっていた。
熱があっても仕事をする。
体がきつくても外出をする。
悔しくてもグッと我慢する。
積み重ねていた。
知らず知らずのうちに、「これくらいなら」の無理を。
ユキガオさんが書いていたことなんだけど、これって自分にものすごく当てはまっていて。
無理をする、のが癖になっていたんだと思う。例えば、多少体調悪くても仕事に行く。効率が悪い、そんな日は上手くはいかない。わかっているけど、責任感と行っておいた方が気が楽という意味のわからない考えがわたしの中にあったのだ。
耳が聴こえなくて調子が悪かったときも本当は休んでいたかったけど、責任感の方が強くてそんなこと言えなかった。周りが言わせたんじゃない。他の誰でもない自分が「休みます」とは言えなかったんだ。
幸い発見が早かったので大事には至らなかった。今、耳はちゃんと聴こえる。でも、耳は治っても気持ちはどんどん落ちいていく一方だった。
今ならそれがどんなにきついことを強いていたのかわかる。でも、体が動かなくなるまでわたしは気づくことができなかった。「このくらいなら」「まだ大丈夫」と思いながら、悲鳴をあげている心も体も無視し続けたんだ。
一度動かなくなってしまうと、取り戻すのに随分時間がかかる。今も取り戻せたかと言われるとよく、わからない。
でも、たくさんの人の助けのおかげでなんとかちょっとずつ進んでいるとは思う。
「無理するなって言われても、そんなの無理だよ」
わたしもずっとこう思っていた。でも、今はそう思わない。体と心は正直だ。
だから、自分で自分のことをちゃんと理解しようとして、無理をしすぎているのではあれば止めること。
正直体の強くない自分は好きじゃない。もっと元気でいることができたらなと思わない日はない。けど、それが自分なんだ。だから、そんな自分を受け入れて付き合っていく必要がある。嘆くだけじゃなくて、できることもあるもの。
自分は大丈夫
今までもなんとかなってきたし
自分は大丈夫なんて保証はないし、今までやってこれたからといってこれからも大丈夫なんて保証はない。
入れものは無限じゃない、どうにかしないとコップの中身は溢れ出てしまう。
「これくらいなら」を甘く見ていたら、いつか必ず大きな痛手を負うことになる。
個人的に「まだ大丈夫」って思い始めたときはすでにアウトだと思う。なんかもう言い聞かせてる感じがする。
心や体がいつもと違う、何か異変を感じたらどうかちゃんと耳を傾けて。
「休みたいな〜」とか思うけど、元気な方がいいよ。元気に動けて、その上で色々活動できる方が絶対いい、と個人的には思う。
ユキガオさんも書いてるけど、加減や塩梅が難しいと思う。人には言えるのに自分だとそうはできないってこともあるし。
それでも、一番自分と長く付き合うのは自分だからね。
やさしく生きたいなぁと思います。
ユキガオさんも無事退院できてよかった。調子、早く戻りますように。
今日も読んでくれてどうもありがとう。またね。
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