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波流じゅん
2023年1月25日 19:05
草子は不安になりながら待つ。 だから、背後からジローの少し足を引きずったような足音が聞こえてきた時は、胸が苦しくなるほどの喜びを感じた。「おはよう」 ジローの声で、草子は初めて気づいたような顔をして振り向く。「おはよう」「楽しそうだね」「うん。楽しいよ」 ジローは自分で入れた珈琲を手に持ち、草子の隣に座り、静かに海を眺める。 ジローの手足は、枯れ枝のように細くなり
2023年1月24日 18:59
松野は何故だか楽しげに笑った。 草子は頭をあげる事が出来なかった。頭をあげると同時に、今自分の中にわき起こった殺意という感情が抑えられない気がしたからだ。「頭あげなよ」 草子は気づかれないように息を吸い込み、そっと吐き出した。何度も繰り返した。そうすることで、自分の中の憎悪を吐き出すかのように。 草子はやっとの思いで、頭を上げた。「いつ死ぬの?」「死にません」「えー、
2023年1月23日 19:54
お店の人からたくさんの説明を受けたが、草子は電話をかける以外の操作が一つも覚えられなかった。 草子は、公園のベンチに腰掛け電話をかけ始めた。 電話番号の最後に一から順番に入れていき、六のところでイボ蛙に繋がった。「もしもし」 イボ蛙の声だ。 草子は嫌悪感で全身が泡立つ感触に、電話を切りそうになってしまったが、ジローを思い出しなんとか踏みとどまった。「……もしもし」「あ
2023年1月22日 18:59
「楽しそうだね」 あの男の声だ。 草子は閉まったシャッターを腕力だけでこじ開けるように、力づくで目をこじ開けた。 あの男が微笑みながら立っていた。「やっと会えた」「毎日きてたね」「知ってたの?」「あそこの陰からずっと見てた」 男は少し離れた場所に立っている大木を指さした。「声かけてくれれば良かったのに」 草子は思わず責めたような口調になってしまった。「根
2023年1月21日 19:41
百花が呆れた顔で、草子を見ていた。 お腹がすいたと草子が言ったので、百花が美味しくはないがただただ安いというラーメン屋に連れてきてくれたのだ。なのに草子が、美味しい美味しいと言いながら、ラーメンを凄い勢いで食べているからだ。「草子さん、強いよね」「強くないよ」「強いよ。あんな目にあったのに、ラーメン食べてる」「食べる事は、生きる事だから」 百花は、尊敬の混じった視線を草子
2023年1月20日 19:04
縄を噛み切る力も既に無くなり、草子は壁にもたれて、何も感じないように心を閉ざしていた。 その時、階下でガラスの割れる音がした。 草子は床に耳を近づけ、何が起こったのか確認しようとした。 階段を上ってくる足音が聞こえる。 草子は、恐怖を感じ逃げようとするが、手足に食い込む縄のせいで、逃げることすら出来なかった。 あたしはなんて無力なんだろう。 弱い者であり続けるしか、生きて
2023年1月19日 19:00
夫に何を言われているのかわからず、草子は戸惑った。いったい何がおかしいのだ。「離婚届は後日送ります。今日は少しだけ服とか持って」 そこまで言った時に、ぐらりと眩暈がした。 草子は立ち上がろうとするが、身体に力が入らないのだ。 まさか……毒?「安心して。毒なんか入れたりしてないからさ」 夫は歌うように、草子に喋りかけてくる。「離婚なんかするわけないでしょ。俺の出世に響くだ
2023年1月18日 19:11
草子は、男と初めて出会った病院に行ってみる事にした。夫と会う危険性も感じたが、それ以上に男に会いたかった。 草子は何故か、あそこに男がいると信じた。 逸る気持ちを抑えつつ、草子は病院に向かって走り出した。 ああ、変わってない。 草子はついこの間まで、夫の薬を取りに来て、足をブラブラさせながら缶コーヒーを飲んでいた自分を懐かしく思い出した。 変わったのは自分だ。 人の人生な
2023年1月17日 19:33
草子は深い海の底に沈んだように眠っていた。海の底は心地よく、草子を包んでくれるように優しかった。 トントントン。 草子はリズム良く叩かれるドアの音で目を覚ました。 一瞬、夫が探しにきたのかと思ったが、すぐにそれだけはないと確信する。では、先程のイボ蛙なのか、いや、それもないなと草子は落ち着いた気持ちで、鍵を外した。 ドアの向こうには、高校生ぐらいに見えるド派手なTシャツを着た女の
2023年1月16日 19:12
店を出てから10分、草子は前しか見ないと決めて歩き続けた。振り返るものか。草子は振り返ると負けだと言わんばかりに、絶対に前しか見なかった。 ふいに草子は立ち止まり、赤い靴を脱ぎ捨てた。この靴は窮屈だと思ったからだ。 あたしには靴なんかいらないのだ。この二本の足があれば、どこにだって行けるはずだ。 人間は着飾る。そして、どんどん窮屈になっていく。飾れば飾るほど、自分の外側しか見なくなる
2023年1月15日 18:52
夜景が見える高級レストランに連れて行かれた。 草子の前には、曇り一つないシャンパングラスが置かれている。 つま先まで意識されたポーズで、ウェイターが草子のグラスにシャンパンを注ぐ。「君との出会いに乾杯」 松野は恥ずかしげもなく、恥ずかしい言葉を堂々と口にした。「家を出てきたんだね。僕の為に」「僕たちは出会う運命だったんだよ」「君の過去は聞きたくない。大事なのはこれから
2023年1月14日 19:00
振り向いた草子が見たものは、あの男とは似ても似つかない太った男が、車の窓から顔を出してこちらに笑いかけている姿であった。 イボ蛙に似てる。 その男は、顔が大きく、肌が荒れて、太っていた。草子は咄嗟にイボ蛙を連想した。 奇跡が起きなかった事に、落胆を覚えながら、草子はイボ蛙を無視して歩き始めた。 イボ蛙が車を降り、草子の後ろをついてきた。そして草子に名刺を差し出した。「怪しいも
2023年1月13日 19:10
草子が家に戻ると、そこは何も変わらずいつも通りの家だった。三日も草子が不在だったにも関わらず、何の乱れもなく、あるべき場所にあるべき物が置かれていた。 自分がいなくても成り立つ家。 自分がいなかった事で成り立たなかった痕跡を、草子は必死で探した。そうでなければ、自分がここに帰ってきた意味がなくなってしまう。焦りにも似た気持ちが草子を襲う。 草子は冷蔵庫を開けて中を見てみた。どうしてか
2023年1月12日 19:26
最後の夜、男は初めて草子のベッドに潜り込んできた。「ありがとう」 と言いながら、男は草子の髪を弄んだ。「明日、送るから」「本当に?」「約束だから」 明日から元の生活に戻る。その事を喜んでいない自分がここにいる。でも、戻らなくてはいけないのだ。草子のいる場所はここであってはならないのだ。 草子は男に手を差し出した。「縛って」 男は少し驚いたような表情を見せたが、