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満たされたことにより発生した満たされなさ


みたされてしまった、と思う。
しみじみ、穏やかに暮らして、もう何も言いたいことなんてなくなってしまったんじゃないか。

言いたいことは何にもなくなって、これからわたしはずんずんつまらない女になるんじゃないかと怖くなる。
本当は、幸せで、何にも考え付かないことだって大いに良いはずなのに。



最近、文章を書く気が全く起きなかった。


9月末に、恋人と同棲を始めた。都心の部屋を引き払って、新居は、新宿から快速で20分程度、緑の多い住宅街に決めた。

駅から少し歩くと、いかにも落ち着いた、少しいい暮らしぶりの人たちが住むよう住宅街が広がる。
スーパーは、都心に住んでいた頃のそれより大きくて、品揃えもいい。
料理のうまい恋人が美味しいご飯をたくさん作ってくれて、毎日お弁当を持って出勤する。

上京して、初めてオートロックがついた。洗面台が独立した。小さいけど脱衣所を手に入れた。
築30年の、やたら天井の高い部屋。角部屋で、窓がたくさんあって、カーテンがないと、いっぱいの日差しで目が覚める。

「ちゃんとした大人」のくらしだ。仮の住まいだと思って、職場から近いからという理由で住むことを決めた、都心の1DKとは違う。



満たされてしまった。もう何も言うべきことがない。

でも、何かを作り出せる人が羨ましくて、でも自分には表現したいと思う何もなくて、ずっと何者かになりたい/ならなくてもいいの間でずっと揺れているのだ。


満たされなさがないと言葉って出てこないし、そういう意欲がなくなってしまったことに対する満たされなさがある。満たされてしまったことにより発生した満たされなさ。




「お父さんとお母さんと暮らしてると、幸せすぎて自立できない」って18歳で家を出た頃から、100%の幸せに浸かったままでいられないという点では根本的に変わっていないのかもしれない。



 *   *   *



あなたの優しさだけが怖いのは「神田川」、幸せすぎて怖いわたしの生活の舞台は、再び東京西部へと移った。
神田川の源流がある井の頭公園まで、ギリギリ徒歩圏内というところだ。

そういえば、上京して1冊目に読んだ本がサマーバケーションEPだったことを思い出す。


神田川を、源流から川沿いに歩いて海を目指す物語。本当に歩いて行けるんだろうか。


なんだかまとまりがなくなってきたところで今日はおしまい。

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