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ミニチュアに惹かれるのは、そこに物語を託しているからー私がお店を開いたら扱いたいものー

ミニチュア

 昔から、何故かミニチュアに惹かれる。

 幼い頃、シルバニアファミリーやリカちゃん人形で遊ぶのが好きだった。

 その名残りで、今でもミニチュアに惹かれてしまうのだろうか。

 自分がミニチュアに惹かれる理由を、少し考えてみた。

小さな家

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 これは、母から譲り受けたものである。

 ある冬の日の、どこかにある家のミニチュア。

 実は、家の中は空洞になっていて、後ろに丸い穴が空いており、そこから光源を入れることができる。

 しかし、母はセットになっていたその光源をなくしてしまったらしい。

 それは残念だけれど、ちょうど良いサイズの手持ちのLEDのキャンドルなどを入れれば、問題ない。

 それに、灯りがなくても、このまま眺めていても楽しい。

 実はこれはクリスマスの日の朝で、室内では子どもがプレゼントを見つけて喜んでいるかもしれない。

 それとも、その数時間前のクリスマスイブの夜で、サンタクロースがちょうど、煙突からプレゼントを届けにやってきている最中かもしれない。

 そんな物語が生まれそうな、素敵なミニチュアである。

 ミニチュアの揺り椅子

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 これは、最近、自分が購入したものである。

 一目見た瞬間、惹かれて購入してしまった。

 特に、ただの椅子ではなくて、ゆらゆら揺れるのが、更に良い。

 自分は今持ってはいないが、小さな人形やぬいぐるみをこの椅子に座らせて、飾っておくと、とても素敵だと思った。

 テディーベアなども良さそう。

 1人用の椅子ではなくて、2人くらい座れるサイズなのも、また良い。

 2つの人形やぬいぐるみが並べば、何か物語が生まれる気がする。

 親子の人形であれば、家族の物語が。

 男女や同性であれば、恋や友情の物語が。

 もしくは、誰も座っていなくても、座っているのが1人でも、何か別の物語があるかもしれない。

ミニチュアに物語を託す

 ここまで書いてきて、ふと思ったことがある。

 ミニチュアに惹かれるのは、それが小さくて可愛いということも、もちろんあるけれど。

 その小さいものたちに、何か物語を見ることができるからではないだろうか。

 幼い頃にした人形遊びは、そのミニチュアを動かして物語を作っていた。

 そういう風に、知らず知らずのうちに、自己を離れて、ミニチュアに何か物語を託している。

 そんな気がする。

 日常では体験できないこと、憧れを、自分ではないミニチュアに託しているのではないだろうか。

 それは、小説の中で、非日常を体験すること、自分ではない何者かになることと、似ている気がする。

 普通の大きさではないミニチュアだからこそ、自分の日常のもうひとつの世界として認識している。

 そこに別の世界、日常を見る。

 だから私は、ミニチュアに惹かれるのかもしれない。

 


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