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宮沢賢治「注文の多い料理店」で、昔を感じる…右から左への横文字・完璧でないことー私がお店を開いたら扱いたいもの(古本編vol.6)ー

宮沢賢治「注文の多い料理店」

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 私がこの本と出会ったのは、ついこの間のことである。

 最近、近所に古本屋が開店した。その店でこの本と出会った。

 元々、宮沢賢治には興味があったし、彼の著作は好きだった。

 全部の作品を読破したわけではないが、いつかの記事に載せた「幼かりし日々」の本の中に「風の又三郎」があり、最近も彼の作品に触れたばかりだった。

 この本には、「どんぐりと山猫」「狼森と笊森、盗森」「注文の多い料理店」「烏の北斗七星」「水仙月の四日」「山男の四月」「かしはばやしの夜」「月夜のでんしんばしら」「鹿踊のはじまり」の9作が、収録されている。

 今まで読んだ宮沢賢治の作品の印象は、やはり、懐かしさと物悲しさがある、ということである。

 明確に悲しい訳ではない。けれど、心の奥に眠っている繊細な部分を刺激してくる。

 だから、彼の作品は今でも愛されているのだと思う。

右から左へ書く

 私がこの本に惹かれたのには、もうひとつ理由がある。

 それは、この本の表紙(横書き)が、右から左へ書かれていることである。

 調べてみると、それは縦書きの影響らしい。

 縦書きでは右から左へと移る。その文化の中で、横長のスペースに文字を収める必要がある時、縦書きの影響で、右から左へ書いていたらしい。

 しかし、西洋の言語の影響を受けて、右から左へよりも、左から右への方が主流になったという。

 左横書き(左から右へ書く)が本格的に普及して右横書き(右から左へ書く)が廃れていったのは昭和20年代以降で、昭和21年に読売新聞、昭和22年に朝日新聞が新聞に左横書きを採用し、昭和20年代以降、省庁の文書が縦書きから左横書きに徐々に変更されていったのがきっかけ、ということらしい。

(以上、https://www.google.co.jp/amp/s/www.excite.co.jp/news/article-amp/E1322038604526/   を参考にさせて頂きました)

 この本は、大正13年に発行されたものの復刻版である(復刻版は昭和48年第9刷)から、納得の歴史である。

 復刻版というのは、とても良いなと思う。古いものほど手に入りにくいと思うけれど、またそれが復刻されれば、手に入りやすくなる。

 復刻にあたり、手を加えられていなければ、その時代の雰囲気や文化が損なわれることもない。

 もう、右横書きを目にしなくなって久しい現代では、その書き方は、私には、古いというよりも逆に新鮮に思えてくる。

 読みづらいことが、何だか暗号になっているようで、ちょっとワクワクしてしまう。

 この本の中は、もちろん縦書きだけれど、その文章も昔の言葉遣いで、やっぱり新鮮味がある。

 「ゑ」(え) や、「ひ」(い) など…古風な感じが、とても良い。

 また、文のフォントも良かった。

 今回は敢えて内容には触れなかったけれど、この本に収録されている作品たちは、もちろん、話の内容も良い。

 だけれど、それと同じくらい、私はこの本の装丁や当時の言葉遣いも気に入ってしまった。

 名作と呼ばれるものは、何度も版を重ねられて、改版されたりして、言葉遣いもその時代に合わせられていると思うけれど。

 もちろん、内容を理解するためには、その方が断然良い。

 けれど、その内容を楽しんだ後に、復刻版などを利用して、昔の版に触れても面白いなと今回思った。

完璧でないから良い

 この本には、箱があったらしいが、私が購入する時はなかった。箱なし、と書かれていた。

 前に読んだ人が、どういう経緯で読んで、箱を紛失してしまったのだろう…少し、そんなことを想像してみた。

 箱がないということは、この本を購入後、一度以上、箱から取り出して本の頁を開いてみた、ということである。

 もしかしたら、夢中になって、箱に戻すのを忘れて、箱を紛失してしまったのかもしれない。

 何にせよ、箱が無くなってしまったのは残念だけれど、前の所有者を感じられるようで、それはそれで良かった。

 私はもちろん、新品で綺麗なものも好きだ。

 けれど、時々、その完璧さに疲れてしまう時もある。

 古いものは完璧ではない。

 それは欠点ではなく、むしろ、私には親しみやすさを感じられる。

 古いもの。

 それは、私の知らない時代の新鮮さを運んできてくれる。

 そして、完璧ではないからこそ、その新鮮さは私にとって遠いものではなく、親しみを持つものとして感じられる。

 そんな気がした。

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