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悲しい出来事の先

#週1note 第4弾。
今週の3/11で東日本大震災からちょうど8年になる。

震災の日はちょうど高校の卒業式の日だった。
校舎が壊れたりとかはあったけれど怪我人もなく、埼玉にいた自分にとってはそこまで特別ショックなことがその日にあったわけではない。でも、3年前にRelight Daysという震災とアートを扱ったイベントに関わり、その年から、この日はとても特別な節目になった。

2015年にスタートしたRelight Projectは、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォームを目指すアートプロジェクトです。

現在は、東日本大震災を経て生きる私たち一人ひとりの心に問いと気付きを生み出すシンボルとして、東京・六本木にあるパブリックアート『Counter Void』を毎年3月11日〜13日の3日間限定で再点灯するRelight Daysの開催と、アーティストのヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」の概念をベースに「アートが持つ創造性や想像力を用いて、自らの生活や仕事に新たな価値をつくり続け、行動する人」を「社会彫刻家」と定義し、社会彫刻家の育成を行なう市民大学Relight Committeeの運営に取り組んでいます。

今日話したいのは、このプロジェクトの内容ではなくて、
そこで得た私なりの、悲しい出来事とどう向き合うのかという話。

生きている自分にできることは
「生きる」ということ。

このプロジェクトは震災のプロジェクトとしてではなく、アートプロジェクトとして集まった人が大半。最終のアウトプットが六本木の街中で作品を展示することもあり、実際に被災した人はなんて思うだろうか、楽しんで良いのだろうか、というところから話し合い、被災していない私達がどう震災を取り扱うかをかなり慎重に話を重ねて当日を迎えた。

その時出した一つの答えは、
「きっかけ」にすることでした。

痛みは本人しかわからなくて、
思いを馳せる痛みも、消えることはない。

痛いのはもうどうしようもないかもしれないけれど、
全部を1人で背負ってしまっている人に対しては、
全然関係ないところで「きっかけ」にしている人もいるよ、と伝えたい。

今、何に出会い、何をするのか。

アートだって、
作品自体に意味があるわけじゃなくて、
誰かの考えがここにあったんだと、
残ることに意味があるんだと、私は思う。



、、、壮大になってきたから話を戻すと、

Relight Days内での展示は、私は312冊の表紙のない袋とじの本を配った。
中身は全て違う物語。好きな数字の本を1冊持って帰れるというもの。
どんな出会いだっていい。どんなことでもいい。

この311があったことで生まれた「きっかけ」が、また別の何かのきっかけになったらいい。そしてほんの少しでもいいから、未来が変わったら、意味はあったと言えると、思いを込めてつくった。

生きていたあの人の素敵な言葉を
一回でも多く発してもらったほうが
よっぽど意味があると思う。


生き続ける責任は、時に重すぎるけれど、
私はきっかけにして前に進んでいる人を見て、
そのきっかけになった人が報われているように思うから、
良いきっかけにするために、自分が生きようと思うのです。

311があったことで、Relight Projectがあったことで、
少なくとも私の人生は一段濃くなったと、心のそこから言える。

生きること、死ぬこと。
光があれば、必ず影ができること。

大人達が足を止めて、対話しながら向き合う。
間違いなく、かけがえのない人と出会い、かけがいのない時間。

どんなことも、そう言えるまでに、生きることが、
大切に扱うってことで、未来に繋げるってことなんだと、
今は思ってます。

(しかも、このプロジェクトで出会ったつながりで、
後に今勤めてるCRAZYに出会うことになる。)

おしまい。