図書館にて
とあるTweetを見て、太宰治の「パンドラの匣」を読もうと思いたった。
読まずに人生を終えてはいけない、
知らないままというわけにはいかないという、
突発的な焦燥感が私を駆り立てた。行動力は私の強みである。
そして、その日のうちに図書館に車を走らせた。
田舎町にある小さな図書館である。少しどきどきしながら、パソコンで検索をかけるとヒットした。そんなことにさえ本との縁を感じる。なぜなら、本当に小さな図書館だから。
今まで私は、若者向けの恋愛小説、少女マンガばかりを読み漁ってきた。 しかし、この歳(20歳)になって自発的に文豪と呼ばれる人々の思想に触れたいと思った。私の精神も少しずつ成熟してきたということだろうか。
きっと、この波乱の時代のなかで、「生の有限性」を意識することが増えたからかもしれない。生きているうちに、多くの素晴らしい(とされてきた)ものに触れたいと思った。そして、それらが自分の内面と溶け合ったときに、何か素敵な変化が起こるのではないかと期待しているのだ。
自分のなかを探しても見当たらないものを手にするには、外からもらってくるしかない。
自分の中を隅から隅まで見渡しても、見つからないもの。手に入らないもの。
本の中には、その探し物がある気がする。
できるだけ豊かな人生を生きることと、長い人生を生きることは必ずしも同義ではない。私は生きていく上で、日常の密度を大切にしたいと思う。偉人の人生を凝縮した本。その本を手に取ることは、きっと人生の密度を高めてくれる。
人は必要なときに必要な人と出会う。
よく言われる言葉だ。
人は必要なときに必要な本と出会う。
これもまた真理だと思う。
検索機にかけた本が、自力では見つからなかった。本との縁を信じたくて、しばらく本棚の前で右往左往していた。スリッパをぱたぱたさせながら粘ったけれど、結局見つからず、仕方なくおじいさんに声をかけた。おじいさんは、すぐに私を案内してくれた。優しい人だった。
おじいさんはその図書館で長年働いている。
おじいさんと図書館との関係に、心を寄せてみた。
本とおじいさんとの密度の濃い時間が、そこには流れているのかもしれない。
太宰治の本が、おじいさんとの出会いを引き寄せてくれた。
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