Haru

自分の感覚観察日記。心と体と意識のことを言葉で自己表現したくてNoteをはじめる。この…

Haru

自分の感覚観察日記。心と体と意識のことを言葉で自己表現したくてNoteをはじめる。この場所で言葉を書くことで自分を知りたい、救いたい、満たしたいと思ってる。自分は迷宮。

最近の記事

響いてない時なんて言えばいいんだろう

曲をおすすめされた時 それがたとえいい曲だとしても、 その時 私が欲していないものなら それは響かない。 今 その曲を 聞く気分じゃない時かもしれないし、 今 その曲を 必要としてない時かもしれない。 単純に好みじゃないこともある。 イヤじゃなくても 興味がわかない時っていうのがある。 興味のアンテナに引っかからない時がある。 そんな時、 曲をおすすめしてきた人に 「いいでしょう?この曲」などと 聞かれると 私は困ってしまう。 私には響いてないのに 「いい曲だ」と言う

    • 言語化するのがめんどくさい日

      今日は言語化するのが すごくめんどくさく感じる。 相手のことだって自分のことだって 言語化しないと伝わらないのに  言語化するのがすごくめんどくさい。 不思議なことに こうして文章に書くのは めんどくさくないのか なぜかせっせと言語化している。 以前どこかで 「めんどくさい」というのは 怖れの一種だと聞いたことがある。 ということは、 言語化がめんどくさい イコール 言語化が怖いとも言えるのかな? 元々、内向的で HSP気質もあり 気が小さく、自閉的なところもあり、

      • ハグ友が欲しい

        タイトル通り ハグ友が欲しい。

        • 本音ってもっとふつうなもの

          本音って もっと真剣じゃなきゃダメなものだと思ってた。 本音って もっと深刻なものじゃないとダメだと思ってた。 私がちょっと思ういろいろな思いは 本音じゃないと思ってた。 私が思う些細なことは 本音じゃないって思ってた。 私なんかが思ういろんなことは 取るに足らないこと、 どうでもいいことで 本音ではないと思ってた。 だけど違った。 私が思う小さないろいろな思いが 私の本音だった。 私が思う些細な一つ一つが 私の本音っていうんだってわかってきた。 私なんかが思ういろんな

        響いてない時なんて言えばいいんだろう

          甘えたい、頼りたいけど・・・わからない

          甘えたい気持ちが出てくる。 頼りたいって気持ちも出てくる。 自分の中にそういう欲求があって それを満たしたいと思ってる。 そういう欲求が出てくるのに 片方で それを強く抑えつけようとする力も働いてて 出てくる欲求と抑えつける意識とで 摩擦が起きてる。 甘えたいけど甘え方がわからない。 頼りたいけど頼り方がわからない。 甘えていいよ、頼っていいよって言われても 受け取りかたがわからない。 こんな感じで自分の内側で エネルギーが衝突しあって がんじがらめになってる。 しん

          甘えたい、頼りたいけど・・・わからない

          気力がでないから

          気力がでないから 気力がでないままでいる。 気力をだそうと思ってもでないから 気力がないまなでいてみる。

          気力がでないから

          自立を手放す

          1人でがんばってしまうそれを 我慢してしまうそれを 抑えてしまうそれを 無理してしまうそれを 手放す。 依存時代のハートブレイクの怖れを 抱きしめて癒やしながら 少しずつ少しずつ 自立を手放していく。 何もしてない時の自分と一緒にいる 何もしてない時の自分を認める 何もしてない時の自分を可愛がる 何もしてない時の自分を慈しむ。 少しずつ少しずつ 自立が手放されていく。

          自立を手放す

          幸せの感覚と身体の安堵感を得たい

          私は幸せを感じるのが怖い。 幸せの感覚や喜びの感覚が起こることが怖い。 だから幸せを感じないようにしている。 幸せを感じそうなところには近寄らないようにしている。 私の中にある認知の歪みは 幸せを感じることは危険 とても危険 非常に危険と思っている。 幸せや喜びを感じてしまいそうになると ものすごく強い力で感覚を止めようと 抑圧している。 危険だからだ。 幸せなことが起こると いいことがあると 無意識に回避しようとする。 幸せな出来事から逃げようとする。 幸せな出来事

          幸せの感覚と身体の安堵感を得たい

          寂しさと夏の疲れと。

          夏の疲れと気楽で孤独な在宅ワークとで ここ最近寂しさが募っていた。 一日中ほぼ誰とも話さないで過ごす毎日。 私は一人好きだと思っていたので 寂しさが募っていることに驚いたし、 誰かと繋がりたい、人と話したい、 誰かと一緒に過ごしたいという欲求が 自分の中に明確にあることにも驚いていた。 とにかく寂しいのだ。 よく暇だと寂しくなるという説を見かけるけど、 やることがあっても寂しさの雲に 覆われてしまうような感じで とにかく寂しさをどうにかしたいと思ってしまうほど。 結局 

          寂しさと夏の疲れと。

          ヘンテコな関わり方の訳

          人と関わりたい私と 人に近づきたくない私がいる。 関わり方がヘンテコになる謎が解けた。 どっちも自分。

          ヘンテコな関わり方の訳

          自分の理解者は自分

          ノートを通して自分と話してる。 自分で気づかなかった もう1人の自分の思いが 一つ見つかるとすごく安心する。 あぁ そんなふうに思っていたんだ あぁ そんなふうに思ってくれてたんだ もう1人の自分から こちらの自分に思いが伝わった瞬間 なんとも言えない安堵感が広がる。 自分のほんとの思いに気づけた安堵感。 自分の理解者は自分。 その濃度が濃くなればなるほど 自分自身への安心感が増し、 他者に対してわかって欲しいと思う気持ちが 減るように思う。 自分の本音を知るのは怖い時

          自分の理解者は自分

          非HSS型HSP

          HSP診断をしてみたら、 「非HSS型HSP」という結果が出た。 ということらしい。 まぁ当てはまってる。 相手に合わせられる力があるのはいいけど、 自分が疲れないように楽に楽しく その力を使えないものかと思ってしまう。 相手に合わせるのはとてつもなく疲れるから それが楽になればいいな。

          非HSS型HSP

          無気力感と無力感と

          無気力感と無力感がずーっといる。 それを感じてるのは  あまりいい気分ではないのだけど、 いるものはいるので そのまま感じている。 抗わないっていうのも たぶん自己肯定感を培う一つの方法だと思う。

          無気力感と無力感と

          自分は無条件で価値がある

          無価値感を癒すおまじない。 「自分は無条件で価値がある」 このおまじないが言えるくらいに 自己肯定感が上がってきた。 「自分は無条件で価値がある」と ずっと唱えてる。

          自分は無条件で価値がある

          遠慮をやめる練習

          無意識のうちに遠慮してる。 無意識のうちに自分を抑えてる。 無意識のうちに「言わない」を選んでる。 自分でも気づけないことも多いけど 遠慮をやめたい。減らしていきたい。

          遠慮をやめる練習

          存在肯定が完了しているとしたら・・・

          もし存在肯定が完了してるとしたら・・・ 私は何をやるだろう? 私は何をやめるだろう? 私はどうしたいだろう? 私は何をしたいだろう? 私は、いてもいいという承認を得たいからやってしまっていることがある。 私は、「〜ならば存在しててもいい」という条件付きの観念を持っている。 私は、存在の居場所が欲しいがために何を強迫的にやってる時がある。 もし、もう すでに 「存在してていい」という感覚があったなら、 私は何をするだろう? 私は何をやめるだろう?

          存在肯定が完了しているとしたら・・・