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#125 帰られる場所



やっぱり成長していた。
確実に成長していた。



みんなからしたら当たり前のことかもしない
それでも、今回は大きな成長だった。
前までなら、刺し違えても起こらないことだ



勇気のいる1歩だったと思う。



少し嬉しかった。


分かっている。
問題が、ここからということも。



前は、この後に僕が失敗した。
ということは、ここからは僕の成長が試される



これを逃せば、先はないだろう。
きっと僕が耐えられない。


これが、本音だ。



僕には完璧主義的な面がある。
タチが悪いのが、何にでも適応される訳じゃない特定の事象。特に僕が大切にしたいことほど、その度合いというのは高まる。
要は、無理をするということだ。



無条件で、判断は決定している。
そこに、僕の意思というのは介在しないかもしれない。ただ責任感と罪悪感に支配された、ある種自己表現をすることで起こる
トラブルからの"逃げ"とも捉えられる状態だ。



僕の長所が行き過ぎた状態だ。
過剰なのは、どんなことでも良くない。


前回の失敗も長所の過剰が引き起こした失敗。


完璧主義は良く言えば、細部までこだわる
細かい所も気づく、丁寧な人だ。


その分、自身に対しての重圧のかけ方は
尋常ではないだろう。少しミスをして
存在を否定するくらいのことはザラにある

それくらい、自分に厳しい。
それが全てに適応されている人に比べれば
僕の完璧主義なんてミジンコみたいなもんだ

甘ちゃんすぎる。



ただ、僕みたいな人は
完璧主義状態とそうじゃない状態を
コロコロ切り替えてるが故に
完璧主義状態になっていることを見落としがちだ
そして気づいた時には自分の首を絞めている



傍から見たら自作自演もいい所だ



そんなことを繰り返して
しんどくないの??大丈夫??

って思うのが自然かもしれない。


でも、僕は今は大丈夫だ。
それには理由がある。
その理由に気づくことができた。




僕には帰られる場所がある。




これがその理由だ。
別に前から、この概念は知っていた。
気づいたというのは、これが僕の過剰完璧主義状態が発動している時の精神安定剤、リセット効果として僕に働いていることにだ。


帰られる場所は沢山ある。
何も考えずバカできる仲間との会話や
家族がいる空間、心から安心できる空間だ。




これ程、心の浄化方法が他にあるだろうか。



今の所、僕は見当たらない。
当たり前だ。それ以外に心を癒すものは無い。


そして、心を最も害することは
その帰られる場所が無くなった、もしくは変わってしまったと感じた時だ。
僕の経験上、無くなった時も変わった時も
それは変化したのではなく、
たまたま今まで隠れていた部分が見えた
観測されたというだけにすぎない。



ただ、心を害された時は
そんな冷静にはいられない。
無くなったことの喪失感や変わったことへの憤りで頭の中はめちゃくちゃになっていることだろう


そして、憤りを出し尽くしたり、喪失感に慣れた頃に手放した心の寄り所への執着心が湧いてくる
その後、決まってこう言うんだ。
『もう一度、やり直せないかな?』


この言葉が、心を害された時に冷静に
判断していたか、どうかのチェック項目になる。
少なからずらこの言葉が出なかった時は
しっかり判断出来ていると思う。
素晴らしいメンタルコントロールだ。
中々できることじゃない。


もしくは、はなから自分の帰られる場所や
心の寄り所になっていなかったかだ笑



そう簡単に手放せるものじゃないからね。



なんなら一生、持っていたいと思うはず。



そんな僕の帰られる場所の1つに
久しぶりに帰るよ。
ここ最近は帰ってなかったから
懐かしい感じと楽しみがいっぱいだ。




僕の大1番の前に、心を洗浄してきます。




以上!それでは👋


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