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波立つ社会の表層と、揺れ動く私たち。それでも世界は、変わらず美しい

接種キャンペーン、、、まだ、終わっていなかったようですね…

こんなにも多くの人がワクチン接種したのにも関わらず、感染(陽性)者数は過去最多を更新。

既にワクチンの効果が相当怪しいものになっている(というかむしろマイナス)ことは明白なのにも関わらず、3回目・4回目の激推し、更に秋には5回目と・・・おいおい、一体いつまで打ち続けるんだよ・・・

流石にここまで来たら、だいたいの人は色々おかしいことに気づくでしょ…と思っていたけれど、そんな状況を尻目に、なぜか率先して3回目を打ちに行き、既に4回目を検討している人の、なんと多いこと。

えぇ、もう率直に、驚愕しています。。


いや、もう明らかに、色々おかしいやろ。
世界は一体、どこへ向かっているんだろう。
一体何が、推し進められているんだろう。。。
情報ばかりを眺めていると、そこはかとなく絶望的な気分になる。

コロナやサル痘に限らず、とにかく社会が、刻一刻と、騒がしい。
その騒がしさに目を向ければ、自分自身の内側も、いくらでも騒がしくすることができる。
無数の情報や意見が飛び交って、そこに同意したり共感したり、反発心や嫌悪感が湧いてきたり…
外側の世界に対して物申したいことが、途切れることなく溢れてくる。
不安な予測なんて、いくらでも立てることができる。

そうやって、波立つ表層に呑まれ過ぎると、果てしなく問題だらけで、いつでも何かを変えることの必要性に溢れた、常に何かが欠けていて、決して満たされることのない次元に、意識を乗っ取られてゆく。

・・・・・・
最近の私は、そんな感じだったと思う。

そうし続けることの生産性のなさに絶望して、その層をうろつくことになんだか疲れて、喉が渇いて、スマホをしまってふと見渡した夏の景色が、鬼のように鮮やかだった。


夏の空気が創り出すコントラストがくっきりとした世界に、目が覚めるかのような気分になる。

人間界はこんなにも騒がしくて、私たちはその不完全に見える世界の中で右往左往しているのに、そんなことは微塵も気にしていないかのように、悠然と構えるいつもと変わらない、美しい夏があった。

「本当は、こっちの方が真実だ」と、夏の雲に呼ばれているようだった。
狂っているのは、人間界の方だ。

子どもの頃から当たり前のように認知してきた世界は、実は造られた表層でしかなく、その認知すら、擦り込まれ操られてきたもの。
そしてそれは、大人になった今でも、絶え間なく続けられている。

それでも、“真実の流れ” みたいなものはいつでも、今、すぐ、ココ にあって、あとは私たちが目醒めるのを、傍らでずっと待っている。

世間の動向は相変わらず不穏で、そこはどうしても気になるけれど、その層にあまり意識や感情を乗っ取られたままでいると、本当に大切で貴重なものをどんどん素通りして、取りこぼしてしまう。
この短い夏の、景色のように。

表層の情報に振られ、揺れることに疲れたら、目の前の景色の美しさや、美味しいご飯、お気に入りの音楽や、大切な人やペットと触れ合う時間。
そういう、感謝が自然と溢れるような瞬間に、意識を沈めていく。

月並みだけれど、結局そういうことが何よりも自分を調整し、安定させてくれる。


まだまだ色々、続きそうです。
動向を見守る必要はあるけれど、そこに呑まれ過ぎない。
自分はいつでも「安心」の居場所にいられるのだと、知っていること。
自分自身の中心に、錨を降ろしておくことの大切さ。
改めて、痛感させられる日々です。

そしてやっぱり、いつもと変わらず、夏は美しい。


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